Our World Time

これで、次は、小説なのです。ぎゃー、たのしみです。

2012年02月29日 | Weblog


▼いまパリ時間の2月29日午後2時半、フランス電力公社(EDF)の本社での議論を終えて、パリ市内の古いホテルのバーにいます。
 EDFは、シャンゼリゼの通りから、すこしだけ奥まったところ、あの凱旋門にも近い場所にあります。そこでの議論は、予想したよりさらに意味のあるものになりました。

 きのう訪ねたシュー原発でも、廃炉などの現場を克明にみたあと議論しましたが、ベルギーとの国境も近いシュー原発の現場では、英語が通じない場面も多く、いくつかは疑問も残りました。
 きょう巨大な多国籍企業であるEDFの本社では、さすがに昨日よりはずっと英語が通じて、シュー原発での疑問もかなり解けました。

 話題のひとつは、もちろん、福島原子力災害をどう捉えるかということ。
 日本人の奥さんを持つ、若手のEDF中堅幹部から、とても印象的で、本質的な質問も受けました。

 こういう成果は、さまざまに活かします。
 一切の費用を独研(独立総合研究所)が負担している、まったくの自主調査だけど…
 …内閣府の原子力委員会(そのなかの原子力防護専門部会の)専門委員や海上保安庁の政策アドバイザーといった公職を通じて政府に意見をするためにも活かすし、
 …独研が遂行している、北朝鮮によるテロの脅威などに真正面から対抗するための危機管理などの実務にも活かすし、
 …それから、独研から発行している会員制レポートには詳しく、ありのままに書き込むし、
 …そして、関西テレビの報道番組「スーパー・ニュース・アンカー」の「青山のニュースDEズバリ」のコーナーをはじめ、つたない発信にも活かすし、
 …いろんな講演会にも活かします。


▼さて、このホテルはたいへん古いのに、バーではモバイル・パソコンがネットにつながります。
 繋いでみて、かなり、驚きました。

 ひとつは、この地味ブログへの書き込みが多く、そして、たくさんのかたが新々刊「救国 超経済外交のススメ」(PHP)の出版をわがことのように、一緒に喜んでくださっていることです。
「何だ、その程度のサプライズか」と言われるかな、言われるだろうなと思っていたのに、びっくりです。

 さらに、アマゾンでもう、すでに予約受付が始まっています。
 そこには発売日が3月14日となっていて、実は「3月半ばぐらい」としか知らなかったので、これもびっくり。

 これらを見ていて、ふと気づいたのですが、補足しておくことが、ふたつあります。

▽ひとつは、この新々刊は、経済誌に連載していたコラムが元になっていることです。
 しかし、ありのままに申しますが、その元があったから急ぎ、発刊できるのではありません。
 この本がどうやってできたかは、その「救国 超経済外交のススメ」のなかに詳しく記しましたが、いったんすべてのコラムをバラバラにして、句読点の打ち方ひとつにも徹底的にこだわって全面的に書き直しましたから、白紙の状態で書いていくより、時間と手間がかかりました。
 ぼくは、白紙の状態で書くのは、とても早いです。
 どんな原稿でも、今回に限らず、見直しにこそ非常に時間を掛けます。

 PHPの編集者Sさんには、ひょっとして「元のコラムがあるのだから、青山さんに無理を承知で出版を提案しても、どうにかなるのでは」といった考えがあったのかもしれません。
 しかし、ぼくが逆に徹底的に時間と手間を掛けているので、びっくりして『このままでは、原稿があがってこない』と心配し、あえて紀伊國屋のイベントを企画したのでしょう。

 そして、おそらくは、今となっては「青山さんはなるほど、そういう書き手なんだ」とあらためて考えているのかもしれませんね。

 実は、このあと飛行機に乗って成田に着いたら、空港にその編集者Sさんが来ている予定になっています。
 そしてSさんから、「救国 超経済外交のススメ」のゲラを受け取り、深夜までにすべてのページに最後の赤ペンを手書きで入れて、ふたたびSさんに手渡すことになっています。
 サーカスに近いようなことです。

