敬意と決意

2012年02月22日 | Weblog


▼みなさんご存知の通り、きょう2月22日は竹島の日です。
 わたしたちの竹島は、西暦1905年、明治38年の1月に島根県への編入が閣議決定され、その年の2月22日に島根県知事が島を所管することを日本と世界へ明示する「島根県告示」をおこないました。

 この日を、今から7年まえに「竹島の日」とする条例を制定した島根県議会、これを支持した島根県知事、そして島民みんなで竹島をフェアに取り返す最前線に立ち続けている隠岐の島のひとびとに、あらためて深い敬意を表します。


▼そして現在の竹島は、実用化にもっとも近い良質のメタン・ハイドレートを抱擁している日本海の一部として、世界の注目を実際には浴びています。

 去年7月に英国・エディンバラで開かれた国際ガス・ハイドレート学会に参加したとき、ぼくや青山千春博士、独研(独立総合研究所)の研究員が確認したのは、竹島を侵略している韓国が、その竹島の南の海底にも豊富に賦存するメタン・ハイドレートを2014年に実用化するという発表をなし、アメリカ合州国(※合衆国は上手すぎる誤訳)のDOE(エネルギー省)が資金援助しているということでした。
 ぼくはそれを、関西テレビの良心派の報道番組「スーパーニュース・アンカー」で、視聴者・国民に伝えました。

 ぼくと独研は、これからは、たとえば自治体との連携を強化して、この日本海のメタン・ハイドレートの研究開発に、新しいアプローチから取り組みます。
 なぜなら、竹島の問題も、隠岐の島を中心とした漁業者のかたがたの漁業権や生活権を韓国が侵し、日本政府も自民党政権、民主党政権を問わず、漁業者のかたがたや日本の国際法上あまりに正当な主権を護ってはこなかったという問題に加えて、まさしく、ぼくらの祖国の現在と近未来、未来を決するエネルギー・資源の問題であることを、日本国民により分かっていただくことに、寄与できると信じるからです。

 朝日新聞や一部の評論家、学者などが主張する「竹島はただの岩だから韓国に渡してしまってはどうか」という主張がいかにリアルな現場を知らない、現場を踏まない、愚かな考えであるか、それを、日本海のメタン・ハイドレートへの取り組みを通じて自然に、公正に、国民に理解していただきたいと願います。
 そして、日本海のメタン・ハイドレートの実用化を良きインセンティヴ(刺激)として、同じく日本国の建国以来初めての純然たる自前資源である太平洋側のメタン・ハイドレートの実用化を願う、和歌山県をはじめ太平洋側の自治体とも連帯していきたいと考えています。





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28 Comments

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出張お疲れ様でございます (clueless)
2012-02-22 13:14:22
お忙しい中にお邪魔して申し訳ございません。

やっと卒業証書を書き終えました。
重責から解放されてホッとするやらそれを受け取る
生徒さんたちにあのような字で申し訳ない、
その出来に完全には満足できず書き上げねばならなかったこと本当に申し訳なく思っています。


この前の前の更新を拝見して、私もその方と
同じような愚かなコメントを送っていたんだ
と大変恥ずかしくどんなにか青山さんの疲労に疲労を誘ってしまっていたのかと思うと、
いたたまれない後悔の気持ちで、本当に
文章をかくという事はこちらがそのつもりはなくても
よほど吟味してから送信しないと誤解されたり
勘違いされたりする文にうっかりなってしまうことがある、そうならない自信もない
二度とコメントはしないでおこう
と思ったのでしたが、ご多忙な中にも
こうして更新してくださった事の内容が
今日私が政府、省庁宛に送ったメールと
偶然にも通じており、私も私なりの思いで
日本をよくするため、また青山さんや独研の
皆様や同様のご努力をされておられる方々の
決意や行動に、私の様な者がそれでも、
応援なり賛同なりの気持ちをやはりお伝えしたい、と強く思いました。


今日と来週2週続けてアンカーでお目にかかれないことは
さみしいし残念なのですがどうか海外ご出張で
思う存分のお仕事が果たされますよう、よい
成果や希望が持ち帰られますように、想っております。

寒暖の差でご体調を崩されませんように
お願いいたします。

昨年の今頃は手術の後でしたでしょうか。
独研にチョコと同送でわずかなお見舞いを
(本当は法律上いけない事でした)
しのばせたことを思い出しました。
ちゃんとお手に渡っているでしょうか。
とにもかくにも大変なお体の節目を経験され
休養が必要なはずの時期を、まったくとらずに
お仕事に忙殺されて今に至っておられること
前にもましてご多忙に輪がかかっていること
言葉がありませんがその激務にこの国の
政府機関は応えていただきたいです。
そのくらい青山さんのご本に書かれていることは
無視できないものではないでしょうか。
青山さんや独研のご提案や研究は実を結ばないといけないものです。

