少し優勢だと思っていたこの局面で指された5手1組の手順を、僕は、一生忘れないだろう。
そんなことを言ったのは先崎学九段であった。
前回は佐藤康光九段の好手や妙手を紹介したが(→こちら)将棋の「いい手」というのは様々。
詰みのように100%正しい手から、深い読みの入った将棋ソフトが推奨するような手もあるが、そのほかにも、
「不利な局面を持ちこたえる手」
「相手の読み筋をはずす手」
「挑発してカッとさせる手」
「ミスしやすい局面に誘導する手」
などがあり、これがときに悪手や疑問手でも、盤上で効果を発揮することがある。
将棋というのはメンタルの要素も大きいので、要するに
「相手の嫌がる手」
というのは広義で「いい手」に入りやすいのだが、そういった「場合の好手」で思い出すのが、冒頭の先崎九段の言葉なのである。
1990年、第49期C級2組順位戦の5回戦。
先崎学五段と郷田真隆四段の一戦。
このふたりは、ふだんは友人同士であり、先崎はエッセイなどで郷田をリスペクトするようなことを書いているが(棋聖獲得のときなど)、勝負となると話は別だ。
特に郷田はすでに2敗しているが、先崎は4連勝で首位を走っている。
ライバルとして、「どうぞお通り」というわけにはいかないだろう。将来のA級候補(実際2人ともそうなった)同士の大一番である。
戦型は郷田先手で、「総矢倉」という古風な形に。
後手の先崎が仕掛け、おたがい玉頭にアヤをつけあったのが、この場面。
まだ大きな差はなさそうだが、先手の玉が、いかにもあぶなっかしく見える。
囲いから露出して、どうやってまとめるのか気になるところだが、ここで郷田は▲84歩と打った。
「大駒は近づけて受けよ」のようなものか。
これには△同角の一手だが、郷田はここで▲85玉と力強く桂馬を取る。
あやうい自玉を、さらに危険地帯に一歩前進。
意表の一手で、これには△83飛でよさそうだが、先崎の解説によると▲72銀と切り返して、先手優勢らしい。
強いというか、いっそずうずうしくもあるこの王様の頭突きに、後手はしっかり考えて△73角と引く。
自然な手に見えたが、これが郷田のさらなる強手を誘発した。
▲74玉と、なんと大将自ら、さらに突進。
金や銀でここに両取りをかける筋はよくあるが、まさかこんなゴールキーパーのショルダータックルなど、見たこともない形だ。
ここで冒頭の先崎九段の言葉に戻るのだ。この手を予想できず、その前の△73角を大いに後悔し、
「玉というのは強い受け駒だとはじめて知った」
動揺をかくせない。
もちろん、これで将棋が終わったわけでなく、そもそもこの突進が好手かどうかもわからないのだが、先崎にあたえた精神的衝撃は大きかったようだ。
そこから後手も△72銀と土台を作って、それ以上の侵入を防ぐが、郷田も玉を▲75、▲66ときわどいステップでかわし、後手の追撃をぬるぬるとかわそうとする。
この命がけのオイルレスリングを制したのは郷田だった。
上部に厚みを建造し、ついに入玉に成功する。
寄せのなくなった後手は、今度は自分も入るしかなくなった。
矢倉の堅陣を捨てて、今度は攻守所を変えた郷田の猛爆の中、なりふりかまわぬ匍匐前進を見せるが、秒読みの中、駒を数えて、なんと1点足りないことに気づく。
持将棋では、大駒を5点、小駒を1点で計算し、24点ないと問答無用で負けになる。
先崎はドローに持ちこむのに、たった1点、一枚の歩が足りない。
これはただの1点ではない。
順位戦C級2組の地獄が、うめき声をあげながら手を伸ばし、要求する1点だ。
ある棋士はこんなことを言った。
「C2からの脱出切符は、仮に1億円出すといっても、ゆずってくれる者などいないだろう」
人数の多いCクラスでは、1敗するだけで、あっという間に馬群に飲みこまれてしまう。
投げるに投げられない先崎は、懸命に1枚の駒を追って指し続けるが、冷静な郷田はそこからさらに1点、また1点と、瀕死の先崎から希望をむしり取っていく。
一応、ここに投了図を置いておこう。
後手の駒は、わずか数枚しかない悲惨な図だ。
総手数287手だが、入玉形になってからは100手以上、ほとんど観戦するには意味のない手が続いた。
その空虚な手順こそが逆に、この一番の持つ重さを如実に表現していた。
有名な郷田語録に、
「将棋は情念のゲーム」
というのがあるが、絶対負けられないライバルとの戦い、順位戦の深い闇、深夜に延々と続く大義なき駒の取り合い、廃墟のような投了図。
まさに郷田の言葉には、うなずくしかない。
敗れた先崎は、9回戦の1敗対決で森内俊之に激戦の末屈し、昇級を逃す。
「天才」と呼ばれた先崎学がC2を脱出するのは、この5年後のことである。
(丸山忠久編に続く→こちら)
(先崎学のC2時代の苦難は→こちら)