Our World Time

なぜ

2006年06月01日 | Weblog



▼いま5月31日水曜の深夜、というより6月1日木曜の未明、2時すぎだ。
 大阪出張から帰ってきた。

 毎週水曜には、大阪の関西テレビが4月からスタートさせた新しい報道番組「ANCHOR」(スーパーニュース・アンカー)に出演している。
 その水曜アンカーには、『青山のニュースDEズバリ!』というコーナーがある。
(※このコーナー名は、気恥ずかしいです。しかし関テレのスタッフが、一生懸命に頭をひねって考えた名前ですから)

 ぼくなりに力を尽くして話したせいもあるのか、ふだんに増して今、激しい疲れを感じている。


▼きょうは、5月30日に「アメリカ軍の再編をめぐる政府方針」が閣議決定されたことを取りあげた。

 コーナーは、時間が限られているだけじゃなく、定められた時間内にぴたりと収めないといけない。
 ほかの出演者が、当然のこととして、あるいは必要なこととして、思うままに発言したり、その予定外の質問にぼくがきちんとすべて答えたりする時間も、そのなかに含まれる。
 定められた時間内に、このコーナーを収めないと、番組全体のなかでラインアップされているニュース項目が減ってしまうから、ぼくとしては、我が儘(わがまま)をするわけにいかない。

 そこで柱を、2本に絞った。
 ひとつは、「今回の米軍再編について政府が言い、ほぼすべてのメディアも、それに沿って伝えていることのうち、いちばん大切なことの一つが、あまりにも事実に反している」ということだ。

 政府もメディアも、宜野湾市(沖縄県)のアメリカ海兵隊・普天間基地を、おなじ沖縄の名護市に移転すること、あるいは厚木市(神奈川県)にいるアメリカ海軍・空母艦載機を岩国市(山口県)に移すこと、それらがアメリカ軍再編をめぐる今回の日米合意の中心のように扱っている。

 ちょっと待ってください。
 それは違う。
 たとえば普天間基地について、住宅が密集するなかを海兵隊のヘリが頻繁に離着陸する現状が、住民にとって危険すぎるから日本国内のどこかへ移転することは、1996年の日米合意で決まったことであり、その後に本格化したアメリカ軍の再編とは関係がない。

 普天間の海兵隊の戦闘部隊は、再編されずに、そのまま移るのだし、96年にアメリカが「移転してもいい」を認めたあとは、日本国内のどこに移転するかの問題、つまり日本側の問題になったのだ。
 アメリカと日本の関係じゃない、ぼくら日本国民同士の問題だ。
 10年ものあいだ、日本が国内で解決できなかった問題であって、アメリカとのあいだで紛糾が続いていたのじゃない。

 普天間の問題を、アメリカ軍の再編の問題の中に入れてしまう精神には、「基地を押しつけてくるアメリカが悪い。日本は被害者だ」という意識がどこかに隠れている。
 しかし、普天間の問題ならば、それはもう10年前にアメリカとの話し合いは終わってしまっている。
 アメリカのせいには、できないのだ。

 たとえば、ぼくは日本の防衛にアメリカのサポートは必要だと思っているから、ぼくの住むところに移転してくださいと、何年も前から具体的に提唱している。
 大阪に住む人も、福岡に住む人も、北海道に住む人も、もしも日本だけで日本の安全を護るのではなく日米連携が必要だと思うなら、あるいは現在、事実として必要としているのなら、それから、もしも非武装中立には賛成しないなら、いつまでも沖縄だけに重い負担をおわせ続けるのではなくて、ぼくら日本国民同士の問題として、扱い、解決しなければならない。


▼もうひとつは、ほんものの「アメリカ軍の再編問題」とは、たとえば座間市(神奈川県)にアメリカ陸軍第一軍団司令部が移転してくること、それだということだ。
 第一軍団は、ハイテクノロジーによって世界中どこでも戦える最新鋭装甲車「ストライカー」を持ち、アメリカ軍の「戦争革命」(正確に言うと「軍事技術に関する革命」。RMA)の戦端を走る最強部隊だ。

