ひとつまえの書き込み「ふつうのこと」を一部、直しました。
書き込みの目的は、名古屋での、ふつうのひとびとによるデモ行進の志の清潔さ、高さを知ってもらうことと、参加者が一人でも増えることです。
いかなる組織や団体も裏にいないことを、まさしく評価していますから、特定の宗教法人(寺院)が主宰しているとは、まったく書いていません。正反対です。
僧侶も、ひとりの宗教者の良心をもって積極果敢にかかわっておられる、そのことの深い意義を込めて、具体的に記しました。
しかし一方で、デモ行進をおこなうにあたって、きちんと責任をもって「代表」、「代表補佐」を名乗り、愛知県警との調整などにあたり、無償の努力を重ねておられる市民がいますから、主宰者はそのかたがたです。
僧侶は参加者です。
そこで、そのように直しました。
ぼくに会いに来られた6人衆は、僧侶、サラリーマン、自営業、主婦、学生と、それぞれ立場や仕事は違っても、みな、はっとするような清潔な目をしておられました。
魂から、うれしく思いました。