 しかし、この苦行をくぐり抜けたら、物書きとしては、今度こそ小説を仕上げられます。
「平成」のあと、7年間ほど抱えたままで、実はほとんど完成している短編をまず、仕上げます。
 登場人物は、25歳の女性と、80歳を超えたおばあさん、ほとんどそれだけです。


▽もうひとつは、紀伊國屋のイベントは、この編集者Sさんから来たEメールによると、参加費が1500円ほどかかるそうです。
 このイベントは、紀伊國屋とPHPのジョイント・イベントであり、費用の設定などに独研は一切、関与していません。
 サイン会ではなく、ミニ講演でもなく、1時間半の講演会のイベントだから有料になるようです。
 またいずれ、無料のサイン会(つまり、本を買う費用だけのサイン会)もきっと、ありますから、この1500円がちょっと苦しいかたは、その機会を待ってくださいね。

 こんなことを、あまり言ってはいけないのかな?
 書店と出版社からすれば、イベント開催の邪魔になるかな?
 しかし、遠くから高い交通費をかけて新宿まで来られるかたもいるようですから、お伝えしておきます。


▼この午後のバーには、わんこも来ているし、子供もいます。
 おもしろいですね。
 これもパリならでは、です。

 格納容器に入ったショックからか、高熱が出ている青山千春博士は、すこしだけは熱が下がり始めています。
 プロの科学者である彼女も、ふだんの専門分野とは違う分野の激しい議論や、苛酷な現場での実地検分は、たいへんだったと思います。
 ぼくは帰国しても休みませんが、独研の自然科学部長である彼女には、すこし休むよう業務命令を出すつもりです。

 さぁ、祖国へ帰ります。
 そして、まもなく3月11日が、めぐってくる。

 ぼくは去年の3月11日から、黒ネクタイを続けてきました。
 喪われた2万人近い同胞(はらから)に、ろくに何もできないぼくとして、せめて一周忌が終わるまでは、弔意を示したかったからです。
 お正月にも黒いネクタイだったために、ひとに、迷惑もおかけしました。
 この一本の黒ネクタイを3月12日に外します。
 そして、そこからこそが、勝負です。

 祖国よ、甦れ。
 独研よ、戦え。
 おのれよ、胸のうちの青春のまま、駆け抜けろ。最期の刻(とき)まで、駆けてゆけ。
 
 


これです!

2012年02月29日 | Weblog


▼いまパリ時間の2月29日午前3時55分です。
 きのうは早朝に、パリ東駅から、TGV(フランス国鉄の高速列車)に乗って、もうベルギーとの国境に近いシュー原発を訪れました。
 福島原子力災害をわたしたちが克服していくための、独研(独立総合研究所)の自主調査です。
 正直、費用がかかって苦しいですが、福島第1原発の冷却にも関わっているフランスでの現場調査、そして議論は不可欠です。

 このシュー原発は、加圧水型軽水炉(PWR)の廃炉作業を実行している現場をみてフランス側と議論するために、訪れたのですが正直、驚きました。
 軽水炉の、その格納容器の中に入ってしまい、蒸気発生器が取り外されてごろんと横になっているところとか、超エキスパートの作業員が、化学材や、それから手でごしごし拭くという除染作業をおこなっていところを直接、くまなく、すべての現場を案内してくれたのですから。

 世界の諸国の原発を見てきたぼくにとっても、廃炉作業中の格納容器の中に入ったのは、まったく初めての体験です。
 フランスは、諸国の中でも壁が厚く、なかなか原発の現場を見せてくれないのですが、いざ信頼したとなったら、こちらの専門性も充分に理解してくれて、本物の現場に丸々、入れてくれます。
 ぼくが民間人でも、一切、それは関係なかったです。
 フランスという国への見方も、すこし変わりましたね。


