Our World Time

魂の硫黄島へ  (深く淡く生きる その番外編)

2006年12月07日 | Weblog



▼きのう12月5日火曜に、パリから帰国。
 パリの滞在は、5日間だけ。
 そりゃ、きついよ、正直。
 ちょっと自分じゃないみたいな、体調だ。

 帰国の機中の11時間ほど、成田から都心へ向かうバスの1時間半、それからバスターミナルから自宅へのタクシー20分、その全部を通じてほとんど眠らずに、会員制レポートを書き続け、自宅に着くと荷物もほどかずに仕上げて、夕方5時半ごろ、会員へ配信、はいしんっ。

 やれやれ、しっかりと仕上げたレポートを配信できて、うれしいな。

 そのまま休まず、独研(独立総合研究所)に出社し、大阪から来た関西テレビのスタッフと、翌日の報道番組について、かなりの時間をかけて打ち合わせ。

 終わると、シンクタンク・独研の社長として、社内の打ち合わせや、情報の収集などなど。

 夜9時になり、日テレへ。
 9時半ごろから、報道番組の解説コーナーの収録。

 ぐったり疲れて深夜に、ふたたび帰宅。
 荷物を整理し、すこし情報を整理していると、もう午前4時まえ。
 さすがに朦朧としてきたので、じぶんをリラックスさせて、仮眠。


▼3時間後の、12月6日水曜の朝7時ごろ、電話で起きる。
 ふらふらで起きたから、時計やら何やら、いろんなものをひっくり返す。

 電話は、福岡のRKB毎日放送から。
 ああ、そうだ、電話を使ったレギュラー出演だ。

 朦朧がとけない頭を、懸命に澄ませて…あんまり澄んでないけどさ、生放送に電話で出演へ。
 リスナーにも、キャスターにも、ぼくの睡眠不足は関係ない。
 ラジオから聞こえる声、それだけがすべてだ。

 コマーシャルのあいだに、水をごくごく飲んで、むせかえりながら、どうにか声をまともにして、出演する。

 終わると、ぐしゃっと顔を洗い、羽田空港へ。
 大阪へ飛ぶ。
 わぇー、また飛行機の中だよ。

 伊丹空港に着くと、タクシー車内で原稿を書きながら、定宿のホテルに入り、電話とメールで情報収集。
 そして関テレと電話で打ち合わせをし、その打ち合わせで気づいたことについて、もう一度、情報収集をしてから、プールですこしだけ泳ぎ、無理にでも身体を目覚めさせて、関テレへ。

 報道番組『ANCHOR』に出演、『青山のニュースDEズバリ!』のコーナーでは、パリで知った驚きの事実を話す。
 内心では、ふらふら、ぐにゃぐにゃ、ぼろぼろの状態。
 しかし、それは視聴者にも他の出演者にも、関係ない。
 ラジオもテレビも、それは、おんなじだ。

 だから番組全体を通じて、一生懸命に話した。
 それでも、じぶんでは、またしても不満いっぱい。
 一緒に出ている室井祐月さんが「とっても、分かりやすかったよ」と言ってくれたので、すこしだけ、ホッとした…けど、伊丹空港で軽く食事をする頃から、やっぱり下手くそな放送だったなぁと、また、こころのうちで、どっしゃーんと落ち込む。

 夜に帰京、自宅へ。
 あすは硫黄島へのロケ取材なので、早く寝たいのだけど、原稿が山盛りで眠れない。

 うーむ。
 ぼくはどうなっちゃうんだろ、と思わず考えるほど、きついや。

 いや、硫黄島で命の最後の一滴まで、後生のぼくらのために戦ったひとびとのことを、すこしでも思うなら、おまえよ、まさか、じぶんのことは思うなよ。


▼このブログで始めている「深く 淡く 生きる」の書き込みは、10月半ばからの日々をすこしづつ振り返っていく。
 だから、まだまだ現在には届かない。

 しかし、あと6時間ほどで、硫黄島へ出発する今夜は、どうしても今のことを、簡単にでも書きたかった。
 なぜ、だろう。