「映画の看板が町中にあふれている」くらいの予備知識だけで青梅を訪れた。
旧青梅街道から青梅駅方向を目指すと、映画の看板が掲げられた街並みが現れはじめる。
車を駐車場に入れ、街を歩いてみた。
観光パンフレットでよく紹介されているのはこのスポット。
昭和のおもちゃやお菓子、ジュースの缶、薬などのパッケージなどが飾られた「昭和レトロ商品博物館」と赤塚不二夫の漫画やトキワ荘時代の写真などを展示した「青梅赤塚不二夫会館」。
昭和レトロ商品館の2Fには、青梅が舞台とされる雪女の部屋もあった。部屋の中では、女性の声で雪女の物語がテープで流されていたが、天気がよかったためか不気味さはあまり感じられなかった。薄暗い部屋でこれを聞かされたら、、、寒気が走りそう。
この2館と少し離れた「昭和幻燈館」の3つの施設をまわって650円の割引券が配られている。
「昭和幻燈館」には、映画看板と昭和の街のジオラマ模型が展示されている。青梅に飾られている映画看板を描いていたのは、久保板観という絵師で、1日1枚ペース、生涯で3000から4000枚の映画看板を描いたとのこと。街中に飾られている映画看板には「板観画」とのサインがついている。ジオラマ模型の作者は山本高樹という造形家。昭和初期の怪しい街の様子や懐かしい青梅の街の様子などのジオラマが多数飾られている。その精巧さと人々の表情にひかれて、その時代を生きていない僕でもちょっとしたタイムスリップ感を味合わせてもらった。
街の中には、外観をレトロ風にして映画看板を掲げた店もちらほら見られるが、そうでない店にもかなり歴史を感じさせる建物が残っている。
なぜ、青梅で映画なのか?
>この小さな街に、最盛期には「青梅キネマ」「青梅大映」「青梅セントラル」の3つの映画館があったからとか。。。今は「キネマ通り」との名前は残っているが、映画館は1つもない。
そして、なぜ、青梅に赤塚不二夫なのか?
>青梅の映画看板がテレビで放映されたのを見て、漫画を書き始める前に新潟で映画看板を描いていた頃を思い出し、そこから青梅との接点が生まれたとのこと。すごい縁である。
昭和レトロ風の街並みから10分ほど西の方へ歩いたところにある都有形民俗文化財の旧稲葉家住宅にも足を伸ばしてみた。
間口が広く、間口一杯に土間がある農村地帯の店という印象だった。
登梁様式というらしく、水平な梁ではなく、垂木に代わる斜めの梁が設けられている。
建築年がはっきりわかる資料は残っていないとのことだが、この登梁様式から江戸時代の後期のものと推測できるということだ。・・・築200年あまりってことか。
それにしても、日本家屋はなんでこんなに涼しいんだろうか。
家の後ろには煙突があり、これは稲葉家とは直接関係のない酒蔵だと教えてもらった。
稲葉家の隣には「OKAZAKISTATION」という酒屋があり、なんで酒屋なのにSTATIONなんだと思ってよくみたら、「此処に駅有りき」という碑が建っていた。なるほど。
これは、旧稲葉家住宅から近い金剛寺の境内にあった「青梅」。この熟しても青いままの梅が青梅の地名の由来だとか。
初めて訪れた街だったが、天気がよかったせいか、すごく楽しく過ごせた街だった。
映画の町おこしに関しては、頑張ってはいるけど、もう少しという印象を受けた。「キネマ通り」がキネマ通りっぽくなかった感があるので、街全体というよりも、とことん映画にこだわった街並みをスポット的でもいいから実現できたら、もっとインパクトがある街になるように思う。・・・各々の生活があるから、そうもいかないのだろうが。
最後に、お昼を食べた駅前のそば屋で、「こんにゃくまつりをやってんだよー」と気前よくこんにゃくをいただいたおじさん(客)に感謝!
