グレゴリ青山『深ぼり京都さんぽ』 海外旅行「ネットあり」の便利さか、「ネットなし」の自由さか

2022年10月07日 | 海外旅行

 「でもウチらが若いころインターネットがなくてよかったと思う」

 「うん、ネットのない時代に知らん国歩けてよかったよね」

 

 先日読んだ『深ぼり京都さんぽという作品の中で、そんなことを言ったのはマンガ家でイラストレーターのグレゴリ青山さんであった。

 

 

 

 

 

 「未知」のおもしろさか「便利」の快適さか。

 今では「スマホなしで海外旅行」など、まず考えられないだろうが、はそれがごく当たり前の話であった。

 私が主に海外旅行を楽しんでいた、90年代後半から2000年代初頭でも、ネットを利用するとなると現地のインターネットカフェを活用するくらいで、日本語対応のパソコンもないことも多く、あまり便利とは言えなかったのだ。

 なのでグレゴリさんのような「なし」の時代のリアリティーも、十分すぎるほど理解している世代だが、ではこれが

 

 「ない時代に歩けてよかった」

 

 これに賛成なのかと問うならば、そこはもう断然

 「ネット万歳派」

 これなのである。

 というと、かつてのバックパッカー仲間から、

 

 「裏切り者」

 「堕落したな」

 「フ、ド素人が」

 

 バカにされそうだが、いやー、これはホンマにそうなんです。

 ネットで宿や乗物の予約ができて、地図もナビしてくれて、調べものもチョチョイノチョイの今の状況が、とってもですばらしい。

 と言いたくなる理由に、まず宿探し嫌いということがあった。

 今はあらかじめ予約して、ナビの示す通りに行けばホテルやユースホステルにたどりつけるが、いにしえの時代はそうはいかない。

 自由旅行をしていると、まず空港についたところから、自力で宿を探さなければならない。

 これがしんどい。ロッカーでもあればいいけど、そうでない場合は重い荷物を背負って、街をさまよわなければならない。

 「ホテル街」(というとなにやら誤解をまねきそうだな)があればいいけど、そうでないと1軒1軒の間が遠くて足がガコガコになる。

 で、手あたり次第に良さそうな宿(これを選別するのも手間だ)をめぐっては「空いてますか」と聞いて回るのだが、これが大変だし、部屋を見せてもらって満足できないことも多い。

 そもそもシーズン中や、夕方くらいに街につくと、どこに行っても「full」の札が揺れており愕然とする。

 この「今日の宿が見つからない」プレッシャーはなかなかのもので、暗くなると、ほとんど恐怖になる。

 しかも、仮に首尾よく宿が見つかったとて、そこからまた、ロッカー荷物を取りになどに戻らないといけなかったりする。

 もう、これがしんどすぎて、実際かつてイタリアを旅行したとき、8月フィレンツェでは、どうしてもリーズナブルなホテルが見つからず、ボロボロになったことがあった。

 マジで野宿を覚悟したが、それに同情したある宿のおばあちゃんが、物置に使っている部屋を空けて、そこに格安で入れてくれたが、あの親切がなかったらどうなってたことか。

 下手な外国語でチケット買ったり、迷子になったり言葉がわからないとかいうのは平気なんだけど、この「歩いてホテル探し」の苦痛が、とにかくネック。

 

 

 

 マジでこんな感じです。

 

 

 ガイドブックなどには、

 

 「ホテル探しの道程も、街歩きや観光の一環として楽しみましょう」

 

 とか書いてあるけど、看板探すのに必死で街のことなんか見られないし、そもそも「泊まるとこなかったら、どうしよう」と不安でちっとも楽しめないよ!

 てゆうか、ホテル探すくらいなら、その時間でゆっくり観光したい!

 なんてグチばかり言っていたものだが、このホテル探しを今はしなくてよくなったため、文明の利器バンザイ派なのである。

 この一点だけでも、人類はインターネットを開発した意義がある。ほめてつかわすぞ。

 もちろん、いいことの中に失われたこともあるわけで、私の場合は前日の夜などに「明日どこに行こう」と考える自由さだ。

 ネットで宿の予約をできるのは無敵だが、一回取ってしまえば絶対にそこに泊まらなくてはならない。
 
 その点、宿など事前に決めようもなかった時代では、そのあたりをメチャクチャいい加減に決められた。

 それこそ、パリで明日ロンドンに行こうと決めていても、その日の気分や旅行者同士の情報交換で惹かれたら、突然イスタンブール行きの長距離バスに飛び乗ったり。

 コペンハーゲン行きの夜行列車に乗ったり、マルセイユから船でアルジェリアに渡ったりもできる。

 その突発性の魅力。

 なにも決めずに、ユースのベッドで寝転がってとか、あるいは朝コーヒーを飲みながら「トーマス・クック時刻表」をめくり「次の目的地」を思いつきで考える楽しさ。すぐ動ける軽やかさ。

 それがなくなってしまったのは残念で、その意味でグレゴリさんも、

 

 「ネットなしで海外って、すげえな」

 

 おどろいていた友人ヤオ君も、どちらの旅行者の気持ちも理解できるのだった。

 

 


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