「不思議流」と「受ける青春」 中村修vs鈴木輝彦 1983年 第14期新人王戦 その2

2020年05月25日 | 将棋・名局

 前回(→こちら)の続き。

 1983年新人王戦準決勝。

 中村修六段鈴木輝彦六段の一戦。

 鈴木の筋のよい攻めに、中村は受け一方に立たされる。

 

 

 

 からはと、と金が、タテからは飛車桂馬がせまっており、先手玉はいかにも危なく見える。

 なにか後手からいい手がありそうだが、その通り、この局面で鈴木は決め手を放つ。

 

 

 

 

 

 △79銀と打つのが、寄せのお手本のような手。

 △69銀△67銀打は「王手は追う手」の見本で、絶対やってはいけないが、この銀こそは、

 

 「玉はつつむように寄せよ」

 

 という見事な形。

 次、放置すれば△67銀成と飛びこんで、▲同玉は、△68銀成までの詰み。

 かといって、△67銀成▲87玉と逃げるようでは、△88銀成と金を取ってから△66成銀くらいで受けなし。

 △79銀▲同玉と取るのも、やはり△67銀成と入りこまれる。

 ▲78金くらいしかないが、△66成銀を取っておくくらいでも、次の△77歩が激痛で試合終了。

 鈴木輝彦も「間違いなく勝ち」と確信していたが、さもあろう。

 どう見たって、先手に受けがない。

 とりあえず▲75銀と出て、一回はしのぐが、これがいかにも力がない手というか、△67銀成からの詰みを、▲66に逃げられる形にして防いだだけ。

 策のない、ただの延命のように見える。鈴木は△67銀成と捨てて、▲同玉に△88銀成と取る。

 △57金の詰みを防いで、▲58飛と、と金を払うが、そこで△47歩成として、きれいな飛車角両取り。

 

 

 ▲88飛しかなく、△37と、とを取られて、これまたしょうがないと▲85金と桂をはずしてがんばる。

 

 

 

 この局面が、クライマックス。

 後手の鈴木が先行し、その間中村は、しょうがないしょうがないの連続で、ただただ受け続けただけだ。

 その間、鈴木にきらめくような妙手も飛び出し、中村はサンドバッグ状態。

 特に頑強な受けや、相手を惑わせる魔術めいた手もなかった。

 ところがなんと、この局面はすでに先手勝ちなのである。
 
 はえ? そんなことあるの?

 と信じられないところだが、これが本当に、中村勝ちは動かないのだ。

 後手からは、様々な攻め筋がある。

 本譜の△57金からはじまって、△56角△87歩△79角△66歩△56銀などなど。

 しかも、どれを選んでも勝てそうなのに、実際のところはどれを選んでも負け

 そう、中村は中盤から攻められまくって「しょうがない」という手を指さされていると見えたのは錯覚だった。

 それどころか、中村は

 

 「この攻めは受け切り勝ち」

 

 完全に見切っていたからこそ、あのサンドバッグ状態でも平気な顔をしていたのだ。

 とはいえ、それにしても、信じられないではないか。

 こんなもん寄らないはずはないと、控室ではあれこれ手をつくして攻めまくるが、すべてしのがれている。

 メンバーは当時、順位戦でノンストップ昇級を続けていた田中寅彦七段(この年A級にもあがる)や、あの佐藤康光九段にも大きな影響をあたえ、「控室の主」として君臨していた、室岡克彦四段など。

 今でいえば、近藤誠也青嶋未来のような、将来有望な若手ばかりだ。それがよってたかってつぶしにかかって、どうにもならない。

 みなムキになって、2時間以上つついたが、やはり先手がどうやっても勝つ。

 ついには、この将棋を取材していた河口俊彦八段が音をあげて、

 


 「将棋とはこんなにも受けが利くものかと、驚くより呆れてしまった」


 

 これには感嘆することしきり。

 これぞ、中村修将棋だ。

 「変な手をやってくる」

 と思っていたら、それが深い読みの入った手。

 「どう見ても寄ってる」

 という局面が、実はそうではない。

 では、どこが良くて、どこが悪かったのかといえば、これまたよくわからない

 でも、最後はちゃんと中村勝っている。

 なんという将棋の作りか。これこそが、「不思議流」「受ける青春」の真骨頂である。

 とはいえ、やっぱりこれは不思議な将棋である。

 攻められっぱなしの上、鈴木に悪手がないどころか、△79銀のような鋭手をくらい、反撃のターンすら一度も回ってこないのに、気がついたら必勝。

 中村と仲の良い先崎学九段は、中村将棋を
 
 

 「一度も攻めずにタイトルを取った男」

 

 と評したが、それも納得がいく。

 中村九段は「不思議流」というキャッチフレーズに、

 


 「思いついた普通の手を、指してるだけなんですけどねえ」


 

 納得いってないようだったが、なにかこういう将棋を見せられると、

 「問答無用で不思議」

 と言わざるを得ないではないか。

 

 

 (「マキ割り流」佐藤大五郎の悪力編に続く→こちら

 (中村修の喰らった大トン死編は→こちら

 


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