社会空間研究所 建築・まちづくり通信

社会空間研究所の所員が建築・まちづくりに関する情報等を気ままに綴ったブログです。
2007年6月からスタートしました。

話題のセントラルイースト東京 馬喰町・浅草橋界隈

2012-06-19 19:21:22 | まち歩き(東京)

先々週(たしか6月2日だったような)、雨の中、近頃話題の

セントラルイースト東京、馬喰町、浅草橋界隈を散策してきました。

空きビルを活用したおもしろいお店が、もうちょっとあるかと思っていたのですが・・・、

下調べ不足か、あまり見つけられなかったです。

ただ、雨の中でも、山形料理の「フクモリ」なんかは、結構、人が入っていました。

でもこういうのがどんどん出現してくると、街が元気になっていいですね。

帰り際、疲れたので浅草橋駅近くのカフェに入ったら、

最近は、少しずつ小さな飲食店が増えてきて、

街に活気が出てきたと言ってました。

たしかに、アフターファイブに寄り道したい感じのお店が結構ありました。

 

▲アガタ竹澤ビル(地下1階から4階までギャラリーや飲食店が入居してます

 

▲山形料理の店「フクモリ」

▲COLORWORKSビル

▲starnet

▲柳橋の舟屋

▲柳橋

▲雨の隅田川

▲ルーサイトギャラリー

▲ギャラリー パラボリカ・ビス

▲自転車に惹かれて入ってしまいました。ジーパンはもうびしょびしょでした。

あー、三善英二?を急に思い出してしまった。

 

 

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納豆の名前の由来ほか

2012-06-19 12:47:44 | 観光

自称・茨城観光大使でありながら、

昨日まで「納豆」の名前の由来を知らなかった。

以下、新聞記事を紹介します。

1083年源義家が常陸国(茨城県です)で宿営した際、

家来が煮豆の残りをワラで包んでおいたところ、

自然発酵して偶然にできた。

これを義家に献上したところ、非常に喜んだことから、

将軍に納めた豆という意味で「納豆」と名付けられたという。

1657年には水戸光圀(水戸黄門)が、有事に備えての備蓄食料として

納豆の製造を進めた。

明治になり、水戸藩士だった笹沼清左衛門が1889年に製造技術を確立。

水戸藩の尊王攘夷激派「水戸天狗党」にあやかり「天狗納豆」として商品化した。

開業したばかりの水戸駅で、地元の売り子少年によるワラ包みの納豆が評判になり、

水戸の土産品として定着した。

ということでした。うーん、勉強になりました。忘れないようにしないと。

最近は、ちょっと高級感のある久米納豆が人気を呼んでいますが、

個人的には、こちらの天狗納豆の方が好きですね。

それと、納豆と切干し大根をしょうゆでつけこんだ「そぼろ納豆」もお薦めの一品です。

こちらも、一度試食してみてください。

納豆ツウなら、そぼろ納豆をおいしく感じないといけません。

確か、銀座の東芝ビル1階に茨城物産館が期間限定で設置されていますので、

銀座に行かれた方は寄って見てください。

イバラキをよろしくお願いします。

 

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