Our World Time

真実

2008年04月09日 | Weblog



▼みなさん、今は4月8日火曜の昼、羽田空港で、春の嵐のために飛ばない飛行機をじっと待っているところです。
 この時間を使って、ほんとうは、溜まりに溜まっている原稿をプロとして必死に書かねばなりません。
 しかし、広くみなさんの関心の強いことをめぐって、ひとつ嬉しい話と、それから喜んでばかりはいられない話とが、分かってきましたから、すこしそれについて書いて、この地味ブログにアップしたいと思います。


▼4月5日土曜に関西テレビ「ぶったま」で放送された、日本の僧侶として初めてのチベット支援アピール、すなわち西の比叡山こと書寫山圓教寺(書写山円教寺)の執事長、大樹玄承(おおきけんじょう)師が良心と勇気にもとづいて、誤魔化しのきかない生放送で読みあげた声明文をめぐって、関係者に「わたしも物書きの端くれとして、著作権をしっかり護る社会であってほしいが、今回の放送については、インターネット上の動画を機械的、かつ官僚的に削除しないでほしい」という趣旨のメッセージを、彼らの留守番電話に残しました。

 これは、このブログの前回の書き込みで、ありのままに記しましたね。


▽…と、ここまで書いたところで、待望の搭乗となったのですが、機内に入ってから「実は滑走路が冠水していて、飛び立つまでにあと2時間以上かかる。それまで機はじっと、この駐機場で待機するほかない」という機長のアナウンスがありました。
 そして機長の英断で、機が滑走路へ動き出すまではパソコンが使えることになったので、続きを書きましょう。
 きょうは日航機で大阪へ飛んで、近畿大学経済学部の客員教授(国際関係論)として平成20年度の第1回講義のはずでした。
 今年度から、新1年生と、2~4年生対象の2種類の講義となるのですが、新1年生はもはや休講が決定的です。2~4年生も、どうかなぁ、大阪に到着した時どれぐらい時間が残っているか。
 しかし、ぼくは、日本の航空会社はエライと思います。
 アメリカだったらとっくに、あっさりとCANCELLED、キャンセルされちゃって「あとは自分で自分の面倒をみろ」ということに確実になっていたでしょう。
 ぼくの経験からして、間違いないと思います。係員が小さく口笛を吹きながら「CANCELLED」という札を目の前でぼくら乗客に出して、さぁ仕事が減ったとでもいうように気楽な顔でいる現場に、何度か遭遇しましたから。
 日本には、まだまだいいところが沢山ある。
 大樹玄承師のように、因習に負けない、空気に負けない勇気を、謙虚にしっかりとみせる人もいるし。

 いま、この機の出発を諦めて、新幹線に乗り換えようとするお客さんが、どんどん出口に集まって、混乱する地上窓口へ、払い戻しの手続きに向かおうとしています。
 その動きが、ほかのお客さんの不安を刺激して、よけいに出口へ集まる人が増えてもいるようです。
 ぼくと独研のS秘書室長は、あくまでも飛ぼうとするJALの責任感に敬意を表して、動きません。
 それに、ささやかな経験則からすると、こういう時に下手に動くとろくな事がないことがあります。そもそも嵐には、飛行機のほうが新幹線よりも強いことが、意外に多い。

 降りたいお客さんを降ろしたのも、JALの判断ですが、そうなると機の出発はよけいに遅れます。
 搭乗名簿の確認および修正と、それから預けた荷物があるかどうかの確認、あればそれをより分けて機から降ろす作業などなど、びっくりするぐらい時間を要する新たな作業が生まれますから。
 事実、さらに激しく遅れています。

 たとえばアメリカでは、これも絶対にないでしょう。
 しかしこの点は、降りたいひとの気持ちや主張を優先した日本と、「非常時には個人の都合をいちいち聞いていてはいけない」とおそらくは考えるだろうアメリカのどちらが正しいのか、簡単には言えませんね。
 危機管理の専門家としてのぼくの個人的意見は、この一点については、アメリカ型の判断に軍配をあげます。
 気分が悪くなった人などは、この場合、ぜひとも降ろさねばなりません。
 しかし新幹線か飛行機か迷っている人まで積極的に降ろすことによって、機をさらに遅らせるのはどうでしょうか。

