Our World Time

断腸の記

2008年04月28日 | Weblog



▼作家、永井荷風の著名な日記に、断腸亭日乗がある。
 荷風の、何ものにも侵されぬ不羈(ふき)の生きかたと、強靱な文学を深く尊敬しているが、真似るつもりは、さらさらない。

 しかし、この頃のぼくの朝夕に名を付けるのなら、それは「断腸の日々」と呼ぶほかはない。
 朝に夕に、断腸の思いが、胸を噛む。
 おのれの非力、祖国の命運、世界の弱者、少数者の不条理、それらへの無念の思いが、かつてない鋭さで、こころに刺さり、また刺さる。

 空は、われらに青いか。
 子々孫々にも、青いか。
 いや、大陸より吹きつく黄砂や煙霧に侵されて、灰に沈む。
 やがて黒に沈む。

 海は、われらに青いか。
 子々孫々にも青いか。
 いや、半島から流さるる樹脂や核の吐瀉物に冒されて、灰に沈む。
 やがて黒に沈む。

 もはや、ただひとつの国にて清くあろうとしても、それはできはしない。
 チベットのひとよ、ウイグルのひとよ、拉致されたままの同胞、はらからよ、われらと魂で結べ。







▼なんだかすこし、悲痛な書き出しになりすぎてしまった。
 ほんとうは、この世にかりそめに在る日々を、もっと楽に書きとめていきたいし、ブログというやつは、ただ一人で書きとめるだけじゃなくて、広く遠いひとびととも自然に交信する。

 しかし、ぼくが、ささやかなりに携わっている仕事、あるいは責任を数えてみたら、55あった。
 したがって、ほんのちょこっと、書きとめるだけです。
最近のある一週間について、書いてみます。
 忘れられない日もありました。


▽4月19日土曜

 未明4時ごろ、大阪の定宿ホテルで、どうにか目を覚ます。
 ゆうべの就寝は、午前2時過ぎだったかな、就寝というより、パソコンの前でがっくり首を垂れていただけだ。

 眼をしょぼつかせながら、電子メールのうち、これはどうしても急がねばならないというものを選び、返信を書いてゆく。
 ほかのメールは無念の思いでいったん見送る。

 朝8時20分ごろ、ほかの部屋に泊まっていた、独研(独立総合研究所)の秘書が迎えにやってくる。
 その元気な顔に、ずいぶんと励まされる。
 ぼくは朝風呂にほんの短時間ながら浸かって、血を身体にめぐらせ、それなりに戦う態勢になっている。

 8時50分ごろ、関西テレビに入る。
 簡潔な打ち合わせを経て、生放送のスタジオへ。

 きょうは、日本の仏教界から初めてチベット抑圧に抗議する良心の声をあげた、書寫山圓教寺(書写山円教寺)の大樹玄承師が、ダライラマ法王の側近であったペマ・ギャルポさんと接点ができて、大樹師の訴えがチベットの人々に伝わっていくことから、つたない話を起こした。

 ほんらいの目的に集中し、ほんらいの志に生きて、死ぬ。
 いつものように胸のうちで、そう唱える。
 テレビ局のスタジオでの、ほんらいの目的は、ただ視聴者、国民に伝えるべきを伝えることだけだ。
 おのれがうまくやれるか、どうのこうのは、もちろん気になっていいが、目的じゃない。

 昼近くに、生放送が終わり、そのまま伊丹空港へ。
 午後2時すぎに羽田空港へ着く。
 きょうはテレビ朝日で「TVタックル」の収録があるので、空港から直接、テレ朝に行くのがいいのだけれど、このごろの心身の疲労を考ると、どうしても、どれほど短時間でも一度、自宅に帰りたい。

 空港から、海と富士山のみえる自宅へ。
 ほんの10分ほどひとりで寛いで、それなりにリフレッシュする。
 午後3時45分ごろ、テレビ朝日に入る。

 ぶったまと同じく、とても簡潔な打ち合わせがある。
 きょうは全編、中国問題ということで、日本にいる中国の学者とジャーナリストも出演される。
 顔馴染みのディレクターが、ちょっこっとぼくの待機室(楽屋)に顔を出して、「このごろは、なかなか外交問題をやれなくて。実に、あれ以来ですよ」と言う。
 昨年12月だったか、「日本人よ、拉致問題を忘れるな」というテーマで収録したとき以来、という意味だ。
 それでも、やるだけ、エライ。

