某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

日本を安く旅行する方法ー安くてうまい食事の取り方。

2012-10-14 12:31:49 | ぼやき
 経済の話を書くのではない。今朝のアイリッシュ・タイムズに、安く日本を旅行する方法が丁寧にかいてあったのだ。People stay away from Japan because they think it is too expensive- but they're wrong. という有難い書きだしの長い記事で、つい読んでしまった。 ユーロがまだかなり安くて、日本に来ると困るだろうな、とは思っていた。しかし、電車の切符を買うのに手押し車一杯の金が必要だとか普通のメロンが8000円もするなどと聞いて日本旅行が敬遠されている、と先ず書かれているのには驚いた。日本ではメロンは特別に高い、果物は全部輸入だから高い、などと筆者は解説している。また、ユースホステルでリンゴをかじっていたら、そんな高いものを食べられる程お金持ちなのに何故安ホステルに泊まっているか、と驚かれた、とも書いている(そんなことないだろう、と私は思う。)この辺りは一知半解であまりアイリッシュの来日意欲を掻き立てないが、後がすごい。
 日本食はコンビニの安い弁当でも美味で、美的に洗練されており、どの回転すしでもダブリンの鮨屋とは比べ物にならぬほど美味で安い、とか 札幌のスープ・カレーは絶品だとか。広島のお好み焼きをほめ、しゃぶしゃぶを推薦する。これは中国とモンゴルの影響を何世紀もかかって洗練してきた結果生まれたものだという(其れは知らなかった。)何千とあるレストランのどこでも美味しくてまずい店など名指しできないとか。美味くて安い、とべた褒め。(確かにアイルランドのレストランと比べたら、どこでも美味くて安くて清潔だ。)ただし、筆者は「ホルモン焼き」だけは食べられなかったらしい。
 日本食には特有の原理があるという。其れは美を愛し、藝術的表現を求め、絶えず料理の革新をつづけていることだ、と。
 食堂の食券自動販売機には驚いたらしい。始めは憤慨して出ようと思ったくらいらしいが、分かってみて納得し感心している。ラーメンと餃子はお薦めで、満腹になるほど食べても千円でお釣りがくる、と絶賛している。メロンばかりが果物じゃない、として、例えばローソンではおいしいパイナップルが僅か105円だと褒めている。私の愛好する「てんや」も推薦されている。天丼・味噌汁・漬物で800円とある。上物だ。私は550円の野菜天丼しか食べないから、もっと安い。この方がヘルシーだから、教えてやりたい。しかし、アイリッシュは野菜だけだと駄目なのかもしれない。大戸屋や京都のガンコズシも推薦されている。いやいや、アイリッシュ・タイムズで「てんや」だの「大戸屋」の情報を読もうとは思わなかった。


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丸谷 才一さん

2012-10-14 11:09:31 | ぼやき
 丸谷才一さんが亡くなった。骨太ながっちりした作品をいくつか読んだことがあるので、しばらくご冥福を祈った。
彼の講演を一度だけ聴いたことがある。ジェイムズ・ジョイスについてのもので、アイルランドの友人たちと一緒に聴きに行った。博識でアイルランドの歴史的事情なども長く話し、『ユリシーズ』についても話した。翻訳をしているのだから当然だが、ちょっと気になることを言った。
 19世紀80年代のアイルランドの政治リーダー、無冠の帝王パーネルは政治活動の同志キャプテン・オシーの夫人キティーと長年通じていた(10年も一緒に暮らしていた。)亭主は見て見ぬふりをしていたが、遂に離婚訴訟をおこし、世間の知るところとなった。大スキャンダルとなり、パ―ネルは失脚し、すぐ失意のうちに亡くなるのだが、この三角関係とユリシーズに描かれている主人公と奥さんと友人の三角関係が相似形だという。つまり、ユリシーズに描かれた小三角関係はパーネル達の大三角関係を投影し、卑少に描いたものだ、と言った。才人才に溺れるの類いか。
 私に文学を語る資格はないが、それでもオヤッと思った。一緒に行ったアイルランド人たちはびっくりした。丸谷さんはユリシーズを翻訳した偉い人だと尊敬していたからなおさらだろう。せっかくジョイス記念の良い話を期待してきたのに、なんてことだ、と帰りには散々だった。
個人のことをあげつらうのは礼を失しているからこれでやめるが、残念な記憶だ。
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『久生十蘭 従軍日記』

