今日のしんぶん赤旗の潮流欄に、ドイツのメルケル首相と安倍首相の「話し方」の違いが紹介されている。私は、安倍首相の「話し方」「語り方」が、原稿を読むだけで、機械的な言葉に、いつも空々しさを感じている。顔を見るだけでいやになってくる。その理由を書いているので、紹介したい。
ドイツ・メルケル首相と日本・安倍首相の「言葉」
ドイツのメルケル首相は赤ちゃんの頃、一家で旧東独に移りました。その7年後、「ベルリンの壁」がつくられ崩壊までの35年間、閉ざされた国家で過ごしました。
「旅行や移動の自由を苦労して勝ちとった私のような人間にとって、そうした制限は絶対に必要な場合にのみ正当化されます」。「民主主義国家において、そういった制限は簡単に行なわれるべきではありません」
コロナ危機に際し、メルケル首相は国民にそう語りました。そして民主主義国家である以上、自分たちの政治的決定は透明性をもち、詳しく説明されなければならないと強調しました。
民主主義国家としてあるべき姿を示しながら、感染拡大を防ぐために苦渋の決断。国民の心情に訴えながら協力と連帯を呼びかける姿がそこにありました。だからこそ、このスピーチへの共感がひろがっているのでしょう。
ひるがえって、この国の首相はどうか。「一律休校、特措法」どれだけの負担や制約を国民に強いることになっても、心に響く言葉もなく原稿を読むだけ。記者の質問にもまともに答えない。国のよってたつ基盤さえ語れないリーダーに苦難の打開は託せず、国民の声で変えなければ。
メルケル首相は伝染病が教えてくれていることがあると。「私たちがどれだけ脆弱であるか、どれほど他者への思いやりのある行動に依存しているか。同時に、私たちが協力していくことでいかにお互いを守り、強めることができるか、とうこと」を
ドイツ・メルケル首相と日本・安倍首相の「言葉」
ドイツのメルケル首相は赤ちゃんの頃、一家で旧東独に移りました。その7年後、「ベルリンの壁」がつくられ崩壊までの35年間、閉ざされた国家で過ごしました。
「旅行や移動の自由を苦労して勝ちとった私のような人間にとって、そうした制限は絶対に必要な場合にのみ正当化されます」。「民主主義国家において、そういった制限は簡単に行なわれるべきではありません」
コロナ危機に際し、メルケル首相は国民にそう語りました。そして民主主義国家である以上、自分たちの政治的決定は透明性をもち、詳しく説明されなければならないと強調しました。
民主主義国家としてあるべき姿を示しながら、感染拡大を防ぐために苦渋の決断。国民の心情に訴えながら協力と連帯を呼びかける姿がそこにありました。だからこそ、このスピーチへの共感がひろがっているのでしょう。
ひるがえって、この国の首相はどうか。「一律休校、特措法」どれだけの負担や制約を国民に強いることになっても、心に響く言葉もなく原稿を読むだけ。記者の質問にもまともに答えない。国のよってたつ基盤さえ語れないリーダーに苦難の打開は託せず、国民の声で変えなければ。
メルケル首相は伝染病が教えてくれていることがあると。「私たちがどれだけ脆弱であるか、どれほど他者への思いやりのある行動に依存しているか。同時に、私たちが協力していくことでいかにお互いを守り、強めることができるか、とうこと」を
昨日は、オリンピック延期で1日中、騒々しかった。今日の東京新聞・本音のコラム欄には、前青山学院大学長の三木義一氏が、痛烈な批判をしている。私も同感に思うので、紹介したい。
オリンピック延期
三木義一
「お・も・て・な・し」、つまり「裏ばかり」で誘致に成功した東京オリンピックであったが、多くのアスリートの純粋な期待に反して、不祥事の連続であった。海外からの「やくざオリンピック」の批判を気にして、副会長をそっと辞任させたが、誘致の疑惑汚職が表面化したため、会長も昨年辞任した。
さらに追い打ちをかけるように八月の猛暑でのマラソンという、アメリカのテレビの都合を優先させた非常識企画が問題になり、コースが東京から札幌に切り替えられた。この時点で東京開催そのものを再検討すべきだったかもしれない。しかし、そういう変更を許さない巨額の金と利権が絡まっていた。そこに今回の新型ウイルスの問題である。ジョンズ・ホプキンス大学がこの種のウイルスの発生に警鐘を鳴らしていたが、政治家は事前の防止には金を出さない。何も起きなかったという最良の結果は誰もきづかないからである。
今回の「延期」は「中止」を避けたいという政治的思惑に重点が置かれている。とはいえ、オリンピック賛成論が作り出す、酸性の汚れには塩基(アルカリ)性の洗剤が効果的であろう。しかし、この延期を安倍政権の延期につなげるのは縁起でもない。公正な政治と青空の下でオリンピックを楽しむためには、コロナウイルスとアベノウイルスとの縁切りが必要不可欠だ。
(弁護士)
オリンピック延期
三木義一
「お・も・て・な・し」、つまり「裏ばかり」で誘致に成功した東京オリンピックであったが、多くのアスリートの純粋な期待に反して、不祥事の連続であった。海外からの「やくざオリンピック」の批判を気にして、副会長をそっと辞任させたが、誘致の疑惑汚職が表面化したため、会長も昨年辞任した。
さらに追い打ちをかけるように八月の猛暑でのマラソンという、アメリカのテレビの都合を優先させた非常識企画が問題になり、コースが東京から札幌に切り替えられた。この時点で東京開催そのものを再検討すべきだったかもしれない。しかし、そういう変更を許さない巨額の金と利権が絡まっていた。そこに今回の新型ウイルスの問題である。ジョンズ・ホプキンス大学がこの種のウイルスの発生に警鐘を鳴らしていたが、政治家は事前の防止には金を出さない。何も起きなかったという最良の結果は誰もきづかないからである。
今回の「延期」は「中止」を避けたいという政治的思惑に重点が置かれている。とはいえ、オリンピック賛成論が作り出す、酸性の汚れには塩基(アルカリ)性の洗剤が効果的であろう。しかし、この延期を安倍政権の延期につなげるのは縁起でもない。公正な政治と青空の下でオリンピックを楽しむためには、コロナウイルスとアベノウイルスとの縁切りが必要不可欠だ。
(弁護士)