拝啓 夏目漱石先生

自称「漱石先生の門下生(ただのファン)」による日記

C’est la vie 又は「なんだか色々思い出した日」

2006-04-14 23:10:18 | 日記
今日も授業の間に長い空き時間があったのでまたもや図書館に行き、理科の課題の河川についてのレポートをやって時間を潰した。資料がいくらでもあったのでこーれはすぐ片付きそうだなぁと思うと、例によってスピッツ聴いていたおかげでまた少しだけ高揚してきた。窓に目をやればブラインド越しに桜が見える。う~む、和む。こんな平和がいつまでも続けばいいのにねぇ。最近気持ちの浮き沈みが微妙に激しく、まさに春の空模様並に移り変わる。ただ春の空の色の如し。沈んだといっても図書館に居ただけで回復するのだからたいしたことはないのかもしれないが…。
で、まあそんな感じで河川について調べたお陰でにわかな知識が身についた。上流と下流の違いについてならなんでも聞いてくれ。「川の水はどこからくるの?」なんて素朴な疑問もオッケーさ。ちゃんと答えられるかどうかは質問によるけどねー…。うむ。普段河川についての本など読まないため、今日資料を読んで初めて知る事実がいろいろあった。レポートとは直接関係のない治水工事の話が面白かった、というか懐かしかった。小学校4年のときの社会科で、木曽川・長良川・揖斐川の大規模な治水工事のことを習ったのを思い出したのだ。以下、習ったことを思い出してみることにする…。多分つまんない。

江戸時代、大洪水による木曽・長良・揖斐川の氾濫による水害を解消させるため、徳川幕府は「外様大名いじめ」の一環として薩摩藩に、その水害の地域に大規模な堤防をつくらせる治水工事を命じる。莫大な費用を工事に費やすようにさせ、勢力をコントロールするために命じたわけだ。 幕府のもくろみ通り、莫大な治水工事費による財政赤字が深刻化した薩摩藩。財政だけでなく、危険な工事に関わった多くの藩士達が犠牲になるなど大変なことに(倒幕の遠因にもなったと言われている)。結局工事が済んだ後、藩主は責任を取り切腹してしまう。その後、明治時代になってから、江戸時代の工事だけでは水害が完全に解消されなかったということで、オランダ人河川技術者ヨハネス・デ・レーケが大規模な再工事を行った。こんなようなことを確か習った気がする。その後社会科見学で実際に川を見に行った。三つの川が合流するあたりにつくられた「木曽三川公園」に、治水工事の資料館があり、そこで治水工事の歴史を復習した。まあ、そこは「公園」だから勉強は二の次だった。普通に遊びまくってた。

とまあこんなことを思い出したのだった。記憶の片隅に追いやられていたものが色々と出てくる。まるでスピッツの「メモリーズ」の歌詞である。「引っ張りだしたらいつもカビくさい 大丈夫かなメモリーズ」である。ちなみにオレンジレンジの「以心電心」のサビは「メモリーズ」に激似である。初めてCMでオレンジレンジの曲を聴いたとき「え?似すぎ!大丈夫?怒られない?」とか余計な心配したものだ。
そういえば今日の記事のタイトルはフランス語である。今日からブログを始めるとしたらこれをブログのタイトルにしてたかもしれない(ごめんなさい漱石先生)。なんだか今日の気分にぴったりなんだよねぇ、この言葉。
 


追記
最近自分の身の回りの人達がこのブログをご覧になっているようで、嬉しいやら照れくさいやら。くれぐれもこっそり見てくださいね。で、よかったらこっそり感想を教えてくださいな。

追記2
近所のTSUTAYAが土日にレンタル半額セールやるらしい。でももう見たいもん無いわぁ。