「受け将棋萌え」には、大山康晴十五世名人の将棋が楽しい。
前回は佐藤康光名人の見せた「クソねばり」を紹介したが(→こちら)、今回は同じ受けでも大山名人の派手な手を見てみたい。
昭和の時代、絶対的な強さを誇った大山将棋には特徴があると言われ、それが、
「語り継がれる妙手の類が少ない」
ライバルであった升田幸三九段が、「天来の妙手△35銀」をはじめとする伝説的な手や、
「角換わり升田定跡」
「升田式石田流」
「駅馬車定跡」
といった、歴史に残る、独創的序盤戦術の数々を編み出したのにくらべ、大山にはその類のものが少ないと。
その理由としては、大山が、
「歴史に残る名局でも凡局でも、勝ちさえすれば結果は同じ1勝」
という徹底してドライな考え方をしていたことや、そもそも将棋の作りからして派手な手が出にくい(必要としない)から。
などと語られることがあったが、それでもときには「おお!」という妙手が飛び出して、目を見張らされることもあるのだ。
舞台は1982年に行われた、十段戦挑戦者決定リーグ。
米長邦雄棋王との一戦。
米長の急戦に、大山は振り飛車で、△54銀と出る形からの玉頭銀で対抗。
むかえた終盤戦。
後手は守備の金を一枚はがして、駒得の戦果をあげているが、先手の▲53香も強烈な一撃だ。
見事な田楽刺しが決まっているうえに、その具が飛車と角の豪華版。
大駒が一枚と取れそうなうえ、▲11の馬も自陣に利いており、先手もやれそうに見えるが、ここで後手にカッコイイ手があった。
△12飛と、タダのところに逃げるのが、大山らしからぬ電飾キラキラの派手な手。
当然のこと▲同馬と取りたいが、これには馬の利きをそらせたところから、△33角と出るのが絶好のさばき。
玉頭がスカスカの先手は、なんとこれでまいっている。
▲77金には△85桂。
▲66金には△同角と取るのがよく、▲同歩に△76銀とすべりこんで受けがむずかしい。
こうなると、▲11の馬が急所の筋から、ずらされたのが痛すぎる。
かといって、馬を逃げるようでは、悠々と後手に角を逃げられてしまう。
これで相変わらず金の丸損なうえに、必殺のはずの▲53香が、完全に空を切って「スカタン」になっている。
そもそも、タダ同然でもらえるはずの飛車を取れないのでは、口惜しすぎるではないか。
それではあんまりなので、先手は▲51香成と取るが、大山は△11飛と要の馬を除去。
▲61成香にも、△同飛と、電光石火の早業でこれも回収。
あの取られそうだった飛車が、まるでブーメランのように一周し、先手の攻め駒を一掃する大活躍。
大山はこの局面について、
「もうこの将棋に負けはないと思った」。
そう語っているが、本人も会心の手順だったのだろう。
今なら久保利明九段あたりが指しそうだが、「あまして勝つ」のを得意とする大山とはいえ、派手な手もイケる。
さすが大名人は「らしくない」形も、うまく指しこなすものだ。
(米長邦雄と森安秀光の奇手編に続く→こちら)