昨日、「日本スポーツコミッション」のセミナーに参加し、面白い話がいっぱい聞けました。
とりあえず、1964年に開催された東京オリンピックの遺産の話をいくつか。
それと、サッカーワールドカップの際、
アイルランドチームのキャップ地になった
出雲市とアイルランドのその後の交流の話もよかった。
1)日本でのピクトグラム(非常口やトイレ等を絵で表現する看板)の普及のきっかけは東京オリンピックだった
言葉の通じない外国人が何万人も来日するということで、
外国人観光客にわかりやすくトイレや競技場などの場所を示す方法として、
試行錯誤の中で、絵で表現する看板(ピクトグラム)が考案されたそうです。
スタッフは、美術評論家の勝見勝氏をリーダーに、
亀倉雄策氏、・田中一光氏などのスターデザイナーをはじめ若手デザイナーが
集められたそうです。
新聞記事?に、迎賓館に集められたと書いてあったような記憶が…。
たしか、オリンピックのポスターも田中一光氏の作品だと記憶するが。
オリンピックの競技種目を表すピクトグラムが体系的に作られたのは、このときが世界初で
それらが高い評価を受け、その後のオリンピックでも開催各国がそれぞれにデザインを変化させて受け継がれたそうです。
聖火台・聖火トーチなどのプロダクト部門は柳宗理等が担当したそうです。
2)日本IBMによる大会競技の記録処理
日本IBMは高速で大容量のデータを短時間で送信するシステムを開発
この結果、各競技会場からの速報が日本青年館のプレスセンターに送られたそうです。
ネット通信の先駆けです。
3)1964年の東京オリンピックでは第2回パラリンピックが行われていた
当時、小学校2年生でしたが、パラリンピックの記憶は全くないですね。
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