将棋の魅力、その本質は「悪手」「フルえ」にこそある。
数年前、将棋ソフトがトップ棋士を、完全に超えるような内容で倒してしまったとき、
「もはや人の指す将棋など、だれも見向きもしないのではないか」
という恐れを誘発したが、私はそれに対して、
「そっかなー?」
いまひとつピンとこなかったのは、人の指す将棋の魅力はその「不完全性」にあると思っているからだ。
という話を、こないだしたんだけど(→こちら)、なんで今さら、そんな旬でもないAIについて語ったかと言えば、実はこれがやや長めの前振り。
本題なのは今回の将棋で、これこそがまさに、
「人の指す将棋のおもしろさ」
このエッセンスが、ギュッと詰まっているなと感じられるから。
前回はA級昇級記念に、山崎隆之八段の巧みな受けを紹介したが(→こちら)、今回はそういった人同士の戦いで見える「実戦心理」について見ていただきたい。
1992年の第5期竜王戦、予選1組決勝。
米長邦雄九段と脇謙二七段の一戦は、後手番の脇が横歩取りの、△33桂型に誘導。
ややマイナーだが、当時脇はこの形を得意にしており、現在再評価の進んでいる矢倉▲46銀型の「脇システム」と並ぶ、トレードマークのような戦法だったのだ。
そこから両者じっくりと組み合い、相振り飛車のような形となるが、米長が仕掛けてペースを握っているように見える。
△85馬と攻防に引いた手に、▲74歩が好手。
△同馬とすれば、馬が攻めに利かなくなり、▲32飛成と金を取るくらいで優勢。
脇は△55銀と取って、▲同馬に△49金とせまるが、ここで▲64馬と王手できるのが先手の自慢。
受けるには△73香と合駒するしかないが、歩打ちの効果で、▲同歩成とボロっと取れる。
こんな屈辱的な手を強制できれば、気分的には先手必勝と言いたいところだが、そこから勝ちに結びつけるとなると、また大変なのは、皆様もご存じの通り。
米長も優勢は意識しながらも、意外とむずかしいぞと、しっかり腰を入れて読み直す。
▲73同歩成、△同桂に、▲93銀と打ちこんでせまり、むかえたこの局面。
先手玉は△48竜、▲同玉、△49馬から詰む「一手スキ」になっている。
一方の後手玉はまだ詰まない上、先手陣にうまい受けも見当たらない。
すわ! 逆転か! と思いきや、ここで米長にねらっていた手があった。
▲54馬と引くのが、米長一流の必殺手。
次に▲72馬、△同玉、▲83と、からの一手スキ。
と同時に、後手が△48竜、▲同玉、△49馬、▲37玉、△38馬などとせまってきたとき。
そこで▲46玉に、△45金と打つ筋を▲同馬と取れるようにした、いわゆる、
「詰めろのがれの詰めろ」
になっているのだ。
最終盤でこんな手が飛び出しては、普通なら先手の勝ちは決定的である。
米長も当然それを確信していたが、そこにまさかの落とし穴があった。
米長はその次の、脇の手が見えていなかったのだ。
ここが、この将棋のハイライト第1弾。
まさにこれぞプロの妙技、とため息をつきたくなる華麗な手が交錯するのを、まずは味わってほしい。
(続く→こちら)