 ただし、降りず動かず機に留まったのは、自分の判断ですから、降りる客のために出発がさらに遅れたことに、ことさらクレームを言うつもりは、さらさらありません。

▽機は、とうとう滑走路へ向けて動き出しました。
 ただしまだ、滑走路前で40分か50分は待ちそうです。
 大きな翼を持つ機体は、この地上にあっても強風に大きく揺さぶられ、右にかしぎ左にかしぎ、飛行機に弱いひとなら、もう気分が悪くなるでしょう。
 これで飛べ上がれるのだから、航空技術の進化はたいしたものだナァ。
 さて、話をチベット支援アピールの動画に戻しましょう。


▼まず4月6日の日曜に、留守電を聞いた関係者のひとりから、ぼくに電話がありました。
「さっそく調べてみましたが、関西テレビから、動画削除を依頼した事実はないようです。しかし日曜なので担当者から明確なことは聞けていないので、月曜になってから、あらためて連絡します。わたしもアクセスしてみましたが、You Tube はそのまま削除されずにアップされているようですね。ニコニコ動画などは削除されていますが…」

 関テレから削除依頼を出していないというのは、重要な情報ですが、この電話の通りまだ不明確な情報ですから、ブログには何も書き込みませんでした。


▼明けて4月7日の月曜に、その関係者から、再び約束通りに電話がありました。
「確認しました。やはり一切、削除依頼は出していないとのことです」

 この関係者の誠意を、まずぼくは高く評価します。
 しかし、疑問の点がありました。
 そこで、ぼくから質問をしました。
「ふだんから、ぼくを支えてくれている、ある視聴者がYou Tube にアップしたところ、削除されて、そのあとにYou Tube からのお知らせとして、『この動画は、著作権法上の権利が侵害されたとのKansai Telecasting Corporationによる申し立てにより削除されました』と明記されています。Kansai Telecasting Corporation とはまさしく、関テレの英語表記ですよね。(註・関テレはKTVという分かりやすい略号を使っていますが、社名の英文表記はKansai TelevisionではなくKansai Telecasting Corporation です)
 あなたの話は誠実で、信頼するし、ちゃんと調べて回答してくることも評価もする。しかし客観的事実と、矛盾しているようです。もしも矛盾しないとするなら、You Tube が嘘を記していることになる」

 すると関係者は、もう一度、確認してくれました。
 この答えが大切なのです。


▼その答えは、「確認しました。4月5日のぶったまの放送については、どこにも削除要請を出していないそうです。
 ふだんは、確かに、削除要請を出す、しかし4月5日のぶったまについては、出してないということです」

 おぉー。
 つまり、心意気として、あえて、4月5日のぶったまについては大樹玄承師の勇気を無駄にしないために、削除要請をしないでいてくれたことになります。

 関係者も担当者も、「そうです」とは口が裂けても言えないでしょう。著作権法があります。
 だから、ぼくはここはもう、これ以上は詰めません。
 ただ、ぼくの解釈として、その心意気、志があったことが分かって、たいへんに嬉しくなりました。

「あるある問題」で大きく傷つき、いまだに民放連に復帰できていない関テレ。
 その重大すぎる捏造放送と教訓は、まだまだ軽視できません。
 しかし、現在の関テレは、チベットをめぐって、ほかの局にない志をみせました。
 やり直しのきかない生放送で、あの大樹玄承師のアピールを放送しようと、ぼくが提案したとき、他にぼくの提案を断った関テレの番組もあったけれど、「ぶったま」が「やりましょう」と言ってくれたこと。
 その「ぶったま」が、局内の法務部門その他に、しっかりと問い合わせをした時、「やめろ」と言った部門や上司はなく、「青山さんと、それをやっていい」という回答ばかりであったこと。
 そして、大樹玄承師のアピールが実現したあと、その勇気が無駄にならない配慮をみせてくれたこと。

