相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

二霊場札所の「医王山龍光寺」

2019-05-09 15:43:22 | 寺院
江東区亀戸に真言宗智山派寺院「医王山竜光寺」はある。弘治2年(1556)に僧元栄が、江戸横山町に創建。元和の頃、真田幸村の家来「成川仁右衛門忠幸」が大坂城落城後一族を引き連れ押上村に居住し、寛永元年(1624)亀戸村に日夜信仰する薬師如来を本尊として寺を建立したのが興りである。本尊は薬師如来(恵心作)。戦災により本尊を無くし「多聞寺」から十一両観音菩薩を譲り受けたという伝えもある。明治通り「亀戸香取神社」の裏手にあり、「寺号標」(寺門)を抜けると正面に入り母屋風造りの「本堂」、本堂右手に「庫裏」があり、その横に石仏が建てられている。当寺は南葛八十八ヶ所霊場46番、荒川辺八十八ヶ所霊場74番札所である。(1904)







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身延弘通所、江戸十祖師の名刹「法苑山浄心寺」

2019-05-09 15:15:53 | 寺院
江東区平野に「身延山弘通所」、「江戸十祖師」、日蓮宗寺院「法苑山浄心寺」はある。日義上人が深川に営んでいた草庵を、四代将軍徳川家綱の乳母三沢局(明暦2年寂)の帰依を得、三沢局の遺命により新寺を建立したが、亡くなった日義上人に託された日通上人が創建。徳川家綱から寺領100石の御朱印状を拝領、宝暦三年(1753)、身延山の祖師像・七両天女像の出開帳が浄心寺で執り行われ、身延山の弘通所(仏教を普及させる)と呼ばれた。将軍家より10万石の格式を許された大寺院で「江戸十祖師」(当時の民間信仰の一つで江戸十ヶ寺を参拝し祖師の御利益に預る)随一といわれた名刹で、最盛期は寺中に8ヶ院の塔頭を擁していた。境内には「山門」、石造りの仏舎利のような「本堂」、「祖師堂」、「鐘楼」、「百度石」、「和合稲荷」などがあり名刹らしい広大な寺域を形成している。(1904)











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三霊場札所の「泉久山海照寺」

2019-05-09 14:29:50 | 寺院
横浜市磯子区坂下町に真言宗寺院「泉久山海照寺」はある。海照寺の創建年代等は不詳ながら、寛永8年(1603)に尊珍が中興、明治維新までは根岸村の諸神社の別当を兼帯していたと伝わる。寛永10年議定の関東古義眞言宗本末帳に「寶生寺」末寺の記載がある。維新の頃までは村内、熊野三社・宇佐八幡・伊勢宮・稻荷明神・浅間宮の別当を兼ね、叉、地藏堂及び不動堂をも進退していた。明治7年、元町の增徳院に転屬し、大正15年に「大本山金剛峯寺」の直末となる。本尊は聖德太子作と伝わる地藏菩薩の立像。根岸駅よりプールセンター入口信号右折し根岸坂下の先に磯子霊園と隣接した地に鎮座、「山門」を抜けると正面に重厚な造りの「本堂」、左に庫裏、右に「弘法大師像」が建祀されている。当寺は東国88ヵ所霊場、横浜観音33観世音霊場、横浜弘法大師21ヶ所霊場の札所である。(1905)










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