夏の代表花、座間市の市花「ひまわり」を主役とした夏のイベント「座間のひまわりまつり2017」が8月開催の座間会場に先だってここ「栗原会場」で今日(7/21)9:30から始まった。ここ栗原会場は5面のエリアに種まきされた10万本のひまわりが今日の祭りに合わせたかのように快晴の夏空のもと咲き揃い黄金の大輪を咲かせている。第一会場の「展望台」前のエリアがまだ蕾であるが他のエリアは満開となって見頃を迎えている。会場には飲食、地元農産物、かき氷など幾つものテントが張り巡らされ、甘い美味しい匂いが立ち込めている。一昨日梅雨明けが発表され暑い会場は、ひまわり愛好家、鑑賞客、写真マニア、家族連れ、カップル等が続々と来場し賑っていた。7/26まで主役たちもこの先暑き快晴の予報の中、今日以上の美しさと青空とのコントラストでここ栗原会場はひまわり一色となって来場者を虜にするに違いない。栗原会場の後は8/10から「座間会場」へバトンタッチされる。(1707)
大田区蒲田に地頭行方直清の菩提寺、池上本門寺の旧末寺、日蓮宗の寺院「性光山円頓寺」はある。創立は天正18年(1590)。文禄元年(1592)日藝上人が当地地頭兄弾正忠直清と、一門の追善菩握のため、旧館跡に1宇を建立、直清の法名「性光院殿円安行頓日方居士」から「円頓寺」とする。「新編武蔵風土記稿」や「江戸名所図会」などに「円頓寺」の事跡が記載されており、八幡塚、高畑、吉川、町屋、道塚、雑色の6郷及び大師河原を合せて361貫24文の地の領主であった。本尊は一遍首題曼荼羅。「山門」を抜けると境内正面に「本堂」、そして「行方弾正直清の供養塔」、「日芸の印塔」がある。また近くの呑川には「弾正橋」という橋名もある。(1706)
町田市野津田に四季の花で彩られ、市民のオアシスとなっている「薬師池公園」。園内の北端部の3,000平方メートルのハス田では毎年この時期に約2000株の「大賀ハス」がピンク色の美しい花を咲かせる。今月初めに一番花が咲いたの報せ、訪れた今日は青々と茂った葉の上や隙間に大きく開花したもの、これから大きく膨らんだ蕾から花を広げようとスタンバイしているもの、30輪近く咲いている。縄文時代2000年前の種子から発芽した大賀ハス、開花した花姿は華やかさのなかに気品、気高さが漂うなんとも神秘的な花である。古代の人々も見ていたであろうと思うとなんともロマンチックな夢のある話である。ハスは早朝に開花し午後に花を閉じるを数日繰り返し開いたまま花を落とすというその儚い命の美しさは尊ささえ感じる。仏像の蓮華部にも用いられているハスは「雄弁」とか「神聖」そして「清らかな心」という花言葉を持っている。7月30日(日)には「観蓮会」が行われる。(1707)
大田区蒲田に日蓮宗の寺院「宝光山妙典寺」はある。永徳元年(1381)上杉六郎が開基となり、天台宗妙田寺として創建した。池上本門寺5世日饒上人(1358~1428)が日蓮宗に改宗し「妙典寺」と改号する。もとは天台宗「妙田寺」と称したが、永徳元年(1381)開基上杉六郎が日蓮宗に改宗し「池上」、「比企ケ谷」、「身延」三か寺の学頭である日饒により改宗。江戸時代は近末の触頭寺としての重職にあったようである。本尊は一塔両尊四士。戦災で焼失。柳島鈴木戒秀師、万治元年造の祖師像を納める。平成11年築の「山門」を抜けると正面に昭和27年再建の「本堂」、一大改修工事により平成9年完成の「客殿」、「庫裡」、「毘沙門堂」、「三十番神堂」などがある。当寺には漢方医・華道遠州流を伝えた林松庵平林氏、近郷旧家、当地草分の旧家「蒲田氏」、「光浄院蓮光」、武田家の部将といはれる嶋田氏、荘官の杉原氏などの墓がある。(1706)
大田区蒲田にかつて隣接する「薭田神社」の別当寺であった法華宗「池上本門寺」末の寺院「長光山栄林寺」はある。寺伝では千如院日好(寛永3年1626年寂)が開山。本尊は三宝を安置。神体が日蓮の開眼と伝えられる延喜式内社「蒲田神社(薭田神社)」の別当寺として、「諸寄進帳」に安政の地震で大破した社殿を41世日現代に再建の記載がある。江戸時代、現在の呑川東岸にあった「鶴寄せ場」を中心にした蒲田寄りの水田地域は当寺の檀徒区域で、将軍鷹狩りに纏わる伝えとして、将軍が休息した「檀徒の家」や「お成り橋」、「馬引橋」なども残っている。「山門」を入ると正面に「本堂」、右に「客殿」がある。境内に建てられている「開山供養塔」は大田区の文化財となっている。(1707)