 これはテレビの歴史に書き残す価値のあることではないでしょうか。
 大袈裟な言い方になって、申し訳ない。
 しかし、ぼくは関テレと利害関係がありません。ぼくは芸能プロに属さないし、関テレと特段の契約もしていません。単に、一人の番組参加者(出演者)に過ぎません。
 その立場から、すなおな感想として、記しました。


▼一方で、喜んでばかりはいられないことも、いくつも、あります。

▽多くのひとが視るべき動画も、一律に消されるのは、著作権法そのものに問題があるのではなくて、関テレを含む日本のテレビ局が「最低限度の料金で、フェアに動画を配信する」という努力を、まだまだ怠っているからです。

 そして、ぼくのほんとうの思いは(1)再放送の予定のない生放送であったとき(2)どんな番組であれ、社会性のある内容を扱ったとき―については、まったく無償で、その局のホームページから自由に閲覧できるようにしてほしい、と願っています。

 これは、さして大所高所からは言っていないのです。
 早い話が、そのほうがテレビ局にとっても、自らの放送の存在をアピールし、広く知ってもらうことに、明らかに繋がります。

 日本のテレビでこれがなかなかできない理由のひとつとしては、おそらくは、出演者のかたがたの権利の問題が絡むのでしょう。
 たとえば、ぼく自身は、自分の参加(出演)した番組が、放送後にいくら無料でネットに流されようとも、まったく構いません。
 どしどし、みんなに流してください。反対派、賛成派、嘲笑派、冷笑派、支持派、まさしく民主主義としていろんな考え方がある外の世界へ、どんどん流してください。
 しかし、日本のテレビ番組に出演しているひとは、芸能プロと契約しているひとが、視聴者の考えているよりずっと多いという現実があります。
 ぼくも、自分がテレビに参加(出演)するまでは、知らなかった。
 そういうかたがたの権利の問題が、なかなか難しいのかもしれません。

 しかし、テレビ局は、フェアな閲覧ができるシステムを一日も早く整える努力をすべきだと、あらためて考えます。
 今回は努力をしてくれても、他の放送番組については削除要請をしていることが明らかになったのであり、著作権法に触れることなく閲覧できるシステムを創ることなく削除要請を続けることは、ひとびとと共に生きるメディアとして怠慢であるという問題がそのまま残ります。

▽また、4月5日の「ぶったま」については、テレビ局以外に動画削除を要請、いや要求した者、あるいは組織の存在することが、これでむしろ確認できたのであり、著作権を持たない者あるいは組織が不当に介入している事実が、はっきりと浮かびあがっています。

 それが中国など外国の介入であれば、そのような工作活動が日本で行われることを容認はできません。


▼これらの問題に、あらためて気づかされました。
 だから喜んでばかりは、いられません。


▼ぼくのこの地味なブログに、想像を絶するほど沢山のコメントがあったことは、真実を伝える動画を、著作権法に触れずにフェアに見たいという、多くのひとの熱意をありありと示すものです。
 誰ひとり、自分の利益のために発言したひとはいない。誰もが、わがことのように公(おおやけ)の問題を考えた。

 ぼくの意見や行動への賛否はどうであれ、そのことに感服します。みんなの熱意が、胸に沁みました。
 心にもないきれい事を申すことは、しません。
 ぼくとテレビ・メディアとの関わり方に、このみんなの熱意は、きっと影響します。

 そして、この多くのひとのコメント発信が、ネット上の動画をどうするという問題を解決へ進める助けになることを、強く願います。

 最後に、きちんと誠実に連絡をしてくれた関係者のためにも、ぼくが留守電へのメッセージでも、このブログでも怒ったことにお詫びするためにも、それから一生懸命に考えてくれたみんなに真実をありのままに知らせるためにも、この書き込みは一刻も早くアップしたかったけれど、疲労による体調不良と、もはや、ひとりの人間が処理できる限界を超えた多忙によって、こんなに遅くなってしまったことを、残念にも申し訳なくも、思います。

 飛行機は結局、3時間半遅れで出発し、大阪に着いて、4時間半ほど閉じ込められていた機中から出て、さらに空港の外へ出たとき、青空のカケラが眼に美しく沁みました。

 チベットの空に、いつか自由の青空があることを。


  
         4月9日水曜未明1時