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某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

無人の小島

2012-10-03 02:25:34 | ぼやき
 政治的なことは書くまいと自制している。しかし、ニューズをテレビで見ていたら、次のような短歌が出来てしまった。
「あれほどの広い国土を持ちながら 何故に欲しがる 無人の小島を」
 朝日に投稿したら採用してくれるかな。駄目だろうな。むしろ正月の歌会始めに投稿するか。撰者が怖がってボツにするだろうな。
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日本はいつから日本?

2012-10-03 02:17:04 | ぼやき
 仕事がつまってくると、関係ない本ばかり読みたくなる。学生の頃、試験直前になると小説ばかり読んでいたのが生涯の癖になっているらしい。網野義彦『歴史を考えるヒント』新潮文庫を猛暑の中で読んだのも同じ癖からで、特に何を期待するでもなかったのだが、えらく得をした。私が昔から漠然と気にしていた「日本という国名はいつ制定されたか」ということに関して最も明快な答えが書いてあったのだ。
 「浄御原令(きよみはらりょう)」という法令が施行された689年というのが、現在大方の学者の認めるところだという。この法令は天武天皇が編纂を開始し、死後持統天皇が施行したものだという。外国に対しては、702年に日本の遣唐使粟田真人が当時の周の皇帝則天武后に対して「日本の使いである」と述べたのが最初といわれているそうだ(則天武后は勿論国号を唐から周にかえた女帝)。それ以前は「倭王の使い」と言っていたという。つまり702年以前に国名が「倭」から「日本」に変わったわけだ。
 日本の正史を『日本書紀』として編纂刊行したのが720年(古事記は712年)だから、それ以前に日本という国名は決まっていたと推測はしていたが、法令できちんと出来ていたとは知らなかった。ちょっと古い日本史の辞典類には「いまだ定説なし」といった解説が多いが、私は網野さんのファンだから、これからは浄御原令689年というのを一つ覚えにしておこう。
 勿論、これで全部済み、というわけにはいかない。シェイクスピア風に言えば「日本は何故日本なの?」という問題が残るから。日のでるところだから、というのはあまり説得力がない。ハワイからみたら日本は日の没する国だから。
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桶から桶へ

2012-10-03 01:11:17 | ぼやき
 江戸の庶民の間に「桶から桶へ」という言葉があったという。一生の始めと終わり。生まれた時には桶から汲んだ産湯を使い、亡くなった時には棺桶で運ばれる。たらいも桶なのか、違うのかは分からない。しかし、戦後日本で流行った「ゆりかごから墓場まで」よりは遥かに風情があって良い言い回しだ。私の故郷、福島の会津の山際では、墓場は山の斜面などにある(平らなところは農地にする)。山道は狭いから土葬には昔ながらの棺桶でないと運べなかった。今は火葬にするから事情は変わったが。
 分からないのは、桶と樽の違い。多分、しっかりと始めから蓋のついているのが樽、蓋がないか、あっても多くがとれるように出来ているのが桶ではないかと私は思うが、良く分からない。中身の入っていないのが「カラオケ」。以上、時代劇チャンネルから得た知識。
 
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乳首

2012-10-03 00:40:07 | ぼやき
 長いこと書けずにいて、再開のタイトルが「乳首」とは。寄る年波で、いよいよおかしくなったか、と、古い友人は嘆くだろう。だが、実はおめでたい話。
 市の老人無料健康診断で「胸に変な影がある」と診断され、北里大学病院で精密検査をすることになっていた。肺癌で片肺全摘とか、半分切り取ったというのが大学同期や今の飲み友達に何人もいる。そういう人々にちょっと話した。中には「前立腺癌が転移することもあるかな」(私が以前、前立腺癌放射線治療を受けたことを知っている人達)などと心配してくれる人もいた。とにかく皆が皆まず「肺癌」を心配し、大丈夫だよ、と慰めてくれた。私も、平気な顔をしてはいたが、「肺を取ったらもう吹矢は出来ないだろう、六段は夢で終わったか」などと内心がっかりしていた。それでも9月30日には世田谷区のスポーツ吹矢協議会大会に出て、幸い準優勝になった。帰りの電車の中では「これで俺の吹矢人生は終わりか、短かったな」と胸の中で繰り返していた。
 それが今日、北里での検査の結果、なんと、何でもないと分かった。持って行ったレントゲン写真には右肺下部にくっきりと丸い輪が見える。しかし、どうもこれは乳首ではないか、と北里のお医者さんは言った。良く見ると左側の同じ位置にも輪が見える。しかし「想像だけでは危ないから念のために」とまたレントゲンをとった。両乳首に何かを貼って前方からと後方から撮り、外して横から取るなど丁寧に何枚も撮った。これらの写真にはあの「怖い輪」が全然写っていなかった。「貴方の乳首がしっかりしているから写ったのでしょう」とお医者さんに慰められた。乳首を「褒められた?」のは初めてだ。
 それにしても俺は度胸がない。そのくせ早とちり。最初から「肺癌」ときめて、さてどうしよう、金はなし、手術のあと家に一人で寝ている間どうしよう、義理の悪い原稿はどうしよう、パソコンを病室に持ち込めるだろうか、腹ばいになれないだろうから入力出来ない、等々無限に心配の種がでてきて、ポケーっとしていた。今から考えると、良くまあ吹矢の競技会に出て行けた。しかし、競技の最中は肺癌の心配を全然しなかった。つまり、本当はたいして心配していなかったのだ。
 それにしても、今日本では、二人に一人が癌にかかるといわれ、癌は老化現象だとも言われている。老化は避けられないから、どうしたものか。答えは一つしかないのかも。病院から足取り軽く帰ってきたら、電話があった。大学院同期の友人が肝臓癌で亡くなったと言う知らせだった。
 
