みなさん、明けましておめでとうございます。
…何がめでたいのかなぁという声も、ときどき聞きますね。
その声はよく分かります。
「門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」
一休さんこと一休宗純師が、室町時代にもう、こうして軽く皮肉っているぐらいですから。
一方で、この頃ぼくは、こう思うのです。
一年という短いあいだに、若いひとも老いたひとも、ほんとうは、ずいぶんと亡くなる。
自分や、自分の身の周りは無事でも、すこし視野を広くすると命は簡単に、驚くほどあっさりと失われている。
あるひとが、年齢や立場などは関係なく、どうにか一年を生き切って新しい年を迎えたのならば、もしも仮にその新年の最初のうちに世を去るとしても、やはり、めでたいことなのではないか、と。
ある一年を、丸々フルに生き切る、それは実は奇跡なのだろう、と。
▼昨年は、この地味いっぽうのブログを尋ねていただき、ありがとうございました。
ここは、ほんらいはぼくの個人的な呟きの場所です。しかし今はもう、胸のうちをいつもそのまま吐露できるとは限りません。
すこし哀しいことではあります。
しかしメディアや仕事を通じて、社会や祖国、ときには諸国に向けて発信している以上は、それはやむを得ないことだと考えています。
発信者には、おのれを自制するという責任があります。
▼上に掲げたのは、ことし知友に向けてお送りした年賀状の文面、そのものです。
お送りする相手とのおつきあいの有りようによって、年賀状の文面を変える年もあるのですが、ことしは全てのかたがたに同じ文面を送りました。
だから、このブログを訪れてくださったかたがたにも、謹んで、同じ年賀状をお送りします。
(末尾の、独立総合研究所本社の住所・電話番号・メールアドレスなどはセキュリティのために、実際の年賀状とは違って「…」に変えてあります)
▼それから、きょうは、ぼくが参加しているテレビ番組の視聴者のかたに、残念無念のお知らせがひとつあります。
新年の「西宮戎神社の福男レース」への参加は断念しました。
去年の1月に、関西テレビの報道番組「ANCHOR」に生出演しているとき、ちょうどこの福男レースのニュースをやっていて、そこで「来年は、ぼくも出ます」と約束したのに、それを破ることになって、とても申し訳なく思います。
右足甲の骨折が、まだ完全には治っていないのです。
ときどき無意識に軽く駆けだしたりは、しているのです。実際は、けっこうなスピードで走っているのかもしれません。
ところが、ジムへ行きバーベルやダンベルを挙げて、そのときには足に痛みはほとんどないのに、そのあとプールで泳ぐと、あぁ完治はしていないなと分かります。
ブレスト(平泳ぎ)をして足で水を蹴り出すと、ぴりぴりと電気仕掛けのように、右足甲に痛みが走ります。
フリー(クロール)で、足のビートを使わずに腕だけで泳いでも、同じです。
だから福男レースで全力疾走するのは、やはりまだ無理です。
参加する以上は、全力疾走したいので、きっぱり断念します。
福男レースへの参加は、そもそも反対するひとばかりだったから、みんなは、ホッとしているようです。
本人は、はなはだ残念です。
なにより、約束を果たせないのは、無念です。
ふひ。
▼さて、年初にいちばんお話ししたいことを、すこし述べたいと思います。
昨年末は、わたしたちのこのただひとつの祖国が、政治と経済では中国の、安全保障ではアメリカの、エネルギーではロシアの、それぞれ属国にゆくゆくはなりかねない最初の予兆が顕れたと考えています。
日本国が、二千年の誇りある永い歴史のなかでただ一度、1945年の夏に戦いの敗者となってからは、勝者アメリカに過度に膝を屈しつづけ、依存しすぎた国造りでありました。
そこから脱しようと、志のあるみんなが努力している、そのさなかに、新たに日本が引き裂かれ、いずれは三つの大国の属国になり果ててゆく。
それが思い過ごしではなく、リアルな現実として始まりつつあることに気づく2007年末だったのではないでしょうか。
したがって、ことし2008年、平成20年は、われらの子々孫々に、独立し自律する日本国を残せるかどうかの、ほんものの分かれ目だと思います。
こころあるひとたちと共に、ぼくも、おのれが非力そのものであっても、その力は尽くし切ります。
それが、ことしに果たす、約束です。
