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▼みんなと同じく、ぼくにも、ささやかな信念があって、その一つがたとえば社交辞令やお世辞は言わないことだ。
それから、事態がよくないのに「うまくいってる」などと誤魔化さないことも、ささやかな姿勢として、ふだん貫いている。
そのうえで、申したい。
ぼくのこの小さな個人ブログは今、大丈夫です。
コメント欄をどなたにも開放し続けている以上は、あまりにも根拠なき中傷の書き込みもあるし、卑劣な、こころの疲れる執拗な嫌がらせもある。
さらには、外国の勢力と思われる書き込みまである。
わたしたちのこの祖国は、ある複数の外国から、見えない侵攻をたった今、受けている。
それが戦争なら、軍事侵攻なら、悲惨であっても、眼にみえる。
ところが、いま現実に受けている侵攻は眼にほとんどみえない。
だから、骨の髄までぞっとするほど恐ろしい。
このごろコメント欄をにぎわせている論争は、基本的には、その眼にみえない侵攻をもきちんと意識して、それにどうやって対抗するかを、みんなで議論している。
あるいは、根拠のない中傷や、卑劣な嫌がらせに、どうやってフェアに向かいあうかを、みんなで議論している。
だから、どれほど議論が激しくても長くても、大丈夫です。
▼おおくのひとが、自分の得には何もならないのに、フェアネスを、ただの個人ブログのコメント欄で確立しようと苦闘している。
ぼくは胸の奥で感謝し、その無償の努力に深く敬意を払っている。
たとえば、HAYABUSA2というハンドルネームのひとは、ぼくは講演の聴衆のなかに、きっとこの青年だろうと思う輝く眼をみつけたことがある。
おのれの利益や虚飾のためでなく、祖国と世界をよりよくすることに役立ちたいと、本気で願っている若い魂を、その眼のなかに、ぼくは見つけたと思っている。
祖国よ、あなたは、いい若者を持っている。
書き込みが長くともいい、短くともいい、引用句があってもいい、なくてもいい、ミクシィをはじめ他のコミュニティへの誘いがあってもいい、それを断ってもいい、みんなの目指すものは、この小さな個人ブログの開放されたコメント欄にフェアネスがありますように、という目的で一致しているじゃないか。
ぼくは社交辞令は言わない。こころにないお世辞は言わない。
社交辞令やお世辞は、ひとを思うのでなく、自分を有利にするためにだけ使われることがあるからだ。
他のかたが、社交辞令やお世辞を言うのは、かまわない。それは、そのかたの選択だ。 ただ、ぼくは言わない。
それから、悪い事態を、問題ないとは言わない。
ひとを思うのではなく、事なかれ主義で自分を守っているだけのことがあるからだ。
そのうえで、ぼくは思う。
アンフェアな書き込みや、外国勢力による書き込みがあるという現実に対して、みんなで頼まれもしないのに一生懸命に、どうしようかって考えて議論が白熱する。
なんて素晴らしいことかな。
そう、思いませんか?
神無月の二十八日 午前二時まえ 静かな夜ふけに原稿を書き続ける、そのあいまに
(写真は、ことしラオスに入って、メコン河に近い古寺を訪れたときに撮りました。金色に輝く大仏さまの、その背後に、ひっそりといらっしゃった仏です。みあげる角度によって、驚くほど活き活きと笑っておられたり、厳しさをありありと漂わせた瞑想の表情だったり、おなじ仏の一つのお顔がまるで違ってみえることに、驚嘆しました。
はっとするほどに美しい胸をした、永遠の仏さまです。
ぼくはラオスと日本の新しい連携を本気で考えています。)
いま、拝読いたしまして、勇気が湧きました。
実際、もう書き込むのをやめようか…以前のようにロム専門に戻ろうかと…思っていた矢先に、一条の光です。
有り難う御座います。
この場がフェアネスである事を、これからも祈り続けます。
失礼いたしました。
いつも勝手に「アンカー」の文字起こしをさせていただいている大阪の主婦です。
私のようにネットでぼやいているだけの主婦とは違い、青山さんのように実際に日本国のために具体的な行動を起こされている方にとっては、本当に日々神経をすり減らすような思いでいらっしゃるのだろうなと、お察し申し上げます。
思えば、他の著名な方のブログは、その方の意にそぐわないコメントは削除されたり、そもそもコメント欄を開放してらっしゃらない場合もある。それに比べれば本当にここは自由な空間で、青山さんの度量の広さ、懐の深さ、そんなものを感じずにはおれません。一読者として心より感謝申し上げます。
さて、そんな青山さんにまた一つ、心ならずも「頭痛の種」を提供してしまうことになるかもしれませんが、先ごろ拙ブログにてこのようなアンケートを行いました。
【アンケート】「日本は核武装すべきですか?」結果と全コメント(1)
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid569.html
