今日も、参政党批判の記事を紹介します。
選挙と「日本人ファースト」
「『表現の自由』は『差別の自由』ではない」
安田菜津紀
選挙期間中、怯えてくらした外国人がいた
「早く選挙期間が終わりますようにって、こんなに願ったのは初めてだったー」
日本生まれの外国籍の友人が、「毎日外にでるのが怖かった」とメッセージを送ってきたのは、参院選の投票締め切り直後のことだった。本来選挙は、民主主義を支える大切な仕組みの一つのはずだ。けれどもその選挙期間中になぜ、怯えてくらさなければならない人々がいるのか。
参政党が盛んに掲げた「日本人ファースト」というスローガンについて、「どこが差別なのか」という意見も時折耳にした。そもそも差別とは、その言動の「意図」の問題ではない。人種差別撤廃条約第1条でも、排除や平等な権利を害する「効果」そのものを問題視している。
こうしたスローガンがもたらす「効果」とは、「命に序列を作っていい」を社会の中までまかり通らせてしまうことではないか。公党が発するメッセージでは、影響は計り知れない。「ファースト」があれば「セカンド」「サード」、あるいな「欄外」も作りだされるかもしれない。エスカレートすれば、」矛先はさまざまなマイノリティ性を持つ人々に広がるリスクもあるだろう。
参政党候補の「日本人ファースト」は異常
「日本人ファーストのスローガンそのものも問題だが、それを基盤にした候補者らのデマや差別も深刻なものだった。例えば神奈川選挙区から立候補した初鹿野裕樹氏は7月3日、横浜市内での街頭演説で「外国人は生活保護を受給する権利がないにもかかわらず保護という観点で(受給でき)、日本人はなかなか受給できない」と言い放った。
外国人への生活保護の支給が憲法違反だとする判断はこれまで行われていない。1954年の厚生省通知に基づき、各自治体は外国籍者に対しても一定の「準用」を実施してきた。福岡資麿厚生労働大臣は7月15日にの記者会見で、「生活保護の取り扱いで外国人を優先することはない」と明言している。
また神谷宗幣代表は7月8日の盛岡駅前での演説で、「盛岡でも外国人が非常に増えていると思いませんか。ある程度規制を設けないとこの先恐くないですか」と外国人の存在と「恐怖」を結びつけるような発言をした。こうしたメッセージと呼応するように、ネット上でも「外国人が増えると犯罪が増える」というデマが拡散された。
在留外国人は増加したが、犯罪は減少傾向
日本の在留外国人数は2004年時時点では1万4千人(登録外国人数)、24年末には376万9千人となり、20年間で大きく増えた。一方、刑法犯で検挙された外国人の人数は、減少傾向にあることが法務省の「犯罪白書」で示されている。
それでも外国人が「社会の脅威」であるかのような「イメージ」がばらまかれ、選挙運動がヘイトとデマの拡声器として化している中、冒頭の友人は外国であるために、投票を通して意思を示すことが困難な人々に、選挙を通して差別の矛先が向けられるーこの非対称性こそ暴力的ではないか。
『表現の自由』は『差別の自由』ではない
改めて明確にしておきたいのは、『表現の自由』は『差別の自由』ではない
ということだということだ。そして駅前等で候補者たちのヘイトスピーチに触れにあよう、時間をずらして行動する人、そもそも誓うに寄ることさえできない人たちがいるように、矛先を向けられた側の「自由」はすでに奪われている。
一方、排外主義に対抗する意味で、「日本が外国人労働者なくして成り立たない」という現状が強調されることもある。しかし外国人差別があってはならないのは、その人たちが「労働力として日本の”国益”に貢献しているから」ではない。人権には何かの「対価」として、誰かから「与えられる」ものではない。
日本政府はこれまで、観光客のみならず、技能実習生や留学生など、外国人を積極的に呼び込みながら、定住支援は自治体や学校、NPO任せにしてきたのではないか。だからこそ監視を強める「司令塔」を置く前に、「困りごと」を相談でき、人権侵害を受けた場合は迅速に救済される窓口を早急に設置することこそ急務ではないだろうか。
(やすだ・なつき=フォトジャーナリスト)
注)
文中の小見出しは、キクチの責任で付けました。