 ただし、その2万人の兵力が座間にやってくるのではなく、やってくるのは司令部だ。
 しかし、最強ハイテク軍団の司令部を、アメリカ本土(西海岸のワシントン州フォートルイス)から、外国である日本に移す意味は極めて大きい。

 ぼくがアメリカの関係者たちから聞いているのは、ずばり「陸上自衛隊と一緒にやりたい」という本音だ。
 もちろん、すぐに一緒に戦闘行為を行うという意味ではない。
 すくなくとも当面は、いわゆる後方支援(食糧、医薬品、弾薬などの補給、傷ついた兵の救援など)を期待している。

 海上自衛隊はすでに、アメリカの第七艦隊と深く連携している。
 たとえば、イージス艦をはじめ日本の護衛艦は、その戦闘コンピューティング・システムがアメリカ第七艦隊と直結している。
 ぼくは、それを護衛艦の中枢である戦闘指揮所(CIC)で複数回、確認している。

 アメリカは、テロの脅威と戦うため、あるいは北朝鮮に向かい合うため、さらには膨張する中国の軍事力と対峙するために、海や空(航空自衛隊)だけではなく、陸でも深い連携を築きたい。
 なぜなら、日本の自衛隊の戦力は、国民の常識とは裏腹に、ある側面では世界トップレベルに達しているからだ。

 ぼくらの子どもや、その先の世代では、この陸上での日米の軍事連携が、後方支援だけにとどまっているかどうか。
 ぼく個人の予感としては、とどまっているとは、あまり思えない。


▼ぼくは、この第一軍団が座間にやってくることを含めて、「53年目の選択」とフリップに手書きで記した。
 日本は53年前の1953年、当時の吉田茂首相が、アメリカに再軍備を求められて断った。
 それが正しかったかどうかは別にして、はっきりしているのは、それから53年後の今、再軍備を選ぶかどうかにやがて匹敵していくような、大きな選択が行われたということだ。

 にもかかわらず、ほんとうはアメリカ軍の再編とはすでに関係のない、普天間や岩国への移転の問題を大きく扱い、アメリカと日本がもっとも本質的な議論をしなければならない問題は、政府も、少なからぬメディアも、国民の関心を促すことをしない。


▼ぼくは番組でこれらのことを話すうち、もっともっと胸の奥から込みあげるものがあり、最後はそれを、まるで叫ぶように話してしまった。

 どうして、いつまでも沖縄のひとびとだけに、負担を強いるのか。

 あの広くもない沖縄本島のなかで、普天間から名護へ海兵隊を移して、それが解決なのか。
 わたしたちの日本国は、太平洋戦争末期の沖縄戦で、女学生をはじめ非戦闘員を戦闘に連れ込むだけではなく、日本軍自身が、日本国民である沖縄のひとびとを殺害した悲劇すら引き起こした。
 その沖縄になぜ、戦後61年を経てなお、この国と国民を護るうえでの重荷を、沖縄だけになぜ背負わせ続けるのか。

 もちろん、青森県の三沢や、神奈川県の厚木、横須賀、長崎県の佐世保のように、沖縄以外にも負担に耐えている地域住民は、少なくない。
 アメリカ軍は日米安保条約に基づいて、日本全国に、総計で135ほどの施設を持っているのだから。

 しかし、アメリカ軍の占用面積でいうと75%が沖縄に集中している。それを、これからも続けていいのだろうか。いいはずは、ないでしょう。
 政府の施策とか、そんなことにとどまる話じゃない。ぼくら日本国民の人間としての品の問題でしょう。

 関西テレビ「ANCHOR」のスタッフと、番組前の打ち合わせをしているとき、かなり活発な議論になった。
 中心スタッフの一人が「大阪には、アメリカ軍、いないからなぁ。基地の移転とか、アメリカ軍の再編とか、どっか遠いところで適当に、うまくやってくださいよという感じや。青山さんはなんで、このテーマで『青山のニュースDEズバリ!』のコーナーをやろうとするのかなぁ」という趣旨で、発言した。