このおじさんの存在が、僕の青梅好感度を上げたこと間違いなし。
観光案内所のおじさんにも親切にしてもらったし、旧稲葉家でも管理人さんがいろいろと声をかけてくれた。ほんと、いい人が多い街だった。
気が向いたら訪れてみてください。
P.S.おみやげに「青梅ーのだ」を買いました。お楽しみに。
↑バカボンのパパ風に読んでください
(oba)
旧青梅街道から青梅駅方向を目指すと、映画の看板が掲げられた街並みが現れはじめる。
車を駐車場に入れ、街を歩いてみた。
観光パンフレットでよく紹介されているのはこのスポット。
昭和のおもちゃやお菓子、ジュースの缶、薬などのパッケージなどが飾られた「昭和レトロ商品博物館」と赤塚不二夫の漫画やトキワ荘時代の写真などを展示した「青梅赤塚不二夫会館」。
昭和レトロ商品館の2Fには、青梅が舞台とされる雪女の部屋もあった。部屋の中では、女性の声で雪女の物語がテープで流されていたが、天気がよかったためか不気味さはあまり感じられなかった。薄暗い部屋でこれを聞かされたら、、、寒気が走りそう。
この2館と少し離れた「昭和幻燈館」の3つの施設をまわって650円の割引券が配られている。
「昭和幻燈館」には、映画看板と昭和の街のジオラマ模型が展示されている。青梅に飾られている映画看板を描いていたのは、久保板観という絵師で、1日1枚ペース、生涯で3000から4000枚の映画看板を描いたとのこと。街中に飾られている映画看板には「板観画」とのサインがついている。ジオラマ模型の作者は山本高樹という造形家。昭和初期の怪しい街の様子や懐かしい青梅の街の様子などのジオラマが多数飾られている。その精巧さと人々の表情にひかれて、その時代を生きていない僕でもちょっとしたタイムスリップ感を味合わせてもらった。
街の中には、外観をレトロ風にして映画看板を掲げた店もちらほら見られるが、そうでない店にもかなり歴史を感じさせる建物が残っている。
なぜ、青梅で映画なのか?
>この小さな街に、最盛期には「青梅キネマ」「青梅大映」「青梅セントラル」の3つの映画館があったからとか。。。今は「キネマ通り」との名前は残っているが、映画館は1つもない。
そして、なぜ、青梅に赤塚不二夫なのか?
>青梅の映画看板がテレビで放映されたのを見て、漫画を書き始める前に新潟で映画看板を描いていた頃を思い出し、そこから青梅との接点が生まれたとのこと。すごい縁である。
昭和レトロ風の街並みから10分ほど西の方へ歩いたところにある都有形民俗文化財の旧稲葉家住宅にも足を伸ばしてみた。
間口が広く、間口一杯に土間がある農村地帯の店という印象だった。
登梁様式というらしく、水平な梁ではなく、垂木に代わる斜めの梁が設けられている。
建築年がはっきりわかる資料は残っていないとのことだが、この登梁様式から江戸時代の後期のものと推測できるということだ。・・・築200年あまりってことか。
それにしても、日本家屋はなんでこんなに涼しいんだろうか。
家の後ろには煙突があり、これは稲葉家とは直接関係のない酒蔵だと教えてもらった。
稲葉家の隣には「OKAZAKISTATION」という酒屋があり、なんで酒屋なのにSTATIONなんだと思ってよくみたら、「此処に駅有りき」という碑が建っていた。なるほど。
これは、旧稲葉家住宅から近い金剛寺の境内にあった「青梅」。この熟しても青いままの梅が青梅の地名の由来だとか。
初めて訪れた街だったが、天気がよかったせいか、すごく楽しく過ごせた街だった。
映画の町おこしに関しては、頑張ってはいるけど、もう少しという印象を受けた。「キネマ通り」がキネマ通りっぽくなかった感があるので、街全体というよりも、とことん映画にこだわった街並みをスポット的でもいいから実現できたら、もっとインパクトがある街になるように思う。・・・各々の生活があるから、そうもいかないのだろうが。
最後に、お昼を食べた駅前のそば屋で、「こんにゃくまつりをやってんだよー」と気前よくこんにゃくをいただいたおじさん(客)に感謝!
このおじさんの存在が、僕の青梅好感度を上げたこと間違いなし。
観光案内所のおじさんにも親切にしてもらったし、旧稲葉家でも管理人さんがいろいろと声をかけてくれた。ほんと、いい人が多い街だった。
気が向いたら訪れてみてください。
P.S.おみやげに「青梅ーのだ」を買いました。お楽しみに。
↑バカボンのパパ風に読んでください
(oba)