2012-10-14 02:23:36 | ぼやき
 妙なものをまた読んで、と思われるだろう。久生十蘭は、知る人は減ったろうが、昔、面白いものを書く人だった。彼は昭和18年2月から南の島に海軍の従軍記者(海軍報道班員)として行っていた。海軍の実情を知らないから、まだ「勝った勝った」と景気の良かった頃。日記を書くことを禁じられていたのに、毎日克明に日記を書いていた。没後それが発見され、出版された。自己を語らない作家として知られていたから、貴重な資料として珍重されているらしい。(報道班員は、作家、画家、写真家など海軍だけでも1300人近くいたと言うが、これほど赤裸々な日記は公刊されていないらしい。)
 私は此の作家に特に関心があったわけではない。前から文士の従軍記者というのが気になっていた。新聞記者や報道カメラマンなら今でも活躍しているから何となく見当がつく。彼等は自由に取材し、自由に書ける(少なくとも建前は)。正岡子規でも日清戦争では新聞記者として取材に行っている。しかしそれとは違う。作家は何をしていたのだろう。一種の軍属になって尉官くらいの将校待遇を受け、かなり高額の給料や手当をもらって占領地に派遣された。戦地にも(久生は)行っている。彼は昭和16年頃から「御用文学に特有な臭気が少しずつまとわりつくようになった」と解説にあり「戦時体制に対し充分協力的」で「報道班員として徴用するに適した人材とみなされ」たのだろうと推測されている。新聞記者なら取材はお手の物だが、文士が軍服を着て、刀を下げて何を取材していたのだろう。そんなことが長く気になっていた。それが此の本を買った理由の一つ。
 また、久生の行った島を見ると、ジャワ、チモール、ニューギニア、と並んでアンボン島もあった。私の娘の亭主の父親、つまり義父さんは戦争中召集されてアンボン島で勤務し、そこで敗戦を迎えたと聞いた。アンボン島というと、徳川時代の始めに日本の浪人達などがかなり移住していたし、オランダの東インド会社の軍隊とイギリスの東インド会社軍とか戦い、イギリスの傭兵だった日本人のうち9名が殺されたことでも知られている。負けたイギリスは此の戦争の後インドに引っ込んでそこの統治に専念し「成功」した。これも「負けるが勝ち」か。あの島が戦時中どんなだったか知りたい気持ちが前からあった。昔「戦死」した日本人の話は日記には出てこなかった。知らなかったのだろう。
 そんなこんなで、気になって読んだ。いや、大変な堕落ぶりだ。占領軍の一員だから大変だ。ジャワ島では連日連夜「飲む打つ買う」だけ。現地の日本人記者などと連日のようにマージャンで大金を取ったり取られたり。内地では庶民の手に入りにくくなった色々な酒をへべれけになるほど飲み、日本女性、現地女性、中国女性、はてはオランダ・フランスなどの西洋人女性などを毎日のように買う。日本の新聞社支局員や司令官の中には、特定の女性を囲っているものもいる。半年近く占領地ジャワでそのような生活を続け、その後は少し「真面目」に「取材」ノートなども作る。空襲の多い島や雨と泥に苦しめられるニュウギニアなどにかなりの危険を冒して出向く。また、アンボン島でも危険な体験をし、その間読書も再開する。しかし最後まで、下積みの兵隊さんたちの話は出てこない。此の日記などを材料に多くの小説が書かれたというが、いずれも戦意高揚の御用小説で、兵士の苦労などは書きこまれていないらしい。多分関心がなくて何も知らなかったのだろう。私に彼を批判したり、笑ったりする資格はないが。
 
 
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