某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

ちょっと奇妙な「俳句」

2012-01-19 16:03:25 | ぼやき
 「過ぎし日は この丘に立ちて 免ぐりあう」昭和63年。
 ちょっと理解困難な句だが、明治大学生田校舎の敷地内にある神社の境内の石碑に刻まれている。生田校舎は戦時中あった陸軍の研究所跡地に建てられている。構内の舗装道路は研究所当時のものが多いという。
 千人以上もの人が働いていたというが、仕事の中身は勿論一切他言禁止。親兄弟にも言えなかった。偽札作り、風船爆弾開発、化学兵器・細菌兵器開発生産と、その効き目を試す動物実験や人体実験などが、無尽蔵の研究費を使ってここで行われていた。戦後も長く、彼らの口は閉ざされたままだった。川崎と長野の高校生グループだけがやっと話を聞けるようになり、やがて、戦後40年以上たって、元の勤務者たちがこの研究所跡地にも来るようになった。そうした人々の集まりで作られたのが此の短歌。嘗ての同僚たちとこの丘で会うと、それまで一切口外せず、思い出すことを自分に禁じていた事柄が次々に浮かんでくる。過ぎた昔にめぐり合う。そのような感慨であろう。
 ついでにもう一つ。此処で開発された風船爆弾は和紙を糊で貼り合わせて作った。和紙でなければだめだったそうで、それを貼り合わせる糊にこんにゃくの粉を溶いて使った。ところがこれがすぐ乾いてしまう。刷毛をいくら工夫しても駄目。ようやく発見した道具が、なんと「乙女のやわ肌」。女学校の生徒さん達が素手でこんにゃく糊を風船用の和紙に塗りつけて作ったそうだ。

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