 午後4時半、収録を開始。
 チベット、東シナ海、胡錦涛国家主席の来日。
 今夜は、チベット人のためにも、ちゃんと声を出さねば、という思いがあった。
 収録はいつものように2時間たっぷり。
 これが編集されて、40数分だけ、放送される。
 タックルは、ちょっと見には生放送ぽいけど、実際には収録であることを番組はちっとも隠そうとはしていない。
 ほんのジョークで生放送の装いにしてるよ、という感じだ。それが、この長寿番組の隠し味のように思う。

 中国人のふたりと真正面から議論したつもりだった。
 収録が終わり、顔をひと洗いして、帰ろうとエレベーターへ。
 そのエレベーター近くで、中国のふたりのうちのおひとり、女性が、「青山さんが話をさせてくれなかった」とスタッフをかき口説いている、いや訴えているところに、偶然ばったり出くわした。

 ぼくは気にせず、エレベーターから「どうぞ」と言うが、女性は「もう、一緒になんか乗りたくない気分」とおっしゃる。
 そうですか、と行こうとすると、乗ってこられた。
 そして、まるで収録中のときのように強く、なにかをおっしゃる。
 ぼくはいつも、どんなに激しくやり合っても収録が終わればノーサイドと考えているから、ちょっとだけ意外に思う。
「心配なさらなくても、あなたの発言はちゃんと放送されますよ。ぼくの発言はいつも、大半カットされますから、あなたが心配することはありません。大丈夫です」と言う。

 まんま、本心をありのままに言った。
 すると女性は、「それが分かっていて、あんなに妨害されたのですか」

 妨害?
 まさか。
 あなたのように、どんどん話せるひとを、妨害したくてもできるもんじゃありません。
 …と思ったが、何かを答えるまえに、エレベーターはもう車寄せに着いた。
 当然ながらレディファーストで、先にクルマに乗られるよう勧めながら、中国のひとは実際たくましいなぁと内心で感嘆する。

 この収録分が放送されるのは、ずいぶんと先で9日間も先の28日だ。
 10日近くも経てば、情勢も変わる。
 現にこのあと、フランスが中国に実質的に屈服するという意外な事態にもなった。
 さて、どんな風に編集されるのか。
 ぼくの発言はあまり使われないけど、それはそれとして、編集ぶりはいつも天才的だ。まるで当日に収録が終わったばかり、湯気がほやほやという感じに編集されている。


▽4月20日日曜

 ほんとうは終日、原稿を書いていたかったが、朝10時から夕刻5時半ごろまで遠出をして、毎日新聞の編集委員らと会う。
 このひとは、ものすごくフェアなベテラン記者で、その風貌をみているだけで背筋が伸びる。
 毎日新聞とは、意見の違うことも多いけど、このひととはエネルギー問題などで共感が深い。

 帰宅してから、ほぼ徹夜で原稿執筆。


▽4月21日月曜

 午後2時45分ごろ、防衛省に入る。
 午後3時15分から、2時間あまり、防衛省に国家公務員1種と2種で採用されたばかりの新人防衛官僚と、この祖国の護りについて講演し、ひとりひとり眼を見て対話する。
 必死の思いで話した。
 彼らの眼の輝きが、うれしかった。胸に沁みた。

 午後6時まえ、独研(独立総合研究所)の本社に戻る。
 午後6時半から、朝日新聞の幹部の夫妻と、夕食会。
 朝日新聞とは、中国にしても憲法にしても、考えは違う。しかし、ぼくは考えのまるで違う友だちが多い。
 この朝日の幹部はご夫婦とも、政治記者時代からの、ながぁい友情だ。
 日本の既得権益の解体などについて、突っ込んだ意見交換をする。


▽4月22日火曜

 午後、大阪に入り、近畿大学経済学部の客員教授としての授業をふたコマ、合計3時間、講義する。

 夜、関西テレビに入って、あすの報道番組「ANCHOR」の「青山のニュースDEズバリ」のコーナーのために打ち合わせ。
 この打ち合わせは、じっくりとおこなわれる、なかなかの難事業だ。
 しかし、この頃はメインキャスターのヤマヒロさんと、村西利恵ちゃんが、その日の生放送が終わってからすぐ、疲れた顔もみせずに明るく参加してくれるので、議論がぎゅっとコンパクトになって、やりやすい。ぼくの疲労感は、すこし減りつつある気がする。
 ほんとうは、毎日が極限勝負のメインキャスターこそ疲れているだろうに、こころの底で手を合わせる。