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朝日新聞の短歌・俳句。勝手な想像。かわいいのもあるな。

2012-09-03 21:45:45 | ぼやき
 自分では出来ないから、新聞の歌壇を見て一人うなずいたり楽しんだりしている。月曜の朝刊が楽しみだ。
今朝の新聞歌壇から。
「安達太良のほんとの空を見上げたら 遠くの雲がくすりと笑った」(厚木市)。智恵子抄を思い出したのだろうが、放射能は目に見えない。見えないけれどあるんだ。安達太良も空も本当は怒っている、と作者は言いたいのだろう。智恵子は「此処にも本当の空はなくなった」と嘆いているだろう。金子みすずは「見えないけれどあるんだよ」とまた歌うだろう。
「放射線に子ども神輿は三時間の制限の中 ばち跳らせる」(伊達市)
「原爆忌みな黙祷に福島を思ふ広島そして長崎」(三郷市)
「ふくしまを世界にはじる広島忌」(東京都)
「無知なのか鈍感なのか日本人原爆忌もち原発忌もつ」(いわき市)馬目弘平さん。
「ホロビユクモノを見て来しまなこ今、コワレユクモノを見つめておりぬ」(福島市)戦中戦後厳しい中を生き抜いてきた女性の怒りと嘆き。
「もう一度もしもう一度逢えるなら抱きしめるだけで言葉はいらない」(東京都)作者は女性。どういう事情かはわからないが、私には新盆の時の気持を言葉にしていただけたように思えた。あるいは大震災後二度目のお盆を迎えてますます募った思いを表現したものかもしれない。

 今年も暑かった。「かきごおりメロンジュースになっちゃった とってもあついよ内野スタンド」(横浜市)甲子園に応援に行った少女の暑い感想。「鮟肝を運ぶ少女の左腕『ありをりはべり』などと書いてある」(大阪市)こっちの少女はアルバイトしながら試験勉強。たくましいね、みんな。「また今度会う口実を作るため宿題ひとつ君にだしおく」少女のかわいい陰謀。
 伊藤園の「おーいお茶」に俳句大賞が印刷されてある。そこにもこんなのがあった。「しゃぼん玉合格したよとつたえます」12歳の男の子。好きな子に言いたいけれど言えなくて、か。同じ12歳でも「おめでとう そういうように櫻さく」と素直に喜ぶだけの男の子もいる。おませとおくて。「桜色美しすぎてちりゆく身」同じ12歳でも女の子は遥かに大人。しかし、受験失敗か?
 今朝の新聞歌壇に戻ろう。同じ情景を歌ったものがあった。どちらも孫のたくましさに目を細めている。「腹ペコの昆虫のごとく気迫見せスイカを食らう四歳の夏」(横浜の人、おばあさんだろう)「西瓜食う孫のまなじり無敵なり」(新潟のお爺さん)。 
 「水着ではどうにもならぬ巨乳かな」(いわき市)馬目 空さん。短歌の馬目さんとこの俳句の馬目さんは同じ人かもしれない。厳しい目と、ちょっとおどけた(まめ くう、か?)優しい目。あるいはご夫婦か。俳句が奥さんのものだったら楽しいな。私がいわきの海水浴場で泳いでいた中学生の頃は、巨乳の女性など全然いなかった。気がつかなかったのか、それとも泳ぐ人が変わったのか。昔は食糧難で巨乳などなかったのかもしれない。
 
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