熊本県のPRマスコットキャラクター「くまモン」は、
県の許可をもらえば、ロゴとキャラクターを無料で使えるという話を書きましたが、
なんと、代々木八幡のATMにいったら、その通り道にある熊本料理のお店に
「くまモン」がいたのです。
熊本出身ではないのですが、くまモンがとても身近な存在になってきました。
熊本県のPRマスコットキャラクター「くまモン」は、
県の許可をもらえば、ロゴとキャラクターを無料で使えるという話を書きましたが、
なんと、代々木八幡のATMにいったら、その通り道にある熊本料理のお店に
「くまモン」がいたのです。
熊本出身ではないのですが、くまモンがとても身近な存在になってきました。
新潟県の十日町地方で
2000年より3年ごとに開催されている
大地の芸術祭 『越後妻有アートトリエンナーレ2012』が
7月29日から開催されます。(9月17日まで)
詳しくは↓
二・三日前にこういう活動をしているグループを知りましたので紹介させていただきます。
コラボ・スクールとは、被災地の子どもたちに学習指導を行う放課後の学校です。
被災が特に激しかった、宮城県女川町(女川向学館)と岩手県大槌町(大槌臨学舎)で、学校を運営しています。
http://www.collabo-school.net/
この学校を運営しているのは、NPOカタリバで、代表理事はまだ32歳の女性ですからすごいですね。
ハタチ基金とは、
被災孤児、及び被災地の子どもの心のケアに合わせ、
学び・自立の機会を継続的に提供する基金として設立しました。
東日本大震災発生時に0歳だった赤ちゃんが、
無事にハタチを迎えるその日まで。
子どもたちのサポートを継続的におこなう期限付きの基金です。
今日の記事は「跡地売却せずに集団移転可能に」。
先日の記事では、集団移転が決まった地域の宅地すべてを
自治体が被災者から買い取らないと、国が自治体に資金を全額補助しない仕組みだったが、
自治体が買い取った分だけを補助できるよう制度を変更することになった。
でもねーって感じですよね。
住宅ローンが例えば2000万も残っている人は、集団移転となれば、二重ローンになるわけで、
普通のサラリーマンで払いきれない。
それ以前に、銀行の融資は受けられないだろう。
したがって、自分が被災していたら、災害公営住宅に入居するしか選択肢はない。
■6月25日(給料日) 日経MJ記事
熊本県のPRマスコットキャラクター「くまモン」の人気がすごいらしい。
もともと九州新幹線開業向けのキャンペーンキャラクターだったが、
人気が出たので開通後も県の統一イメージキャラクターに昇格。
このあとがすごい!!
熊本県の許可を得れば、国内であれば、ロゴとキャラクターを無料で利用できる。
この結果、2012年3月14日の発表では、使用許可数782社、3682件。
それらの商品売上高は25億円を超えているそうです。
くまモンオフィシャルサイトは↓
鞆の浦は、
10年ほど前に出版された「美しい都市をつくる権利」(五十嵐敬喜著)で
とりあげられていた街であり、
また、海援隊がはじめて手にした蒸気船「いろは丸」が
紀州藩船「明光丸」に衝突、沈められ、談判のために碇泊した港町でもある。
(実際の談判は紀州藩が逃げたため長崎で行われたが。※詳細は「竜馬がゆく」(文庫本第7巻)参照。)
そのほか、宮崎駿監督のアニメ映画「崖の上のポニョ」の舞台としても注目を集めた場所でもある。
一度は訪ねたいと思いながら、いまだに訪ねるチャンスが巡ってこない。
埋め立て・架橋計画は、1983年に策定されたものであり、2001年に計画は縮小されたものの、
計画の中止をめぐって、約30年にわたり争われてきた。
先週、広島県知事が中止の意向を固めたことで、やっと終止符が打たれることになった。
なぜ、このような計画がもっと早く中止にならなのか理解しがたい。が、とにかく、埋め立てられずに良かった。
■先週の朝日新聞の記事です。
今日の記事は「仮設住宅に長生き坂」。
「宮城県南三陸町の仮設住宅にある、長さ10mほどの坂を
お年寄りたちが、「長生き坂」と呼んで、上り下りを繰り返している。
坂の上の仮設カフェでは無料のコーヒーを飲みながら
おしゃべりを楽しんでいる。」そうだ。なるほど。
今日の記事は次の2つです。
1)東北大災害科学国際研究所(震災機に文理の力結集)
2)三陸産銀ザケ(加工設備整わず卸値低迷)
本日、6月20日より、
復興のプロセスが追えるように、
東日本大震災被災地の復興に関連する新聞・雑誌等の記事を
スクラップしてしていきたいと思います。
