某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

吹矢支部結成4周年

2012-11-05 23:16:50 | ぼやき
 私の属しているスポーツ吹矢の支部「笑顔せたがや」が結成4周年を迎えた。11月5日。4年前の今日だ。
 私の吹矢歴もしたがって丸4年。長いような短いような。大学生なら、入学から卒業までだ。これから大学院に行くか、就職か、道が分かれるところ。吹矢ではどうだろう。甘く言って、一応基礎課程が終わった、というところだろうか。しかし、前にも書いたように、競技会前日に吹矢の点検調節を怠ったり、もっとひどいのは、段位試験に眼鏡を忘れて行ったり、出番になったのに矢を持っていなかったり、くっちゃべっていて自分の出番を伝えるアナウンスを聴きそこなったりなどと、どうにも締まらないことばかり繰り返している。これでは卒業させてもらえないかもしれない。
 まあ、留年も良いか。昔、友人が留年した。彼が「親父、申し訳ない、留年しました」と言ったら、其の親父が出来た人で「お前良い事をしたな。友人が倍できる」と言った。古き良き時代。人に余裕があったな。戦後そうそうで、世の中は暗くて、貧しくて、いつも空きっ腹をかかえていたけれど。
 変な話になった。吹矢に戻そう。もっと本物の「吹矢使い」になるにはどうしたらよいか。甘く言って4年間の「基礎課程」を終えたのだから、これからはもう一段上に行けるよう心がけよう。剣道だと「守破離」の「守」を曲がりなりにも終えたというところだろうか。ちょっとおこがましいか。でも、これからは「破」で行こう。少しは自分なりの工夫もしてみよう。次の4年間では無理だろうが、大学院は最低5年あるから。
 「笑顔せたがや」支部結成以来の仲間たちや、吹矢の「ふ」の字も知らない私に一から教えて下さった高橋健先生に心から感謝申しあげる。良いスポーツにめぐりあえた。ちょっと齧っただけでおこがましいが、もっともっと多くの人に知ってもらい、参加してもらえればと心から願っている。 
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あさり と しじみ

2012-11-05 22:05:30 | ぼやき
 自炊生活がもう20年になる。気がついてみると、新聞の読み方や、テレビで気になる事柄が少し変わってきている。
 家内が食事の支度をしていたころは、私は本当に何もできなかった(しなかった。)これでは駄目だ、というので家内が「ベーコン・エッグ」の作り方を教えてくれたことがある。しかし、それで終わり。次に進む前に家内があの世に行ってしまった。夢に出てきて次を教えてくれるかと期待したが全然。薄情なものだ。
 いつの間にか、新聞の料理記事を読むようになり、切り抜くようになった。自分でも出来そうなものばかりだが。おかげで冷蔵庫の回りには新聞の切り抜きがべたべた貼ってある。あまり汚いので一度全部捨てたが、もうまた一杯になった。美味いのができることもある。しかし、残念ながら美味さを再現することが出来ない。いつも同じ美味さで料理を提供出来る料理人というのはえらいものだ、と今更ながら感心している。
 テレビの時代劇に、子供のシジミ売りが良く出てくる。凍えそうな寒い朝取ってきたばかりのシジミを、長屋の気のいいおかみさんが「感心だね、孝行息子だね」と同情して買い、「お前さんシジミの味噌汁だよ、早く起きてお食べ」と声をかける。良く見るシーンだが、自炊するようになって、おや?と思うようになった。取ってきたばかりのシジミは泥や砂を一杯含んでいるから食べられやしない筈だ。それとも、昔はそんなもの含んでいなかったのだろうか。あのシーンは料理したことのない男が作ったに違いない。
 同じことは「アサリ売り」にも言える。誰かが「此のアサリはもう砂を全部吐かせてあるか」と聞いて良さそうなものだが、そんなセリフは一度もない。「砂ばかりで食えたもんじゃねえ」と喧嘩する場面があってもよさそうだが、そんなのもない。取ってきたばかりの生きのいいアサリをすぐ味噌汁にする。見るだけで、口の中がジャリジャリしてくる。
 「自分で料理などしていると、頭まで主婦になっちまうぞ」と友人にからかわれたことがある。其の通りだ。しかし、これも「自立」の一種なのだと割り切っている。ただの「痩せがまん」だが。
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有難いひと言

