今日のしんぶん赤旗には、「東京大空襲の語り部・故早乙女勝元さんの葬儀に、市田忠義党副委員長が参列」したと報じています。紹介します。
早乙女勝元さん葬儀
反戦を貫いた人生
市田氏が参列
5月10日に死去した作家で東京大空襲・戦災資料センター初代館長務めた早乙女勝元さんの葬儀が20日、東京・寛永寺の輪王殿で行われました。
日本共産党からは市田忠義副委員長、土井洋彦学術・文化委員会責任者が参列。東京大空襲・戦災資料センター館長の吉田裕さんが葬儀委員長を務め、あいさつしました。
弔辞では映画監督の山田洋次さんが、「私がまだ無名で貧しかった若い頃、よくお宅に遊びに行き、柴又で食事をしました。あの細い体の中にははっきりと戦争に対する怒りをもっていた。反戦を貫かれた人生、あなたから受け取ったものは生涯忘れません」と述べました。
全国空襲者連絡協議会事務局次長の河合節子さんは「空襲で犠牲になった人々を、雑草ではなく、名前のある人ととして認め、活動し、一生を捧げてこられました。今後も私たちの道を照らす灯台として、見守ってください」とかたりかけました。
エッセイストの海老名香葉子さん、詩人のアーサー・ビーナードさんが弔辞を述べました。
東京大空襲・戦災資料センターでは22日まで追悼コーナーが設置されています。
早乙女勝元さん葬儀
反戦を貫いた人生
市田氏が参列
5月10日に死去した作家で東京大空襲・戦災資料センター初代館長務めた早乙女勝元さんの葬儀が20日、東京・寛永寺の輪王殿で行われました。
日本共産党からは市田忠義副委員長、土井洋彦学術・文化委員会責任者が参列。東京大空襲・戦災資料センター館長の吉田裕さんが葬儀委員長を務め、あいさつしました。
弔辞では映画監督の山田洋次さんが、「私がまだ無名で貧しかった若い頃、よくお宅に遊びに行き、柴又で食事をしました。あの細い体の中にははっきりと戦争に対する怒りをもっていた。反戦を貫かれた人生、あなたから受け取ったものは生涯忘れません」と述べました。
全国空襲者連絡協議会事務局次長の河合節子さんは「空襲で犠牲になった人々を、雑草ではなく、名前のある人ととして認め、活動し、一生を捧げてこられました。今後も私たちの道を照らす灯台として、見守ってください」とかたりかけました。
エッセイストの海老名香葉子さん、詩人のアーサー・ビーナードさんが弔辞を述べました。
東京大空襲・戦災資料センターでは22日まで追悼コーナーが設置されています。