▼ちなみに、その現場をくまなく歩いた疲労は非常に激しかったのです。
 独研の自然科学部長として同行した青山千春博士は、帰りの列車内から吐き気を訴え、パリのホテルに帰ってからは凄まじい高熱を発して、ぶっ倒れています。
 ぼくは、いつものように疲れて眠いだけで、なにも変化はありません。

 考えれば、ぼくは去年2月の大腸癌で、検査のために総合計では、検査技師の話によれば160ミリシーベルトというかなり高い線量を浴び、去年4月15日に福島第1原発の周辺全域をくまなくひとりで歩いたことで、ふたたび浴び、その1週間後の4月22日に福島第1原発の構内に作業員のかたがた以外で初めて入って、また浴び、そして今回ですからね。

 ちと、放射線で誕生した怪獣の気分です。(ゴジラの気分なんて言うのは僭越なので、申しません)

 冗談はさておき、シュー原発でも、フランス側の線量管理は非常にきちんとしていたので、ほんとうはまったく、大丈夫ですよ。
 青山千春博士は、格納容器の中という凄まじい、想像を絶する雰囲気にショックを受けての高熱だろうと思います。
 このひとも、23歳のころに、日本女性で初めて大型船の船長の資格を取ったひとですから、帰国までには甦るでしょう。
 ぼくがずっと、ウォッチして、それなりのケア・看護もしているから、大丈夫です。


▼さてさて、サプライズのお知らせです。
 実は、いきなり、新しい本が出ます。
「ぼくらの祖国」(扶桑社)という新刊を上梓して、まだわずかな時間しか経っていません。
 自分でも、こんなに早く次の本を出せるとは、まるで思っていませんでした。
 タイトルは「救国 超経済外交のススメ」です。

 3月20日の祝日は、東京・新宿の紀伊國屋書店で、その新々刊の「救国 超経済外交のススメ」をめぐるイベントをやるのです。

 詳しいことは、まだ決まっていません。しかし、もう会場は確保され、イベントの実施、その直前の新々刊の発売は、もう決まっています。
…と、ここまで書いたところで、この「救国 超経済外交のススメ」を発刊する出版社のPHPの編集者Sさんから、独研の総務部あてにEメールが来ました。
 なんというジャスト・タイミング。

 それによると、こんな感じです(Eメールの文面の直接引用ではありません)。

▽3月20日(火、祝日・春分の日)、「救国 超経済外交のススメ」発刊記念トークイベント、「紀伊国屋新宿セミナー」(紀伊国屋書店・PHP共催)を実施!

▽青山繁晴の講演を14時より1時間半、やります。
 会場の紀伊国屋ホールは劇場で、300人ほど収容可能です。
 サイン会は、会場の使用時間に限りがあるためできませんが、代わりに、事前に青山繁晴がサインをした本を直売します。


▼ことしは元旦から、『こんな日程を人間がこなせるのだろうか』と真剣に思うほどのハードスケジュールになっています。
 だから、書きたい気持ちはたっぷりあっても、新しい本は当分、無理だと思っていたのです。
 ところが、PHPのひとりの編集者、すなわち上記のSさんの情熱にこころ動いて、原稿に取り組みました。

 そのために、たとえばパリに向かう機中はもちろん、パリに着いてからも睡眠もなく、風呂にも入る時間すらなく、食事は取らないと原稿を書くエネルギーも出ないから取るけれど、レストランでナイフとフォークを持ったまま身体をぐらぐら揺らして居眠りして、それを日本からの観光客のかたに写真に撮られるありさま。
(ちなみに、隣の席で青山千春・独研自然科学部長は、そんなぼく、つまり独研の社長をまるで気にせず、ばくばく食べていました。これは、いつも通りです。ふひ。もちろん、シュー原発に行く前のことですが、帰国までにそのような女船長に戻るよう、ぼくなりに手を尽くします)