【アンケート】「日本は核武装すべきですか?」結果と全コメント(2)
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid570.html
拙ブログは保守の読者様が多いとはいえ、私の予想を超えた結果が出ました。
中国の軍拡は言うに及ばず、北朝鮮の核実験、ロシアも覇権主義の顔を表に出し始めた、さらに米国による北朝鮮のテロ支援国家指定解除が追い打ちをかけたのではないかと、個人的には分析しています。
朝夕かなり冷えこむ季節になりました。お風邪などお召しになりませんように。
先日の憲法タウンミーティング、枚方市樟葉に続いて2回目でしたが、今度は更に運良く最前列の席に座る事が出来ました。
青山さんの身体全体から覇気が、ものすごく力強いものが出てるような、そんな感じが伝わって来ます。
直にお目に掛かれたのは、サイン会を含めこれで3回目ですが、この感覚は3度とも同じです。だから確信しています。
今年は12月にあと2回、青山さんの言葉を聴きに伺います。
段々寒くなってきます。お身体に不調が来ないことをいつも願い祈ります。
怒りではないエネルギーに満ちた静の姿、信念。
明日から真似してみます。
同時に、mixiであろうと、ブログのコメント欄であろうと、公を維持するのに必要なのは公を守ろうとする意志であり、それはその器の大小方円には関係ないのだと、私は考えます。
夜もだいぶ涼やかになってきました。
お体には十分お気を付けくださいませ。
そんな風に深く広く
暖かく全てを赦して下さるみほとけのように
みんなを包んで
見守って下さるのだろうなと
感じておりました。
だから みんなが真実の気持を徹底して語り合えるのですね。
いつも遅くまでお疲れ様です。ブログが更新され、>ぼくのこの小さな個人ブログは今、大丈夫です。との一文を見つけ、大丈夫だと思いつつも、ほっといたしました。いろいろ心苦しい点がありましたので。
私がこのコメント欄で、青山さんに対して頻繁に使わせていただいている言葉に『私淑』というものがあります。念のために申しますと、私(ひそ)かに淑(よ)しとすることで、「直接の教えは受けることができなくても、その人を敬愛し、慕い、考え方、著作などを模範として学ぶ、師と仰ぐ」といった意味です。
出典は孟子の離婁下で、「直接には孔子の教えを請うことができずとも、書や言い伝えによって何代にもわたって学ぶことができる」というところからの成語です。まさか自分を孟子に見たてるべくもありませんが、新エントリー内の余りに過分なるくだりを発見した時は、どこかに身を匿したくなるほどでした。
『私淑』は、私の青山さんへの偽らざる気持ちを表現する時によく使う言葉ですが、ここを訪れる皆さんも、きっと同じような気持ちでいらっしゃるのではといつも感じていました。
どこそこが宗教的だの何だのと話題になった時にこの話をすればよかったかもしれません。師と仰ぐのと教祖と仰ぐのとでは根本的に違いますからね(笑)。
それにしても近畿大学経済学部の皆さんや講義に出席できる方々は、頻繁に青山さんの親炙(直接教えを受けること、同じく孟子)に浴することができるわけで羨ましい限りです。
私は引続き「深淡生」コミュ内でテキスト化していただいたものを拝読させていただきます。何度もしつこいですが皆さんのコミュ維持、更新への無償の努力には感謝しています。
>ラオスと日本の新しい連携…。
今年、タイ、カンボジア、ラオスに行かれた時のエントリーを久しぶりに再読しました。北にメコンを遡れば、ラオスの一党より遥かに強大な中国共産党が支配する独裁・軍事国家があり、大地震の爪痕がまだまだ残る四川までは直線で数百kmですね。
ラオスとの新しい連携に関するお話もいつかお聞きすることができれば、と楽しみにしております。
ご迷惑でしょうが(笑)、これからも青山さんを『私淑』させていただきます(たまには親炙させて下さい)。目覚めつつある日本国民のひとりになれるよう、誇りある草莽として、皆さんと一緒に考え行動させていただきたいと思っています。
今朝の空は一段と爽やかな秋晴れでした。
青山さんのブログへ参りましたら、
素晴らしい佇まいのラオスの仏さまが
静かに出迎えて下さってホッといたしました。
青山さんが出会ったお写真にあるスッとした表情の
仏さまは、青山さんと出会えとてもお喜びになって
おられるように感じられます。
秋晴れの朝に、
ひときわ爽やかな光を…ありがとうございます。
青山さんの「オンザロード」にてのこれからの
流れを照らしてくださっているようです。
ささやかな己の力ながら、この大切な青山さんの提言のために、これからも己を律していきたいと改めて思いました。
青山さんの言葉が正しく広く伝わり、本来あるべき自立した国家の実現が、自分生きている時代に到来するといいなと思います。