 この率直さを、ぼくは評価する。
 ごまかしの社交辞令で言うのじゃない。
 さすが大阪だと思う。
 偽善に逃げずに、本音をぶつけてくれる。

 この率直さを、本気で歓迎したうえで、ぼくは言わねばならない。
「あなたが、今よりはるかに、はるかに高い防衛費と、ぐんと強化した自衛隊だけで、自分と、自分の家族と、自分の友だちと、自分の仕事と、自分の住む地域と国を護るのではなく、今のようにアメリカ軍と一緒になって護るほうが現実的やで、と思うなら、あるいは非武装中立はやっぱり非現実的やなぁと思うなら、あなたの住む大阪の、たとえば南港に、沖縄の米軍基地の一部でも移転することは本当にできないのか、自分の問題として考えてみるべきではないでしょうか」

 打ち合わせで、こういう思いがあったことも、ぼくの内面に影響したのだろう。
 生放送の本番でぼくは、最後に、いささか叫ぶようだった。
 視聴者のみなさんにとって、見苦しい、聞き苦しい話しぶりになったかもしれない。そう感じられた視聴者のかたには、こころから、ごめんなさい。


▼スタジオには、沖縄電力から独立総合研究所(独研)に出向・研修で来ていて、いま独研の秘書室に所属しているひとがいた。

 ぼくが出張するときには、独研から必ず同行者が付く。
 5月31日は、たまたま、沖縄出身のこのひとだった。
 しかも、これも偶然、まさしく普天間基地のある宜野湾市の出身だ。

 番組が終わって、夕暮れを伊丹空港へ向かう車のなかで、このひとは、やや沈んでいるようにもみえた。
 大阪のひとに、ぼくの話が、そう理解されるとは思えないという様子だった。
「海兵隊が、普天間から、名護に移って、わたしたちと同じ苦しみが、こんどは同じ沖縄の名護の人に移るだけなんだなぁと思うんです」と彼女は、静かな横顔で言った。

 ぼくは、胸のうちで、ずいぶんと、悲しかった。
 いまも、悲しい。

 いま思う、自戒を込めて、思う。
 たとえば、大阪の人が無関心とか、そんなふうにぼくが思っては、おしまいだ。
 たとえば、大阪の人みずからが、そう思ってみるのであれば、それは尊い始まりになるかも知れない。
 ぼくが思ってはいけない。
 そして、実際に、そう思ってはいない。そんな風には思わない。本心から、自然に、そうです。
 ぼくが、スタッフやMC(メインキャスター)や、ほかの出演者と協力して、もっといい番組に、いいコーナーにすれば、いい。

 人に求めるのじゃない。おのれだけに、求めたい。
 おのれの力をただ、尽くしたい。

 肩の力を抜いて、それでいて、力を尽くしきりたい。
 たとえ思わず叫んでしまっても、身体の中心では、しんと鎮まって、力を尽くしつつ、そのまま生き切って、死ぬ。
 ただ、それだけだ。

 さぁ、眠らないで、新しい本の原稿の仕上げを、再開しよう。
 あす朝、いや今朝には、講演会が待っている。
 疲れよ、どっかへ、飛んでけ。


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▼写真は、名護市の辺野古海岸で、撮りました。
 元の案では、ぼくの指がさしている方角の海上に、海兵隊の基地をつくろうとしていたのです。

 ジュゴンの生きる海が失われると、激しい反対運動が続き、その案は頓挫。
 こんどは、海にせり出す部分が小さくて済むように、沿岸部に造ることになったのです。

 沖縄戦のあった、緑の島と、青い海。
 普天間も、名護沖も、名護の海岸も、すべてその同じ島と海にあります。
 そして、ぼくらの祖国の、永遠にかけがえのない一部です。