佐藤康光はアイドルである。
と始めてみると、大半の読者は、
「ええ? 佐藤康光はたしかに人気棋士だけど、どっちかってと硬派なイメージじゃね?」
中には、
「日本将棋連盟の会長をつかまえて、そんなチャラチャラしたあつかいとは、永世棋聖をバカにしているのか!」
なんて、おしかりの声を受けるかもしれないが、これがガチのアイドルヲタによる定義と照らし合わせると、さほどおかしな声でもないのだ。
それが、ライムスター宇多丸さんのラジオ番組などでおなじみの、映像コレクターであるコンバットRECさんによる説で、アイドルに大事なのは、
「完璧さの中に見える《ほつれ》」
「ただ」かわいいとか、ダンスがうまい「だけ」では、アイドルの資格の一部をクリアしているに過ぎない。
そういう、端から見ているとプラスの要素にくわえて、なにか《ほつれ》がないと、真のアイドルではない。
たとえば、
「メチャクチャかわいいけど、メチャクチャ演技が下手」
とか、
「髪型が変」
「家族が気ちがい」
「趣味がマニアックすぎ」
などなどといった、ほつれた部分。わかりやすく言えば
「つっこみどころ」「スキ」
これこそが、そのキャラクターの仕上げとなるのだという。
「残念美女」
など、まさにその最たるである。
そこで前回は、森内俊之九段をアイドルとして語る論を展開したが(→こちら)、ここからもうひとつ、思い当たるところがあるのでは。
それが、佐藤康光九段。
佐藤康光といえば、将棋の永世棋聖の称号を持ちであり、タイトル獲得は名人や棋王など13期を数える。
棋戦優勝も、NHK杯、銀河戦、日本シリーズなど12勝。
いわゆる「羽生世代」の一員であり、日本将棋連盟の会長。文句なしで将棋界の第一人者である。
その佐藤康光九段の、なにがほつれているのかと問うならば、まず将棋が変。
独創的が過ぎる駒組とか、ほとんど暴力ともいえる、力強すぎる駒さばきとか。
2009年、森内俊之九段とのNHK杯。
右では銀冠が完成しているのに、なぜか居玉で、なぜか右四間飛車。
▲65の銀も変だし、角まで打ちこまれて、まったくの意味不明だが、おそらく「論理的」なシステム。
以下、▲95角、△62金、▲47飛、△84角成、▲同角、△同歩、▲45歩で激戦。
2005年、羽生善治四冠との棋聖防衛戦。
図から▲38同飛と取ったのが、佐藤らしい強気の手で、△22玉に▲65銀(!)と桂馬を取る。
△47角の王手飛車が見え見えだが、▲49玉、△38角成、▲同玉、△59飛に、▲35桂と打って一手勝ち。
佐藤流の、なにも恐れない王者の指しまわしで、羽生の挑戦を退けた。
しかも、会長のすごいところは、それをちっとも変と思っていないところ。
それどころか、そこを指摘されると、
「いかに自分の戦術や作戦選択が、論理的帰結により生まれたものか」
これを、論文レベルの内容で専門誌に投稿。
そのタイトルが、
「我が将棋感覚は可笑しいのか?」
なのだから爆笑……もとい感動的である。
そういえば、佐藤の盟友である森内俊之九段もよく、
「佐藤さんは、まあ、またちょっと独特ですから」
私は昔から、
「ヘンな人は論理的である」
という説を提唱しているが(「論理的」な森下卓九段など→こちら)、まさにその最たるではないか。
アベマトーナメントのドラフトでも、若手有利とされるルールの中、谷川浩司九段と森内俊之九段を選択。
見ているこっちとしては、
「さすが会長、盛り上げ方をわかっていらっしゃる」
なんて「空気を読んだ」ことに快哉だが、当の本人は、
「勝つためには、当然の選択でしょ?」
「なぜみんなが取らないのか不思議で」
「優勝には、この1択だと思うんですが……」
鼻ピン食らったウサギみたいに、キョトンとしてたから、サービス精神でもなんでもなく、
「論理的にガチ」
ということなのだろう。
それでベスト4なんやから、カッコよすぎますわ。
「なんで、フィッシャールールで勝てるの?」
高見泰地七段が頭をかかえたシーンは、第3回大会、名場面のひとつだろう。
そもそも会長は、今でこそこういうキャラだが、若いころは全然違うというか、むしろ真逆な雰囲気だった。
育ちがいい、学生服の似合うマジメな優等生。
気骨のあるところこそ、今と共通しているが、将棋も相矢倉を得意とするバリバリの居飛車本格派。
個性派というより、どちらかといえば、
「しっかりしすぎていて、少々おもしろみに欠けるのではないか」
という評価に近かったのだ。
デビュー当時のヤング会長
それがなぜ、こうなってしまったのか(←「しまった」とか言うな!)
答えは
「羽生善治を倒すため」
ライバルに勝つため、過去の自分を脱ぎ去って、自らに改造手術を施す。
まさに、仮面ライダーか島村ジョー。
すべてを捨てて戦う男。昭和のヒーローのようで、シビれるではないか。
また、RECさんによると、アイドルにもうひとつ大事なのが、
「やらされてる感」
「恋愛禁止」ルールや、お笑い芸人による下ネタなどのムチャ振り。
長時間の握手会や、労働基準法など無視した過酷なスケジュール。
その「プロデューサーをS、アイドルをM」とする嗜虐志向。
それもまた、アイドルに必要な要素で、先述の森内俊之九段には、ちょっとそこが足りないのではと苦言を呈したが、会長の場合はそこもクリアしているっぽい。
そのフィクサーともいえるのが、先崎学九段の存在だ。
(続く→こちら)