「リア充は、自分には合わない」。
という、なにを今さらな事実を、ここ数回(それについては→こちら)語っている。
実際にリア充を体験してみて、そのうえで
「あー、あんまし楽しくないなあ」
と実感したため、そのことについてのコンプレックスみたいなものはほとんどないが、時折自分と同じような苦戦を強いられた「同志」を発見すると笑ってしまうこともある。
グレゴリ青山さんのファンである。
グレゴリさんと言えば、『もっさい中学生』(「もっさい」とは、京都弁で「野暮ったい」「あか抜けない」くらいの意味)という作品があることから、いわゆるオシャレとか流行といった概念とは無縁の、やはり私と同じくマイナー街道を粛々と歩いておられる方。
本日取り上げるのは、そんなもっさい画伯の『旅のグ2 月は知っていた』という本。
今は休刊してしまった、『旅行人』という雑誌に連載されていた、旅を題材にしたエッセイマンガである。
そこでグレゴリさんは、高校生のころ友達とペンションに遊びに行った体験を描かれている。
場所は清里。グレゴリさんを筆頭に、ペンションなど、どこの国のおからせんべいやという京都の「もっさい」女子高生たちは、それぞれに
「メルヘンなとこらしいで」
「ユーミンの曲に出てくるようなところかなあ」
などと、当時マイブームだった花札をしながら、大いに盛り上がっていた。
そんなこんなで到着したのは、まさにメルヘンなペンションだった。
優しそうなオーナー夫婦になぜか緊張し、神奈川からきた女子大生の、
「今夜一緒にトランプしない?」「やったね」
という生の関東弁に、これまたなぜかビビりまくる京都の仏教系女子高生。
「ザッツ・清里のペンション」という、さわやかなシチュエーション。
そこに違和感しか感じない一行は、ミッキーマウスのクッションのあるかわいい部屋でのトランプを終え、自分たちの部屋に戻ると、とりあえず
「ふうー」
という、なんともいえない深いため息をつく。
「なあ…明日もトランプ大会あるんかな」
「やならアカンのかな?」
このコマの台詞を読んで、私はもう腹をかかえて爆笑してしまった。
もう、机をバンバン叩きながら、
「わっかるわあ~」
清里のペンション、明るいオーナー夫婦、関東弁の女子大生。
もうこの時点で完璧にアウェーなのに(なぜ? と思ったあなたは、おめでとうございます。あなたはきっと「リア充」チームです)、そこにトランプ大会では「ババぬき」!
でもって、罰ゲームは「歌を歌う」。
そら、つらいですわなあ。
なんといってもグレゴリさんらはトランプでなく花札で、罰ゲームも新幹線の中で「どっこい大作」と「ドリル」(詳細はこの回の次のエピソードに載ってます)。
そらもう、部族がちがう。
そして次の夜。食事をしながらコソコソと、
「これ食べたら……」
「わかってる。とっと部屋に帰るんやろ」
と、打ち合わせ、光の速さで自室に消える。
そこで行われるのは、もちろん花札。
いつものペースを取り戻したもっさい女子高生たちは、リラックスしまくり、
「ハー! ババぬきなんてやってられんわなー」
「やっぱ花札やで!」
「いやー、それにしても関東弁ってホンマ寒いなあ」
「私なんか、こごえそうになったで」
「クーラー消しそうになったわ!」
などと、言いたい放題。
よほどストレスがたまっていたのであろう。ここでも大爆笑。
アハハハハ! わかるよ、私も似たような戦場をくぐり抜けてきたもんよ(笑)。
そうして、楽しくペンションの夜はふけると思われたが、グレゴリさんが、
「よっしゃあ! いのしかちょー!」
絶叫したところに、オーナーの奥さんが部屋に入ってきて、その瞬間部屋の空気はまっ白に。
そらそうだ。仲良くトランプをしようと思ったら、「オシャレな古都」から来た京都の女子高生たちは
「よっしゃ、そろった赤タンッ!」
とか絶叫していたのだ。
そら、ジーパン刑事みたいに「なんじゃこりゃあ!」と叫びたくもなりますわな。意味がまったくわからなかったろう。
そうしてその夜も、清里のさわやかペンションババぬき大会に参加させられたグレゴリさんは、
「私達にはペンションは似合わない……。なぜ行く前に気付かなかったのかと、今でもこっぱずかしいグであった」
としめくくっており、もう笑いすぎて苦しいくらいの七転八倒。
まったく見事なまでの「非リア」ぶりだ。
我が軍の同志たちには、「ご愁傷様」といいながら「ようこそ」の握手の手を差し伸べたい。
グレゴリさんはその後「昭和レトロ」「古本屋アルバイト」「バックパッカー」と着実に楽しそうな「非リア」生活を送っておられる。
ひそかな人生の「女師匠」として、尊敬申し上げている。
(続く→こちら)