みなに福をお贈りする福男、それになるレースに参加する約束は果たせませんでしたが、こちらの約束は、足が折れようが、これから腕を折られようが、眼を塞(ふさ)がれ、耳を奪われようが、果たします。
テロリスト国家の独裁者に拉致され人生を奪われた同胞(はらから)は、最後のひとりまで取り返す、たったひとりの同胞の人生も見捨てない、それだけが、わたしたちの国民国家、日本の解決だ。
この主張を黙らせようとする圧力に、屈しない。
この主張は、ひとりぼくだけの声では、ゆめ、ないでしょう。ふつうに日々を生きる、ふつうの感覚の国民のなかに広く、素朴にあるフェアな声ではないでしょうか。
その声を今や、小ずるく避け、かしこぶって無視し、専制的に黙殺しつつ、ある政治家や官僚たちと語らって、それぞれの小さな欲と野望を実現しようとしているかにみえる、元は(社交辞令ではなく)立派だったジャーナリスト、学者ら有識者に、あくまでも礼節をもって告げたい。
この祖国は、あなたがたのものではない。
救出を待つ、最後のひとりと、そのひとりに最後まで一生懸命に、手を、腕を、こころを、魂を差しのべる、決して少なくはない国民のものだ。
どうか思い出してください。お願いだから。頼むから。
小泉訪朝団を乗せた政府専用機が、平壌の空港に降りたって、尾翼の日の丸が、日本でテレビ画面を通じて見守るわたしたちの目にもはっきり赤く、見えたことを。
若いまじめな留学生だった有本恵子ちゃんを奪われた母、有本嘉代子さんはこのぼくにも、神戸の自宅でお会いしたとき、こう叫ぶようにおっしゃった。
「娘が、あの飛行機を見たとき、日の丸が(尾翼に)付いておりました。あの日の丸を見た時にどんな思いがしただろうと、今、思っております」
囚われの地で、もしも日の丸を見たなら、これで私だけが救われると思う被害者はいないでしょう。
あぁ、みんなが救われると、そう思うでしょう。
情緒だけで言ってるのじゃない。
リアリズムで言っている。
ただひとりでも見捨てたら、わたしたちの日本国はもはや国民国家ではなくなる。言葉の綾じゃない。必定の現実として、国民が主人公の国家であることが、永遠に喪われる。
そんな国を、子々孫々に渡せますか。
同い年の青山さんに親しみを感じつつ尊敬し信頼させて頂いております。
確かに命というものは限りあるものだと痛感し 毎日を大切に感謝して過ごそうと年の初めに強く思いました。これも青山さんからのパワーを頂いたからです。
青山さんのテレビでの発言の影響力などできっとストレスも大変でしょうがどうか私たちにテレビやマスコミや新聞では分からない真実を伝えて下さいませ。
私たちの日本が間違った方向に行かない様にする為に。いつまでもどこまでも応援していきます。
心機一転という感じのデザインと文章ですね。
何かがすぅっと落ちたか去っていった、清々しさを感じました。
昨年は青山さんを通じて 自分というものを再発見できた気がします。
今年は、この国のためにささやかながらでも、何かを働きかける年にしたいと思っています
しかし、今年もやはり攻められるのでしょうね、国政選挙が起こる2008年、その結果である後の世界。2010年に日本が二本の足でしっかり建っていてほしいものです。
ブログのデザインが、ずいぶんシンプルになりましたね。
イラストの雪景色にも静かな決意が表れているように感じられます。
昭和天皇が亡くなられた日、結婚前の旦那と皇居に記帳に行きました。
あれからもう20年も経ったんだねと、お雑煮を食べながら感慨に
ふけっておりました。小渕さんが、平成という文字を高くかかげていた
映像もすぐに頭によみがえってきます。しばらく後に書かれた青山さんの
「平成」が、これらの記憶を補完いるかのようです。
20年といえば、人間が誕生して成人するだけの時間ですが、日本の国も
少しは成長しているように思います。何より、青山さんのような方が、
日本の国をよくするために力を尽くされておられ、ネットという媒体を
とおして、その存在を身近に感じられるようになりましたから。
新しい作品も楽しみです。
時代の節目節目には、青山さんの文学がさらに輝きを増すように思います。
福男レースはわたしも残念に思いますが、青山さんの勇断を尊重しております。
早い完治を祈っています。
今年も青山さんのご健康、ご活躍心よりお祈り申し上げます。
きのう、関西テレビの正月特番、九州の故郷より拝見しました。アンカーもこちらまで放送してほしいのですが、青山さんの講義がああして関西圏以外でも見れるだけでも何かが変わっていけば良いなあと思いながらの時間でした。
