もはや

2014年06月27日 | Weblog
▼今週の「水曜アンカー」(関西テレビ)では、「青山のニュースDEズバリ」というコーナーを非力なりに活用して、何を考えようとしたか。
 日本国民の真っ当な誇りを傷つけ、歴史の真実に近づくことを阻害してきた「河野談話」の検証について、たくさんの国民から番組や、この地味ブログに問いかけが寄せられている。それを、根っこから考える試みをした。

 放送のあと、現在(6月27日金曜の未明3時ごろ)まで、とても多くの反響がかえってきた。
 どの声も、日本とアジアの現在と今後を、それぞれの考えから真摯に問う声で、不肖ぼくと一緒に考えようという姿勢がはっきりと伝わってきて、心強く思った。

 しかし、テレビ局と、テレビ局に視聴データを渡している業者によれば、この放送を視た国民は、とても少ないことになっている。
 今週の水曜日、この時間帯にテレビを視たひとは、そもそもニュース・報道という分野を視たひとが少なく、芸人さんの動向や、グルメ情報などなどを視て、ニュースはスポーツ関連だけ…というデータになっている。


▼では、世代、性別、職業を問わず、ほんとうにさまざまに、豊かにいただいた反響は何なのか。
 その多くが、「録画をセットしておいて、仕事や学校から帰ってきて視ました」ということだ。
「生放送で視た」というひとは、ごく少ない。
 それは当然だと思う。平日の夕方5時前から6時前の放送だから、昼間の勤務時間帯で働いているひと、昼間の学校に行っているひとは、視ることができないだろう。
 みんな忙しい日常なのに、わざわざ録画を忘れずにセットしておいてくださる、そのことに、ぼくは深い感謝と敬意を感じる。

 だけれど、こういう視聴者、国民は、テレビ局にとって、つまりは「存在しない」ことにされている。


▼こうした現象は、ずーっと続いていて、先週の「水曜アンカー」で、中国軍機が自衛隊機を狙った行動を再現する試みをしたときも、たくさんの反響をいただき、なかにはプロの編集者から「何が起きているか、初めて分かった」というEメールも届いた。

 しかし、テレビ局とデータ業者によれば、この放送も少数の人しか視ていないことにされた。


▼たとえば、この「水曜アンカー」の生放送は、400回に近づいている。
 400週だ。
 一週、一週、当然、甘受すべきこととして強烈なリスクと負担があった。詳述は致しませぬ。
 別の側面では、余裕のある海外出張の日程を組むことはできなくなり、ものを書く時間の多くを、水曜の準備、情報収集に回した。
 そして、ぼく自身、「水曜アンカー」に育ててもらった。感謝を捧げて、余りある。「水曜アンカー」という格別の機会をいただいたことに、生涯、「こころの底から、ありがとうございます」という言葉を胸のうちで呟くだろう。
 視聴者・国民がEメールで、お手紙やはがきで、この地味ブログへの書き込みで、空港や街中の笑顔の言葉で、日々寄せてくださる反響が何より支えになった。

 ぼくなりにテレビ局に、ずっとふたつの提案を続けてきた。
「録画して視てくださっているひとをキャッチするノウハウ、技術はあるのだから、こうした視聴者を居ないことにするのではなく、フェアに、あるいはごくふつうに、カウントすべきではありませんか」といことと、「放送内容をネットでも配信してはどうですか」、「それがどうでも無理だというなら、放送の一部でも配信して、多くの人がせっかく寄せてくださっている強い関心に応えては?」ということだ。

 しかし、常に、いつだって、ゼロ回答だ。
 前者については、スポンサーへの気遣い(* いったん「スポンサーの意向」と記したけど、おそらくは違う。スポンサーにちゃんとテレビ局がこの件で意見を聞いている形跡はない)、後者については著作権の問題、それが関係者の一部からはいつも強調される。
 ところが、わざわざ録画をセットして視てくださる熱心な視聴者ほど、番組を支えるスポンサーを実は応援してくれている。
 著作権も、「水曜アンカー」で言えば、生放送の画面に出てくる人間は、ぼく以外はみな局アナで、ぼく自身はとっくに「視聴者を最優先しましょう」と提案、明言している。
 もちろん、細かくはテレビ局にとっていろんな課題がある。けれども、国民に伝えるべきを伝えるという原点に立てば、乗り越えられないとは思えない。
 限に、同じ放送メディアでも、ラジオは、不肖ぼくが生放送に参加している「木曜ザ・ボイス」(ニッポン放送)は、番組の一部とは言えポッドキャストで配信している。
 テレビの人は「こっちは映像だから権利関係が難しくて」とおっしゃるが、難しいことを乗り越えて視聴者の側に立つことこそ、テレビマンの仕事、やり甲斐ではないだろうか。


▼さて、ぼくは、テレビマンじゃない。
 もちろん、タレントでも、職業的なテレビ・コメンテーターでもテレビ評論家でもない。
 実務を遂行するシンクタンクの独研(独立総合研究所)、その社長・首席研究員であり、ひとりの物書きだ。
 下手くそな発信に終始してきたけれど、テレビというメディアを通じて「一緒に考えましょう」というコンセプトはもはや、精一杯、お伝えしてきたとも感じる。
「ぼくのつたない話は、きっかけに過ぎません。日本国の主人公であるみなさんが、みずから考えてくださる、ひとつのきっかけです」というコンセプトだけは賢い視聴者、国民にある程度は届いたのではないだろうか。
 多くを期待するのではなく、それをもって瞑すべしだろう。



 これ以上、関係者にどう訴えても、問題提起しても、無駄だ。


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