▽4月23日水曜

 定宿のホテルで未明4時半ごろに起床。
 携帯電話とeメールで取材、意見交換、情報の交換。

 朝7時17分ごろから、RKB毎日放送ラジオに、電話で生出演。
 イエメン沖で日本の原油タンカーが海賊に襲われた不可思議な事件が、東シナ海のガス田をめぐって中国とフェアな交渉を毅然とやらねばならないことに、実際は繋がっていることを話した。

 昼から1時間半ほど、ある公共事業体のトップらと昼食会。
 メタンハイドレートをきちんと探査する必然性などについて、意見を交換する。
 福田さんの先行きなど、政局についても自然に、深い話になる。

 いったんホテルに戻って、プールでひと泳ぎ。
 これで血を身体にめぐらせて、生放送に耐えられるようにする。

 午後4時まえ、関テレに入る。
 午後4時55分から、ANCHORの生放送が開始。
 コーナーでは、朝のラジオと同じく、タンカー襲撃事件から説き起こして、中国との対等な資源外交を国民が求めていくことについて話した。
 ラジオとテレビは、まったく根こそぎ違う。
 それに注意しながら、視聴者の心眼に残るようにしたいと願う。

 夜9時20分ごろ、羽田空港から自宅へ帰る。
 ほぼ徹夜で原稿執筆。


▽4月24日木曜

 ほぼ寝ないまま、朝7時45分に自宅を出て、東京駅へ。
 東北新幹線で、あるエネルギー施設へ向かう。
 独研から、秘書室長、それに研究本部・社会科学部の研究員ふたりの計3人が同行する。

 車中で、「土曜日の長野聖火リレーの前に行われる、善光寺での法要になんとか参加できないか」と秘書室長に打診する。
 これは日程的に無理だと決まっていたが、法要はチベット民衆蜂起での犠牲者をチベット人、漢人を問わずに弔うという素晴らしい法要だ。
 これに参加する高辻哲洋師ら僧侶の行動に、ぼくは「賛同人」として賛意を表明している。

 もはや無理と分かっているのに打診された秘書室長は、嫌な顔ひとつせず、再検討や問い合わせを車中で開始してくれる。
 彼女はこのために、おちおち席に座っていることもできず、デッキで電話などをしている。こころのなかで深く感謝する。

 ぼくは座席で、原稿を書く。と言いながら、かなりの時間、眠りに落ちてしまっていた。
 秘書室長、申し訳ない。
 彼女はむしろ安心したのかも知れないけど。

 仙台駅で降りて、そこからかなりの長時間、高速と山道をタクシーで揺られ、エネルギー施設へ向かう。
 揺れる車中で、急ぎの原稿を仕上げてネットで送り、これからおのれがやる講演のレジュメを点検し、最後に10分ほど仮眠して、エネルギー施設に到着。

 エネルギー施設で、この国の自主エネルギーをどう護るかについて講演し、そのあと施設を実地検分し、研究員らとともに検証会に臨む。
 テロ対策を中心に、問題提起し、意見を交換する。

 夜、そのエネルギー施設のかたがたと懇談会。
 懇談会のまえに、秘書室長から「やはり長野行きは無理でしょう」という判断を告げられ、ぼくとしても了承する。
 仙台の近くで宿泊。
 終日、雨。夜っぴて、雨。


▽4月25日金曜

 未明に起きて、原稿執筆。
 窓の外は、まだ雨が降っている。
 子々孫々にとって、うたれてもよい清い雨でありますように。

 昼すぎ、仙台から東京駅に着き、独研の本社へ。
 夕刻、ことしも陸上自衛隊から研修生(佐官ふたり)を受け入れることについて、陸自幹部が来社され、じっくり打ち合わせ。

 夜、早くから決まっていた情報源とのアポイントメント。


▽4月26日土曜

 未明3時から4時にかけて、自分で車を運転してとにかく長野へ行く道が最後に残っていると考えるが、朝までに終えると約束を交わしている、独研社長としての仕事が終わらず、断念する。
 徹夜仕事のまま、早朝から長野の実況放送をみる。
 日本の主権が侵されている懸念を持つ。

