角建逸『詰将棋探検隊』を読む。
こないだは、江戸時代の名人によって創られた図式集、伊藤看寿の『将棋図巧』と伊藤宗看の『将棋無双』に大感動してしまった話を書いた(『図巧』については→こちらで、『無双』は→こちら)。
その神業としか言いようのない出来のすばらしさのため、恥ずかしいことに、手順を追いながら(解けるだけの棋力はない)ボロボロと泣いてしまった。
世間は一般に、恋人が死んだりする映画や、自分を信じてと歌う歌詞で泣いているという。
そこを、江戸時代の将棋パズルで号泣するって、我ながらどうなのと、冷静に一言つっこみを入れたいところではある。
しかーし! この詰将棋というジャンルは深く知れば知るほど深淵で、かつ芸術的な側面があるのだ。
たかが詰将棋で、芸術なんておこがましいというなかれ。
駒の動かし方を知っていて、パズルや数学が好きな人は一度、詰将棋専門誌『詰将棋パラダイス』(略称詰パラ)を開いてみてほしい。
私の興奮が、一発でわかるはずだ。
それにしても不思議なのは、あんな神がかり的な作品が、山のように詰まっている江戸時代の詰将棋。
これが、同時代のことについて書かれている本なんかでも、まったくといっていいほど紹介されていないこと。
日本人には一部「江戸時代萌え」な層があって、その手の資料は数あるのだが、歌舞伎や相撲などといったメジャーどころと比べて、将棋、ましてや詰将棋はほとんど無視である。
こんなにすごいのに。
冗談でもなんでもなく、国宝にでも申請するべきではなかろうか。
「江戸しぐさ」なんていうバッタもんを教えるくらいなら、「詰むや詰まざるや」を教科書にのせんかい!
そんなグチをぶつぶつともらしながらも、今日もすばらしい詰将棋を求めて『詰将棋探検隊』を手に取ったわけだが、これがまたあきれかえるくらいにハイレベルな一冊。
詰将棋は単に相手の王様を詰ます(逃げ道のない状態に追いこむ)だけでなく、そこには様々な仕掛けが、ほどこされることがある。
「打ち歩詰め打開」や「中合」といった基本的な手筋から、最長手数である1525手詰の作品「ミクロコスモス」 。
「龍鋸」「馬鋸」といった、アクロバティックな仕掛け。
果ては、盤上にすべての駒が配置されたところからスタートするにもかかわらず、それが1枚ずつ消えていって、最後には必要最小限の駒しか残さない「煙詰め」。
他にも、詰めあがり(正解図)に文字が浮かぶ「あぶりだし」とか、まあ色んな趣向が凝らしてあったりするのだ。
作家によっては若島正先生のように、そういったケレン味を嫌う人もいるが、私のような素人からすると、これら中国雑技団的な作品の方が、わかりやすいといえばわかりやすい。
とりあえず、図面だけ見てわかるような作品としては、たとえば田島暁雄さん作の、こんなのとか。
相馬康幸さん作の、こんなんとか。
伊藤正さん作の、こんなんとか。
詰将棋の名手でもあった、内藤國雄九段が作った、こんなんとか、こんなんとか。
どうです。頭がおかしくなりそうな配置でしょう。
しかも、まともに考えていたら詰みそうにないこれらの図が、しっかりと詰むだけでも驚きなのに、それがなんと正解が一通りしかなく、それ以外の手順では、絶対に詰まないというのだから恐ろしすぎる。
どんな頭脳をしているのか。
これはもう、あらゆる知的遊戯や創作にまつわる人に共通するが、その人間離れした能力を、もっと社会貢献に流用できないものか。
「その能力、もっと役に立つことに使えよ!」
嗚呼、このつっこみこそが、芸術にたずさわるものにとっての、最高のほめ言葉かも知れないなあ。
最高級のポテンシャルを、まったく金にならないことや、世間で知られていないことにつぎこむ。
あえてこの言葉を使うなら、才能の無駄使い。
これはもう世界で一番、贅沢で優雅で粋な生き方かも。
貴族だよ、まさに精神貴族。カッコいいなあ。
個人的に思う詰将棋の魅力というのは、本格ミステリとSFのそれを、合わせ持っているということかも知れない。
私は読書が好きで、本読みというのはそれがエンタメに関しては、ざっくりいえばミステリ派とSF派に分けられる。
私はどっちも好きなハヤカワ創元育ちだが、ミステリの本質といえば、
「惹きつけられる不可思議な謎の提示」
「その論理的な解決」
またSFはそこに「奇想」というか、
「ようそんな発想、思いつきますなあ」
と、あきれかえるようなアイデアにある。
『ソード・ワールドRPG』をはじめとするTRPGや『モンコレ』など、幾多のボードゲームやカードゲームを世に送り出してきた、グループSNEのボス安田均さんは、
「海外の特にドイツのボードゲームとかカードゲームで遊んでると、《どこからこんなん思いついたん?》っていいたなるような、すごいアイデアがごろごろ出てくるんです。そこには、昔のSF短編を読んだときと同じようなおどろきがあるんですよ」
これは、詰将棋もまったく同じなのだ。
魅力的な謎の提示と論理的解決。そこに「ようそんな」とあきれかえる奇想のスパイス。
まさにミステリであり、SFではないですか。
(団鬼六の詰将棋小説編に続く→こちら)
(伊藤正さんの詰将棋の解答は→こちら)
いつも楽しく記事を拝見させていただいております。
どうかこの作品集を入手して記事にしていだけてもらえたら大変うれしいです。
本職の詰将棋作家さんなんですね。特別懸賞出題、がんばって解いてみました。
△13玉まではすぐわかったんですが、最後の手が見えず、そこから大苦戦。
10分ほど考えても出なかったんで、実際、盤に並べて動かしてみたら、一応そこで解けました。
これ、最後の三手だけで三手詰の問題だったら、たぶん一目で解けるんですけど、脳内でこれを再現してると全然見えないのは、ふだんいかにちゃんと詰将棋をやってないかですね、トホホ。
本の方は、発売されたら検討してみたいと思います。