ご本、いまさらですが昨日、豊中の緑ヶ丘の
イオン敷地内にある大垣書店に、入って
すぐ右側に9冊平積みされてありました。
おのご本をたくさんの方が手に取り、そのお志を
しっかり受け取って、ただ読むだけでなく
行動していただきたい、そんな思いでいっぱいです。

思いつくままに書き連ねみぐるしく申し訳ございません。
またしてもお目苦しいところがありましたらお許しくださいませ。

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断固 (スズメ隊長)
2012-02-22 15:19:20
断固支持
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Unknown (老眼)
2012-02-22 15:49:17
青山さんは、まだインドネシアにご滞在でしょうか。お疲れさまです。

ちょっと印象に残った一文があったので、コピーしてお送りします。


~両陛下は福島入りすると、まず福島市の、次いで相馬市の被災者をお見舞いされた。相馬市の中村第二小学校でお見舞いを受けた主婦の阿部千恵さん(35歳)は、今でも 皇后さまから掛けていただいたお言葉が忘れられないと話す。
皇后さまが、幼い息子2人と一緒にいた阿部さんのそばで正座をされ、「(地震、津波の時は)子供たちと一緒だったのですか」と質問された。 阿部さんが「下の子は一緒にいたのですが、上の子は学校に行っていたので、 捜しにいって連れて帰りました」と答えると、皇后は目に涙を浮かべるようにして、 こう言われたという。 「子供たちを守ってくれてありがとう」

阿部さんが振り返る。
「私はその言葉を聞いてハッとしました。地震や津波の時には、ただ必死だっただけですが、皇后さまのお言葉を聞き、もっともっと子供を大切にしなければならない、もっともっと必死に子供を守らなければならない、と思うようになりました。 そのことを皇后さまが気付かせてくださったのです」


同じく中村第二小学校でお見舞いを受けた菊池祥子さん(41歳)も、 皇后さまに「忘れられないひと言」をもらったひとりだ。
菊池さん一家の場合、夫婦も3人の子供も全員無事だったが、自宅も夫が経営する和食店も津波に呑まれた。小学校や保育園に子供を捜しにいった時、実は津波がほんの 数メートル後ろまで迫っており、そのことを後で知ってゾッとしたという。
「一番下の6歳の娘に『これから天皇陛下と皇后さまがいらっしゃるのよ』と話したら、
『あ~、わかる。日本の父と母ね』と言うので、どこで覚えたのだろうと驚きました」

菊池さんは両陛下のためにと座布団を2枚用意していたが、皇后さまだけが来られた。
菊池さんが危機一髪で助かったことを話すと、皇后はこう言われたという。
「生きていてくれてありがとう」

菊池さんが振り返る。
「予想もしないお言葉だったので驚きました。ただ生きているというだけで 感謝していただいたのです。実は当時は何もかも失ってしまったという喪失感が あったのですが、皇后さまのお言葉により、“そうか、生きていること自体が大切なんだ” と思えるようになったのです」
※SAPIO2012年2月22日号~
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竹島の日ですね (ひめじ くご)
2012-02-22 16:07:59
青山さん

私のツイッターのフォロワーさん方の多くが、今朝から「今日は竹島の日」というツイートをされております。

インドネシア出張、お気をつけて。
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Unknown (コナコナコロン)
2012-02-22 17:44:01
素晴らしいエントリーをありがとうございます。
今日はネコの日だとか騒いでいるテレビ番組などを観ると本当に嫌になります。
こういう文章に触れると背筋がピンとなります。
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Unknown (南大阪の田舎者)
2012-02-22 17:53:37
こんばんは。
僕ら民間の人間も何か出来ることを考えたいですね。

尖閣や竹島について僕はちょっとたわけた事を考えてました。

難しいことですが、小麦は畑でも育てられます。それと同じで、多少品種は変わっても
水の要らない陸稲や沖縄でとれるような野菜などをなんらかの形で現地で栽培できないだろうかと……。今の所机上の空論に過ぎませんが…。
漁に関しては、竹島は魚がいなくなったというのであれば、養殖とか出来ないだろうかと……。こないだも竹島や尖閣に住むという事を(どなたか)言われて思いますが、
民間レベルで考え得るとしたら、まず住んで自給自足が出来ることを考えないといけないかな~と。でもこれ民間だけじゃなくて自衛隊の方々にも必要な事なんですけどね・・・・。

