某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

奇妙な数字の符合。203と418.

2014-09-21 03:21:12 | ちょっと気になる話
 ひと頃問題になった『坂の上の雲』のテレビ・ドラマがケーブルテレビで再放送された。今回はかなりの部分を見る事が出来た。NHKが作ると発表した時危惧されたような軍国主義鼓吹には見えなかったが、司馬流の「隠れた」英雄談が秋山兄弟と広瀬武夫を格好良い軍人にしすぎていた。まるで時代劇のヒーロー。
 知っている話ばかりだと思いながら見ていたが、途中で、おや?と思った。信濃丸がバルチック艦隊を発見した地点(海域?)が203と呼ばれるところだったこと。昔読んだ時は気がつかなかった(忘れたのか?)言うまでもなく、日露戦争で203と言えば、旅順要塞の高地「203高地」を思い出す。陥してから有名になり、女性の髪型にも「203高地」というのが出来たほど。旅順要塞を攻撃した第三軍の司令官乃木大将は戦争が下手で(参謀も愚鈍だったらしい)兵隊を機関銃の標的にするばかり。異常なほど沢山戦死させた。結局総参謀長児玉源太郎が乃木さんの指揮権を一時奪って203高地攻撃の指揮をとり、一日で占領し確保し、そこから旅順港内を観測し、大砲に連絡して旅順艦隊を砲撃させた。艦隊は即座に全滅。バルチック艦隊が来る前に旅順艦隊を全滅させなければ、日本の海軍は必敗だった。乃木さんにも参謀にもその事があまりよく分わかっていなかったらしい。だから正面攻撃ばかりして203高地をなかなか攻めなかった。児玉源太郎は日本海海戦勝利の陰の功労者だ。児玉の功績については異論もあるらしいが。(戦争が下手で兵隊を沢山無駄死させた乃木さんは乃木神社に神としてまつられているのに、何故児玉(源太郎)の神社はないのかと思っていたら、大分前に江ノ島で児玉神社を見つけてほっとした。)
 203で旅順艦隊を全滅させ、203でバルチック艦隊を発見して全滅させた。奇妙な偶然。
 418は4月18日。私が国民学校六年生になったばかりの、昭和17年4月18日に東京初空襲があった。何も損害はなかったように言われていたが、かなり爆撃されたらしい。私ども児童は、アメリカ軍の空襲とは思わず、凄い演習をみていると思って、校庭で大喜びして跳ねまわっていた。翌年昭和18年の4月18日には早くも連合艦隊司令長官山本五十六大将が戦死している。既に敗色濃厚になり、南方各地に伸びきっている戦線を日本本土近くに縮小しなければ、どこももたなくなっていた。山本司令長官はそれを各前線司令部に説得するための視察に出掛け、行動予定の連絡暗号を米軍に解読されて撃ち落とされた。暗号を解読されている事は大体わかっていたのだから、山本さんは死ぬつもりで出かけたのではないかと私は疑っている。海軍さんが飛行機で死んだ。後の連合艦隊司令長官は慶應義塾大学日吉校舎の敷地に長い防空壕を作りその中で指揮をしていた。空の上から土の中へ。惨めだな。乗る軍艦がなかったのか、軍艦では命が危なかったのか。
 全く無関係だが、経済学者リカードは4月18日の生まれ、私の長女も4月18日の生まれだ(経済学はやってないが。)
 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« アイルランドは間違っていた? | トップ | スコットランド住民投票の余韻 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ちょっと気になる話」カテゴリの最新記事