 長野聖火リレーが終わって間もなく、警察が中国人を規制せずにチベット人や日本国民だけを規制したのではないか、という疑念と怒りをぼくに訴える電子メールがいくつか届く。
 情報を集めたうえで、警察当局のある幹部に電話する。
 この幹部は、ふだんからフェアにして冷徹な判断力を持つひとだ。

 ぼくは言った。
「テレビでは、そういったことを何も放送していなくとも、ネットで真実が明かされることは、この頃たいへんに多いのです。ぼくのところに、暴力をふるっている中国人を検挙せずに、日本人やチベット人だけを排除したという、現場からの訴えのメールが入っている。それにyou tube をみると、『日本人はチベットを見捨てない』と書いた手作りのプラカードを、五星紅旗を身にまとった中国人らしい青年がふたりで引きちぎる画像があり、日本語で警察官を呼ぶ声があり、ふたりの警察官が現れながら、その器物損壊の疑いのある行為を黙認している様子が、ありありと映っている。
 こうしたことを、あなたはご存じか。
 あなたを警察機構のなかの良心と思うから、お聞きしたい。
 まず事実関係を、公正に、公平に知りたい。
 それから、ぼくはきわめて残念ながら現場に行けなかったが、テレビで見る限り、警官隊に、中国人には手を出すなという指令が出ていたのかと疑念を感じさせるところがあった。これについても、すぐ調べていただきたい。
 これらが事実であれば、たいへんに良くない。国家主権にかかわる問題だ」

 この幹部は、電話の向こうで驚いていた。
 演技とはとても思えない。
「すぐ調べます」と答えて、電話は切れた。

 この幹部は、いつも反応が早い。
 まもなく電話がかかってきた。
「責任幹部の一人に確認しました。検挙については、中国人、日本人、チベット人らがお互いに衝突していた実情があり、それらの検挙をひとつひとつしていくと混乱が激しくなるので、ただ聖火の列に突っ込んだ人物だけ検挙する方針だったとのことです。銃刀法違反のような事例はそれ以外にも検挙しましたが、ふだんなら暴行や器物損壊で検挙できるケースも、ひとつひとつ検挙する余裕がなく、警備が実施できることを優先した現実があります。
 それから中国人に手を出すな、という指示は絶対に出ていません。ふだんから、中国に対してフェアに厳正に臨んでいる、信頼できる幹部に確認したから、間違いないと思う」

 ぼくはこの答えで了解したわけではない。
 この幹部も、「了解してください」とは、ただの一言も言わなかった。
 ぼくは、さらなる調査と、日本国民のための警察として国民に対する説明が必要だと述べた。

 それにテレビ画面では、中国人の青装束の伴走者が、星野監督に何事かを指示するかのようなシーンも映った。
 中国は、他の国と同じく大量の青装束の伴走者を受け入れるように日本に迫り、それを日本は拒絶したうえで、ふたりだけは「聖火のメンテに専念する。ランナーや警備陣に指示したりはしない」という条件で、受け入れたはずだ。
 星野監督に指示したのなら、約束違反だ。

 それも含めて、中国の国旗がなぜ、日本の行事である長野聖火リレーを埋め尽くしたのか、全般にまだまだ事実確認が必要だ。
 少なくともスタート地点と、ゴール地点は、まるで日本ではなく中国国内のようだった。これは多くの国民が間違いなく、気づいている。


▽4月27日日曜

 午前11時すぎ、テレビ朝日に入る。
 正午ごろから、首都圏を中心に15局をネットしている番組「サンデー・スクランブル」に生出演する。

 スタジオでぼくの隣には、テレビ番組がセットして長野入りした、中国のジャーナリストがいらっしゃる。
 ぼくはメインキャスターの問いに答えて、冒頭に「長野聖火リレーは中国にとっても失敗だった。北京五輪は中国の行事だが、長野聖火リレーは日本の行事だ。その行事を五星紅旗で埋め尽くして、日本国民は聖火をみることもできないのはおかしいと、世界の誰もが感じるだろう。あの五星紅旗が、五輪旗だったら、話は違っていた」と述べた。