尖閣は、農業には向かないって書いてたと思いますが、草や木が少しでも生えてるってことは、なんらかの作物を育てることは、不耕起栽培なら可能だと思います。
現場に行ってないのでなんともいえませんけど
でも竹島はその気になれば野菜作りは可能だと思うので・・・・というか昔は完全に住んでたんですから、出来るでしょうね。
民間で出来るとしたら、そのくらいしか思いつかないです。他に何かアイデアはないものでしょうか?
住むためには産物を造りたいですね。

上関原発になりかけてる山口の祝い島なんてのは、海の幸ひじきや牡蠣、魚が入れ食い
山はびわの木がなって両方とも人気があるようです。尖閣は判りませんが、竹島の方は
やり方次第では、可能性あると思います

そうして人が住めば海自や海保が護らねばならなくなります。

今の国会議員は当てになりません。自治体と連帯をとって、やってほしいです。
本音をいうと、税金全部地方で受け取ってもらって、警察・海保と自衛隊などの最低限必要な部分以外は、地方で保持して霞ヶ関を兵糧攻めしてほしいところです。
今の国会議員に一部の例外を除いて給料なんぞびた一文やりたくないです。
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領土返還 (ピンクちょうちょ)
2012-02-22 18:05:36
青山氏を日頃テレビ出演で拝見してます隠岐の島島民の30代の主婦です。今日は竹島の日ですが残念な事に一番近い場所に住みながら何をしたらよいか悩んでいます。
先ずは問題意識を持ってもらう人が増える事、竹島をめぐる両国間の正しい歴史を知ることだと思います。
正しい歴史が分かれば問題は日本の領土を不法占領しているのだと分かるはずですがー
驚く事に、来年度の中学校の社会の教科書も隠岐の島町教育委員会により東京書籍を採用したと聞きました。

メタン.ハイドレードの資源があるとの情報は日本国民の意識を駆り立ててくれると信じたいです。

いま母親として子供の心を育てる役目の私は単純に、人の物を無断で取って喜んでいる事が許されるかor許されないか正しい答えを示したいのです。
いくら近隣諸国に恨まれていても日本領土は中国、ロシアそして韓国の民にとっての恵みの土地ではなく日本人の土地です。

過激な交渉は反日団体の右翼と思われるので、お人好しではなく、大和魂と冷静さを持ちフェアな交渉をする事が最善だとおもいます。
国家観念を持ち、恐れる事なく、多くの若者が立ち上がってくれることを隠岐の島より願っています。
青山氏の勇気ある活動に日本人として感謝しております。


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ぼくらの祖国(長崎から) (森 雄一郎)
2012-02-22 18:35:19
お疲れ様です。
はじめてお便りします。

長崎の書店にて「ぼくらの祖国」購入致しました。
第五刷発行版です。
長崎はなかなか、左側の方々が強い所ではありますが、
書店では平積ではありませんが普通においてあります。

私は長崎在住でありまして
なかなか青山繁春さんの番組をテレビで見ることが出来ません。
(非合法ながら、ネットにてニュースアンカー、マネーはよく見ています・・・)

「ぼくらの祖国」、
青山繁春さんのコーナーをよく見てますから内容についてはよく存じ上げていました。

長くなりますので本の感想は後程述べさせていただきます。

どうぞ、お身体に気を付けて。
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Unknown (ほそまゆ)
2012-02-22 20:21:06
ぼくらの祖国を読んでから、はじめて、映画「硫黄島からの手紙」と「父親たちの星条旗」を見ました。どの程度、史実に即しているのかは分かりませんが、この方々の犠牲の上に私が生きているのだと思い、心が苦しくなりました。

そして3/11以降、日本国民が意識し始めた「エネルギー」が世界の戦争とコインの表裏なのだということをひしひしと感じました。

今年こそみなで祖国愛を取り戻す年になりますように…。

「ぼくらの祖国」大阪の新石切駅そば、喜久屋書店に5冊再入荷してました!まだの方、ぜひ。
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祖国のためにありがとうございます (まる)
2012-02-22 21:18:55
青山繁晴さま

青山さん、今はどこにおられるのでしょうか?(もしや上空?)
お疲れが出ておられないことを望みます。

和歌山県をはじめ太平洋側の自治体とも連帯されるのですね。太平洋、日本海と分けることなく、日本の領土内のすべてのメタンハイドレートの実現化を強く強く希望します。

青山繁晴さん、青山千春博士、独研の皆様、いつもいろんな圧力や中傷誹謗を受けながらも祖国のために力を尽くしてくださり、本当にありがとうございます。私も微力ながらずっと応援して行きます。
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