自分なりに勉強をまた深めたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。
私は、命をかけて日本国のために戦っている青山さんを心から尊敬しています。
どうか、今年も青山さんが健康で、ますますご活躍されますように。
どうか、より多くの国民にその思いが届きますように。
以前、拉致問題(小泉訪朝)について、産経新聞の阿比留瑠比記者のブログにコメントを投稿した際、つぎのような返信を頂きました。
「小泉氏も福田氏も古川貞二郎氏も、外務省もみんな(拉致被害者)家族のことを『可哀想な人たち』『自分の家族が帰ってくればそれで喜ぶだろう』と勝手に決めつけていたように思います。」
しかし、たとえ政治家や官僚、あるいはジャーナリストや有識者が分かっていなくても、心ある国民は分かっています。
かつて青山さんは、拉致について「ごくまっとうに生きてきた庶民を、北朝鮮というテロ国家が突如、理由もなく死よりも苦しい痛みのさなかへ突き落とすという、世界にも類例のない、許されざる悲劇」と表現されました。この認識はわたしが拉致問題について考えるときの根っこの部分を規定してくれています。だから、わたしは拉致問題でブレない、ふつうの感覚の国民となれました。
北と深く結びついている人間はともかく、一般国民はきっかけさえあれば、覚醒すると思いますし、そう信じたいです。
>ことし2008年、平成20年は、われらの子々孫々に、独立し自律する日本国を残せるかどうかの、ほんものの分かれ目だと思います。
「独立し自律する日本国」、その第一歩は拉致問題の“真の”解決しかありえないでしょうね。(因みに、わたしのハンドルネームは『修身要領』からとっていますが、「独立自尊の人」に一番ふさわしいのは青山さんだといつも思っています)
青山さんの「ことし作家としてただ一度の再生をはかる」という誓いと比較すると、低レベルなものになってしまいますが。ことしわたしは研究者としての誕生ともいうべき、処女論文(歴史学)を完成させることを誓います。
最後に、今朝の“ニュースの見方”拝聴いたしました。まさか塩爺の名前が出るとは…。今年初めて青山さんのナマの声を聞けた朝に感謝しつつ、日本にとって幸多き年とならんことを祈念して。(『ジパング』、必ず買います)
ところで、私には大阪でマンションや倉庫の賃貸業をしている知り合いが何人かいるのですが、その賃貸マンションを借りてる人が2年程前に北朝鮮のスパイ容疑で公安警察に逮捕されたそうです。某大手電機メーカーの社員だったそうで、公安警察はこういう人がこの会社にはまだ何人かいるがすべて把握していると言っていたそうです。
これを聞いて公安警察もなかなか捨てたものではないと思ったのですが、考えてみればスパイ防止法がないために僅か2週間しか拘留できないんですよね。公安警察がいくら頑張ってもこの国では報われないと思いました。
また、賃貸倉庫は不景気のため空いてるところが多いのですが、朝鮮系の会社が甘い言葉で契約を結ばせて、契約を打ち切りたくなったときにいろいろと文句を付けてきて乗っ取りを図ったとのこと。
倉庫の持ち主が顧問弁護士に相談したところ、相手が怖いので辞めさせて欲しいと言ったそうです。
弁護士ですら外国勢力を恐れなければならない国家とはいかがなものかと思いました。
ほとんどの日本人はこういう事実が頻繁に起こってることを知らないから安心しきっていて、青山さんの言うことを信じない人もいるのだと思います。
マスコミには日本国民の生活を脅かしかねないこういう事実があることをもっと伝えて欲しいけれど、たぶん無理でしょうから、青山さんに大いに期待しています。
この平和ボケ国家の日本人はなかなか目覚めないと思いますが、何とか半分ぐらいでも目覚めさせてやって下さい。
私は愛国者です、しかし真にこの国を今は誇れません
いったい誰が我が祖国をこのような惨めな姿にしたのでしょうか?
私は思います・・・すべては我々日本人自身の弱さによる物だと。
拉致問題は明らかなテロ行為だと私は思います。
しかしお偉いさんたちは「返せ!」と力強く言おうとしない、いつまでこんな事を続けるのでしょうか?
古く、無能なる者達による政治を終わらせてください
いえ、終わらせなければならない。
日本の未来の為に