某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

会津の女性たちと徳富蘇峰、蘆花。

2012-12-03 00:00:11 | ぼやき
 来年のNHK大河ドラマが会津武士の娘新島八重の物語になるというので、早速書店に彼女の伝記風読物が並んでいる。それらを眺めながら思いだしたことがある。
 同志社の学生たちの中には尊敬する大先生新島襄と対等に暮らす夫人、八重をけしからんと思う者が多かった。人力車には先に乗るし、日ごろ全く平等で、普通の日本女性のように亭主をたててその陰にひっそりと暮らすという可憐な風情が全くない(と学生には見えた)。弁論大会で、学生だった徳富蘇峰が言葉を極めて八重を罵倒し、新島大先生をコケにする天下の悪女と酷評した。蘇峰は国家主義のまやかし右翼歴史家だと私は思っているが、まさか、これほどでたらめだとは思っていなかった。本当の理由は何だかわからない。熊本人だから、九州の男尊女卑をそのままひけらかしたのかもしれない。しかし当の新島は、八重のそうした自立した女傑ぶりが大変気に入っていたらしく、美人ではないが大変立派で私の一番気に入っている女性、とアメリカの友人に書き送っている。
 同じ会津武士の娘でアメリカ留学の女性第一号になった山川捨松(津田梅子らと一緒に、岩倉具視の使節団に同行してアメリカに留学した)は蘇峰の弟蘆花にひどい目にあわされている。蘆花の小説で有名なのは『不如帰』(ほととぎす)だが、あの女主人公浪子の義理の母親で、まるで鬼婆のように権柄づくで人情味のない、嫌味な女性は、山川捨松(大山巌元帥夫人)がモデルだと、当時は誰にでもわかった。したがって山川(大山)の行った大変に多くの新しい良い仕事(例えば日本最初のバザー、看護婦の養成、津田塾を梅子ととともに作り、女子英語教育に大変な貢献をしたこと等々)も山川の仕事としては殆ど無視されてしまっている。
 何故徳富兄弟があれほどひどく会津の女性を貶めたのか。昔から気になっているが、今だに理由は分からない。

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