某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

グラバーと坂本龍馬

2013-08-31 02:04:25 | ぼやき
 私だけ知らなかったこと。幕末の死の商人グラバーと坂本龍馬の関係。坂本龍馬が何故薩摩と長州の和解協調の仲介役になれたのか。昔から疑問だった。土佐から飛び出してきた一介の素浪人。亀山社中を作り、長崎での貿易に首を突っ込んではいるが(それでグラバーに接近した)、薩摩や長州の中心人物と対等に渡り合えるような身分ではなかった筈なのになぜ?と。知ってみれば簡単だった。グラバーは坂本龍馬の世話をしていただけではなく、桂小五郎も世話したし、後の伊藤博文ら長州の5名のイギリス留学の世話もしている。薩摩の貿易もグラバーの世話。だが幕末の政治紛争に直接自分がかかわるわけにはゆかない。坂本龍馬はいわばグラバーの代理人だったのだ。良く知られていることだが、当時フランスは幕府に肩入れし、イギリスは薩摩・長州を次の政治指導勢力とみて支持していた。グラバーはスコットランド系イギリス人だから、イギリスの意向に沿って動いていた。大量の武器を薩長に売って大儲けした。彰義隊攻撃や会津戦争で決定的な役割を果たしたアームストロング砲もグラバーが売りつけたものだ。武器の欲しい薩長はグラバーの代理人坂本龍馬の言う事を聞かなければならなかったのだ。
 グラバーは儲けた金を大名などに貸した。勿論貸し倒れになり、グラバー商会は破産してしまった。しかし、三菱と深くかかわり、高島炭鉱の経営を続けるなど明治期にも活躍していた。私の好きなビール「麒麟」はグラバーが始めたビール醸造所が元祖だと言う。横浜にはビール発祥の地があるが、長崎が先らしい。商売上手だったのは横浜の方だろうが。
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