 出張のほんらい任務に加えて、この原稿があるわけですから、こうなるのは当然の帰結です。
 ぼくは本来は、怠け者なので(謙遜じゃない)、かなり辛かった。

 しかし編集者Sさんのおかげで、すぐに次の本を出す決心をできたのだから、彼に感謝しています。
 ちなみに、前作の「王道の日本、覇道の中国、火道の米国」(PHP)と前々作の「日中の興亡」(PHP)は実はロングセラーになっていて、「王道の日本…」などはつい最近、Sさんのプッシュもあって8刷に達しています。

 去年の11月から年末にかけて、「ぼくらの祖国」を完成させるために5週間ほど、ベッドにも布団にも入らない生活が続いたのに、それをまた繰り返すようなことだから過酷すぎるナァ…とは思ったけれど、いったん決めたんだから、最後までやり抜いて、パリ時間のおととい、正直な感じとして奇跡のように、全文を脱稿しました。

 3月20日のイベントまでには出版されます。


▼「ぼくらの祖国」は特別な本です。

 売れる、売れないと言うより、これまで祖国を知らなかったひと、小中高校生、大学生、大学院生、そしてお父さん、お母さん、教師のかたをはじめとする大人たちに、ひとりでもたくさん、読んでもらって、福島原子力災害、東日本大震災の被害が発生から1年近くを経てなお、続くなかだからこそ、祖国を甦らせる小さなきっかけにしていただきたい。
 その祈りは、ぼくのなかで、なによりも強いのです。

 だから、この編集者Sさんに最初に話を聞いたときには、「ぼくらの祖国を読んでもらうことに集中したいから、まだ次の本は出さない」と断りました。
 すると彼は、プロの編集者として、こう言いました。
「それは違うのです。ここでもう一冊、出せば、書店に青山さんのコーナーをつくることも可能になります。『ぼくらの祖国』が、話題の割に書店に並ばないという現実を、傍観できないから、提案しているのです。ぼくらの祖国にも、きっときっと、プラスになります。事態を変えます」

 謙虚な人柄の彼は、実際にはもっと柔らかな言葉でしたが、趣旨はこうでした。
 ぼくはプロの言葉を尊重します。
 今回の、意外な、ぼくにとってもサプライズの展開は、そこから動き始めました。

 とはいえ、前述したように、年が明けてからの忙しさは、去年、つまり大腸癌をはじめ4つの大病があり、東日本大震災と福島原子力災害が起き、「ぼくらの祖国」という新刊を2年半ぶりに発刊した年よりも、さらに、はるかに忙しくなっています。
 だから、原稿はなかなか進みません。

 そこでSさんが大胆にやってのけたのが、イベント戦略でした。
 3月20日のイベント開催を、なんと勝手に、ぼくも独研も知らないうちに紀伊國屋書店と交渉して決めてしまって、「センセイ! みなさんがイベントを待っておられますよ、そのときに本がなくて、いいんですか」とぼくに迫ったのでありました。

 ぼくは、ふだんは、こうしておのれの自由意志を制限されるのが大嫌いです。
 ふつうなら、ぼくも独研も、これに大激怒して、話はおしまいです。

 しかし今回に限っては、彼の、もうひとつの小さな行動があったために、ぼくは赦し、そして、『こりゃどうしても3月20日までに本を出せるようにしないと』と、おのれをあらためてスーパー・フル回転させたのでした。

 その行動とは…ごめんなさい、それは立ち読みでもいいから、「救国 超経済外交のススメ」を見てください。

 写真は、その新々刊の装丁です。
 SさんからEメールで送られてきたものを、パソコン画面に出して、それをパリのホテルの一室で撮影しました。
 見にくいでしょうが、本物はいずれ、書店で手に取ってみてください。

 この装丁の原案は、いつものように、本文の書き手のぼく自身と、それから今回は長男の青山大樹くん(東大大学院)の合作です。大樹くんのアイデア部分のほうが強いです。
 それをもとに、プロが装丁化しました。
 Sさんは、最初ずっと、この装丁を拒否していたのですよ。
 うはは。