 VTRのあと、スタジオで議論になり、中国のジャーナリストは「許し難い暴力行為があった。あなたはそれを認めるのか」と声を荒げておっしゃる。
「検挙された日本人もいるが、何の私的利益にもならないのに、ただチベット人の人権が侵されていることをなんとかしたいという思いで行った行為だ」と述べたが、中国のジャーナリストは「暴力行為を認めるのか」と反復された。

 ほんとうに暴力行為であれば、爆弾を投げたり、実被害の出る行為になるはずだが、長野では紙ビラ、あるいは火の入っていない発煙筒が投げられ、列に入ろうとする行為も、列は乱れたが、聖火を奪うような行為にはみえなかった。
 しかし、番組にはメインキャスターふたりと、レギュラーコメンテーターのテリー伊藤さんと黒鉄ひろしさんがいらっしゃったから(おふたりと親交もあるし…いや、それは関係ない)、ぼくがそこまで発言する時間はなかった。
 それに何より、これを発言するには、もっと事実検証が必要だ。

 ぼくは最後に「中国がこれからも聖火リレーを続けたいのなら、チベット人がフェアに発言できる場をきちんと作ってからにすべきだ」と述べ、中国のジャーナリストも、かすかにではあるが、頷かれた。

 この中国のジャーナリストは、全体に、ぼくの発言を邪魔されるようなことはなかった。
 それに、テレビ局のセッティングであれ何であれ、現場を踏んでいて、ぼくは今回、どのようにやむを得ない理由があっても現場を踏んでいない。
 だから、スタジオを出てから、彼に「現場を踏んでの発言には、重みがありました」と述べた。
 彼は無言だった。
 ぼくとしては意見は大きく違っても評価すべきは評価して、フェアネスを貫きたかったが、通じたかどうかは分からない。

 帰宅後、「来世牧童になるために」というタイトルのブログで、早速にこの番組に触れているのを発見して、ネットのアンテナの鋭さにあらためて感嘆した。

 ネットでは、「日本のふつうの市民が、中国人のおばあさんに噛みつかれて血を流したりしながら、警察官が黙認していた」という証言をはじめ、中国に対してだけではなく、日本の政府権力、日本のマスメディアに対する疑念、怒りがどっと噴出している。

 それをひとつひとつ見つつ、ぼくは「警察をはじめ日本の政府、その政府に寄り添ってきたマスメディアは、自由な市民のネットの偉大な力を知らなさすぎる」と思った。
 ネットでは匿名性が強く、ぼくも脅迫や中傷に常に、いまも晒されている。
 しかし、その一方で、市民のほんものの証言、尊重すべき公正な怒りも、充分に満ちている。
 ぼく自身も、それを学びつつある。

 長野事件も(ぼくはもう、そう呼びたい)、これからじっくりフェアに調べていきたい。

 夕刻、迷ったが、自宅近くのジムへ久しぶりに行く。
 原稿を書く時間を5分でも10分でも増やしたい。
 その思いは正直、切実だ。
 しかし、このごろ身体の切れが鈍く、それが精神にも、原稿にも影響しているように思う。
 そこで思い切って、ジムへ行く。

 ちょうど、85歳にしてジムで身体を作り直している実母が、「筋力トレーニングをまもなく終えてプールでのウォーキングに入る」とトレーナーから聞いて、プールで泳ぎながら待つ。
 現れた母の手を引いて、プールで一往復、ウォーキングする。
 なにが後期高齢者か。
 年齢とともに歩きにくくなっている母には、病院でリハビリするより、若いひとびとのあいだに混じって堂々とトレーニングしてほしくて、このジムの会員になってもらっている。

 母がトレーニングを終えたあと、ぼくはジムに残り、短時間ながら、いつものバーベル挙げ(ベンチプレス)やダンベル・トレーニング、腹筋などをぎゅっと詰めて完遂し、体調はいくぶん良くなった。



▼さて、9日前に収録したTVタックルが放送されるまで、あとわずかな時間だ。
 どんな編集になっているか、それはまったく分からないが、あくまでも編集権はテレビ局にある。
 ぼくは自分の姿をテレビで見るのが正直、たいへん嫌なので、たぶん見ない。
 チベットの民衆の志と無念をどこまで、担うことができたのか、それを考えると、今夜もまた、断腸の思いが繰り返し、くりかえし、胸を噛むだろう。


                4月28日月曜 午後6時すぎ