今日の記事は次の3つです。
1)北上川の津波到達表示板
2)銀座の老舗が被災地の革小物販売
3)香川選手が被災地の子供たちと交流
先々週(たしか6月2日だったような)、雨の中、近頃話題の
セントラルイースト東京、馬喰町、浅草橋界隈を散策してきました。
空きビルを活用したおもしろいお店が、もうちょっとあるかと思っていたのですが・・・、
下調べ不足か、あまり見つけられなかったです。
ただ、雨の中でも、山形料理の「フクモリ」なんかは、結構、人が入っていました。
でもこういうのがどんどん出現してくると、街が元気になっていいですね。
帰り際、疲れたので浅草橋駅近くのカフェに入ったら、
最近は、少しずつ小さな飲食店が増えてきて、
街に活気が出てきたと言ってました。
たしかに、アフターファイブに寄り道したい感じのお店が結構ありました。
▲アガタ竹澤ビル(地下1階から4階までギャラリーや飲食店が入居してます
▲山形料理の店「フクモリ」
▲COLORWORKSビル
▲starnet
▲柳橋の舟屋
▲柳橋
▲雨の隅田川
▲ルーサイトギャラリー
▲ギャラリー パラボリカ・ビス
▲自転車に惹かれて入ってしまいました。ジーパンはもうびしょびしょでした。
あー、三善英二?を急に思い出してしまった。
自称・茨城観光大使でありながら、
昨日まで「納豆」の名前の由来を知らなかった。
以下、新聞記事を紹介します。
1083年源義家が常陸国(茨城県です)で宿営した際、
家来が煮豆の残りをワラで包んでおいたところ、
自然発酵して偶然にできた。
これを義家に献上したところ、非常に喜んだことから、
将軍に納めた豆という意味で「納豆」と名付けられたという。
1657年には水戸光圀(水戸黄門)が、有事に備えての備蓄食料として
納豆の製造を進めた。
明治になり、水戸藩士だった笹沼清左衛門が1889年に製造技術を確立。
水戸藩の尊王攘夷激派「水戸天狗党」にあやかり「天狗納豆」として商品化した。
開業したばかりの水戸駅で、地元の売り子少年によるワラ包みの納豆が評判になり、
水戸の土産品として定着した。
ということでした。うーん、勉強になりました。忘れないようにしないと。
最近は、ちょっと高級感のある久米納豆が人気を呼んでいますが、
個人的には、こちらの天狗納豆の方が好きですね。
それと、納豆と切干し大根をしょうゆでつけこんだ「そぼろ納豆」もお薦めの一品です。
こちらも、一度試食してみてください。
納豆ツウなら、そぼろ納豆をおいしく感じないといけません。
確か、銀座の東芝ビル1階に茨城物産館が期間限定で設置されていますので、
銀座に行かれた方は寄って見てください。
イバラキをよろしくお願いします。
■6月16日(土)
水戸で久しぶりにおいしい地ビールに出会いました。
木内酒造合資会社の「常陸野ネストビール」。
木内酒造のURL http://www.kodawari.cc/?jp_home/bop.html
水戸駅南口の駅ビル エクセルみなみ4階でこの「おいしいっっー生ビール」が飲めます。
水戸に行ったら是非。
「自称・茨城観光大使」お薦めの一品です。
アンバーエールです。
ニッポニアです。
麦芽を炒ったつまみが旨い
親子連れに大人気の水郡線トロッコ電車(アンパンマントロッコ)
■6月14日朝日新聞朝刊
やっと、新宿副都心ににぎわいが生まれそうだ。
新宿副都心は緑も適度にあり、一見整然とした感があるが、
公開空地が広すぎて、非常に殺風景、なーんとなく寂しい。
以前から、ビジネスマンや観光客で賑わう街にならないだろうかとか、
ずっと思っていたが、ついにというか、やっと生まれ変わる可能性が出てきた。。
新聞記事によると、
副都心の超高層ビル群約60haの約8割が公開空地で、
このスペースに、平常時はオープンカフェ、災害時には医療救護の場として
活用する軽量鉄骨造の「防災屋台」を整備するらしい。
西新宿の再生の手本は、ニューヨークのオフィスの真ん中にある「ブライアントパーク」だそうだ。
ここでには、大勢のビジネスマンや観光客が訪れ、芝生の上でお昼休みを過ごす。
ファッションショーや音楽会などの頻繁に開催される。
上の写真は、ブログ「ニューヨークの遊び方 http://nyliberty.exblog.jp/11077436/」の写真をシェアさせていただきました。
ブライアントパークのHP http://www.bryantpark.org/
新宿副都心は、国際戦略総合特区に指定されていることから、
公開空地での建築基準法の規制緩和を進め、
プレハブ風のおしゃれな屋台などの店を設置し、集客を目指す。