2012-11-05 20:56:42 | ぼやき
 また3日の東京都の吹矢競技会の話。私は世田谷の大きな支部にまじって団体出場した。この支部からは4チーム20名も出ていた。そのうちの1チームが9位になり決勝トーナメントに残った。79チームの内9位だから偉いものだ。私のチームではなかったが、後ろで応援していた。
 すると、隣に立っていたご夫人が「吹矢は楽しいですか」という。「私はさっぱり当たらないから面白くない」とも。そんなら何故やるんですか、とも言えないから「点数をつけておくと、日によって上がったり下がったりして面白いですよ」などといい加減なことをしゃべっていたら、「早く筒と矢を持ってきなさい、個人の順位決定戦が始まるよ。アナウンスで言ってましたよ」と仲間が大声で教えてくれた。もう終わりだと思ってくっちゃべっていたから、アナウンスなど聴いていなかった。筒も矢も全部仕舞こんであるから大変だ。あわてて遠い観客席まで取りに行き、フーフー言って試合場に降りた。
 同点の1位が3名いるので、1~3位決定戦をやるという。いや困った。心の準備が出来ていない。初出場というのは、何が何だかわからないから不利だ、とまた人のせいにして椅子に座っていた。「こんなんじゃ当たらないな。20人もの仲間が応援してくれているのに、負けて3位になったら皆がっかりするだろうな」とか、「女二人に男一人の決定戦か、負けたら男がすたるな」などと阿呆なことばかりが頭の中を駆け巡る。よほど変な顔をしていたのだろう、支部長さんが寄ってきて「1位の点数を取ったのだから、順位はもうどうでもいいの。気楽にやりなさい」と声をかけてくれた。ホットした。気が抜けたといのではない。肩から力が抜けた、とでも言おうか。おかげでうまくいった。
 支部長さんも5位だった。男女別ではなく、全出場者395名を点数だけで並べての5位だから偉いものだ。女性だけだと3位。もし男女別に表彰されたら、彼女も銅メダルを胸に出来た筈だ。吹矢は性別も年齢差もなく競えるから良い、と私は普段言っているが、此の時ばかりは男女別の表彰がなくて気の毒だ、と思った。勝手なものだな。
 
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吹矢の続き。不思議な矢の物語。

2012-11-05 14:01:45 | ぼやき
 優勝に気を良くして、翌日も家で練習した。矢が太くて飛び出さない。全国大会で使った新型の良い矢、しかも新品なのにどうしたことか、と調べてみたら、なんと2ミリも太すぎた。念のためにおなじ筒にある他の矢も全部調べてみた。全部太すぎた。全国大会ではこの矢を使った。だから点数が伸びなかったのだ、と自分の技術をそっちのけにして矢の責任にした。
 11月3日の東京都の大会では、何故か、この新型の矢を使わなかった。前に御褒美で頂いた、新品だが旧型の矢を使った。何故新型の矢を使わなかったのかわからない。もし、全国大会の時と同じ矢を使ったら、詰まって飛びださなかったり、飛んでもカーブしたりして、惨敗したろう。不思議なことがあるものだ。
 それにしても、競技会の前日に矢をきちんと調整しておくべきだった。「素人はこれだから困る。いちいち教えないと何も考えない」と叱られそうだ。先生、どうも不肖の弟子で申し訳ありません。 
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優勝!またまた吹矢自慢。

2012-11-05 13:06:38 | ぼやき
 11月3日に駒沢オリンピック公園の屋内球技場で「都民スポレクふれあい大会」というのがあって、東京都スポーツ吹矢協会が「スポーツ吹矢」競技会を主催した。5人一組の団体戦だが、同時に出場全選手の個人戦でもある。幸い、この個人戦で優勝した。成績は136点。140点満点だから4点足りなかった(20本吹いたうち真中に入らなかったのが2本あった。)8メートルという近い距離での競技だから全部満点にしようと思ったが、うまくゆかなかった。同点一位が3人いて、そのうち二人は女性。幸い私だけが真中にはいり、他の二人は少し外したので、優勝出来た。出場選手395人。79チーム。東京オリンピックでバレーボール「東洋の魔女」が金メダルを獲得した会場で、1位の表彰台に上り金メダルを胸にした気分は最高だった。82歳になって一週間。いい誕生祝いになった。来年も一位の表彰台に登れるよう精進しよう。
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