1月は、葬儀が多い。寒いためか、それとも、私が年をとったためか。両方であろう。
今日は、娘の嫁ぎ先の親せきで、祖母の葬儀があった。あと少しで米寿を迎えるところだった。
私は、葬儀で、お坊さんのお経を聞きながら、自分の生きてきた道を考えるようにしている。私もあと何年かで、生を終えることになる。
自分の葬式に配布する「菊池伸浩年譜」は準備ができている。どのような葬儀にするのか、まだ決まっていない。私は、死ぬことは、「原子にもどる」ことだと考えているので、無宗教で、原子葬がいいと思っているが、まだ具体案が生まれない。
私の師と仰ぐ板倉聖宣(仮説実験授業の提唱者)氏のマネである。しかし、まだ1930年生まれの(不破哲三氏も同年で、東京大学で同学年である)氏は健在である。
そろそろ具体的に考えなくてはいけない時期に近づいているような気がした1日であった。