Our World Time

硫黄島守備隊ご遺族の、しゅういちさんへ

2006年12月14日 | Weblog



 いただいた書き込みを一読し、いてもたってもいられない気持ちで、これを、したためています。
 硫黄島で、わたしたち現在と未来の日本国民のためにこそ戦われ、ただひとつの命を砕かれ、そして遺骨と魂魄になられた今もなお故郷に帰れずにいる、そのひとの、あなたはお孫さんなのですね。

 あなたから、穏やかにして真っ直ぐな、書き込みをいただき、ぼくの胸に、もうひとつ硫黄島をめぐる出来事が刻まれた思いです。

 関西テレビの報道番組「アンカー」では、まことにまずい語りしか述べることができなくて、あなたのおじいさんをはじめ、わたしたちのために戦い、逝かれたみなさまがたの気持ちを、わずかしか代弁することができなくて、こころから、申し訳なく、今夜も煩悶してしまいます。

 ただ、ぼくは、硫黄島を訪れて、このまことに、まことに小さな人生ながら、もっともっと私を捨てて、公に尽くそうと、あらためて思い直すことができました。

 硫黄島では、背広の襟に関西テレビの録音マイクが付けられていることもほとんど忘れて、あなたのおじいさんをはじめとするみなさまがたに、「この硫黄島に招いてくださって、受け入れてくださって、ありがとうございます」と、何度も何度も、感謝を申しました。

 その声は、放送では流れませんでしたが、ひょっとしたら、あなたのおじいさんと戦友のかたがたは、聞き届けてくださったかも知れません。

 番組のあのコーナーの最後あたりで申しましたように、硫黄島が立ち入り禁止であること自体が、わたしたち戦後日本の誤りです。
 一日も早く、約1万3000人もの未回収の遺骨が、国費でひとり残らず収容され、魂が懐かしい故郷へ帰ることができますよう、そして一日も早く、しゅういちさんを含む遺族のかたが、自由に、しかも国費で島を訪れることができるように、さらに、現在の日本の子どもたちや、ぼくら働き盛りの国民や、あの戦争を生き抜いてこられた高齢者のかたがたがみなみな、あの尊い島を訪れることができるよう、ささやかなりの力を尽くしてまいります。

 硫黄島から帰って、朝夕に、「責務を果たします。どうぞ安らかでいてください」と、硫黄島で戦死されたかたのすべてに、非力ながら祈りを捧げています。

 そして、しゅういちさん、あなたの書き込みでなぜか気がついて、今夜からは、硫黄島の戦死されたかたがた、すべてへの気持ちとして、冷たく気持ちのいいお水も、ほんとうにすこしですが、捧げています。

 ぼくは、亡き父らに、毎朝毎夜、お水を捧げてきたのですが、そのお隣に、硫黄島の戦死のかたがたのためのお水を新たに置かせていただいています。

 終わりに、この、とりとめもない書き込みを読んでくれる、すべてのひとのために、あなたの書き込みを、ここに再掲させてください。
 それと、硫黄島でぼくが撮った写真を一枚、アップしておきます。

 島で、もっとも激しく硫黄が噴き出しているあたりから、砲弾の穴が無数に空いた、監視台代わりの巨岩を望んでいます。
 後ろ姿は、硫黄島に赴任している若い海上自衛官です。

 この海上自衛官は、もう一人の海上自衛官、それに東京の防衛庁からこの日のためにやってきた内局の中堅幹部と三人で、いわば監視チームをつくって車に乗り、ぼくと関西テレビ・カメラクルーの車の後から、ぴったりと、ついてきていました。立ち入り禁止の島ですからね。
 それが、一緒に、地熱で汗のしたたる壕のなかへ入ったり、行動を共にし、わたしも彼らに語りかけ問いかけているうちに、魂が急速にうち解けあって、あなたのおじいさんをはじめ戦士が何のためにこそ戦ったのかを、こころを通わせて共に考えるようになりました。

 このことも、あなたのおじいさんら戦士に、感謝いたします。


 青山繁晴 拝   2006年、平成18年12月14日木曜 未明3時28分



【以下、しゅういちさんの書き込み、再掲】

硫黄島 (しゅういち)
2006-12-14 01:16:47

 12日のスーパーニュースアンカー拝見しました。
 私の祖父は硫黄島で戦死し、今でも硫黄島で眠っています。
 番組を見て、祖父がどのような場所で戦ったのか、どのような場所で亡くなったのかわかりました。
 青山さん、泣いて下さってありがとうございます、祖父や戦友の言葉を代弁して下さって、ありがとうございます。
 涙して下さる方がおられた事で戦死した方の心も安らいだのではないでしょうか。
 例え遺族であっても慰霊祭以外では上陸が出来ないと聞いておりますので、取材はたいへんだったと思います、本当にありがとうございました。
 祖父に代わってお礼申し上げます。


(しゅういち)
2006-12-14 01:18:42

 失礼、番組は13日でした。