20世紀末から市場を席巻するアメリカのジェネティック・ハックル。ネックであってもサドルと同じ様な長さのハックル。バーブは短く超小型ドライフライを巻く事が出来、更に色々な色のハックルを安定的に産出します。
そのジェネティック・ハックルの源流にキャッツキルのフライタイヤーHarry Darbeeが果たした大きな役割は良く知られております。
Darbeeの前にも同じフライタイヤーのReuben CrossはLeghorn種の鶏を育て彼の必要とするハックルを調達していたそうですが、やはりフライタイヤーとして安定的に各種ハックルを入手するためにもDarbeeは自宅の裏でハックル用の養鶏を始めたのでした。
彼は最初、米国産のBarred Rock種と言う、所謂グリズリーのハックルに覆われた鶏とOld English Game、更にブルーの色を出すためにBlue Andalusiaを掛け合わせる事からスタート。そこから多分ブルーダンだと思いますが、ダン色の雄鶏が育つと、その雄鶏一羽に様々な色の雌鶏を掛け合わせる「ショットガン・メソッド」と彼が呼ぶやり方でハックルの改良に取り組んでいったと言います。
戦前・戦中・戦後と続くDarbeeの努力により、様々な色を持つ長いハックルがキャッツキルの地に誕生したのでした。
更にDarbeeは極めて気前良く彼の育てた鶏の卵を好事家に分け与えました。私は正確な時期を知りませんが、ミネソタの弁護士Andy MinerもDarbeeから卵を入手した一人。Minerは他にも英国人のキャプテンJohn Evansが戦前育てた鶏を受け継いだChip Staufferから入手した鶏とDarbeeの鶏を掛け合わせ、私は見た事がありませんが、素晴らしいと評されるハックルを作り上げたそうです。
そのMinerはハックルを飽くまで自家消費しかしなかったそうですが、Darbee同様大らかに彼の鶏の卵を分け与え、Metz、Keough、Hebert、Collins、Bob's Hackle等現在に残るジェネティク・ハックルの源になったのでした。
こうした、ダン系色のハックルを求めた養鶏家がいる一方、西部で、グリズリーハックルに特化し1965年養鶏を開始したのがHoffman。努力によりハックルケープは大きく、長いハックルを持つ鶏を育種した彼は1989年に彼のビジネスをWhitingに売却します。
その後、Whitingは1997年Hebertを買収し、東海岸のダン系色の鶏の血筋も手に入れ、アメリカン・ハックルの血筋を彼の下に統合したのでした。
その辺りの流れを上の図に簡単に纏めて見ましたので参照下さい。四角い枠の色は血筋毎に分けて見ました。
さて、上の写真ですが、これはHarry Darbeeが1966年、欧州に送った彼のハックルの見本。ダン系色で透明感に溢れた魅力的なハックルの数々。長さは、今日フランスで育てられているLimousin種のCoq de pecheの物程度で、ドライフライを巻くには十分過ぎる程。前回触れたオリジナルのDarbeeハックルが好事家の間で珍重されるのも非常に良く判る出来栄えです。
このハックルで止まってくれていれば、と思うのですが、何故かしら、現在入手出来るジェネティックは透明感を軽視しているとしか思えず、その点が残念です。
そのジェネティック・ハックルの源流にキャッツキルのフライタイヤーHarry Darbeeが果たした大きな役割は良く知られております。
Darbeeの前にも同じフライタイヤーのReuben CrossはLeghorn種の鶏を育て彼の必要とするハックルを調達していたそうですが、やはりフライタイヤーとして安定的に各種ハックルを入手するためにもDarbeeは自宅の裏でハックル用の養鶏を始めたのでした。
彼は最初、米国産のBarred Rock種と言う、所謂グリズリーのハックルに覆われた鶏とOld English Game、更にブルーの色を出すためにBlue Andalusiaを掛け合わせる事からスタート。そこから多分ブルーダンだと思いますが、ダン色の雄鶏が育つと、その雄鶏一羽に様々な色の雌鶏を掛け合わせる「ショットガン・メソッド」と彼が呼ぶやり方でハックルの改良に取り組んでいったと言います。
戦前・戦中・戦後と続くDarbeeの努力により、様々な色を持つ長いハックルがキャッツキルの地に誕生したのでした。
更にDarbeeは極めて気前良く彼の育てた鶏の卵を好事家に分け与えました。私は正確な時期を知りませんが、ミネソタの弁護士Andy MinerもDarbeeから卵を入手した一人。Minerは他にも英国人のキャプテンJohn Evansが戦前育てた鶏を受け継いだChip Staufferから入手した鶏とDarbeeの鶏を掛け合わせ、私は見た事がありませんが、素晴らしいと評されるハックルを作り上げたそうです。
そのMinerはハックルを飽くまで自家消費しかしなかったそうですが、Darbee同様大らかに彼の鶏の卵を分け与え、Metz、Keough、Hebert、Collins、Bob's Hackle等現在に残るジェネティク・ハックルの源になったのでした。
こうした、ダン系色のハックルを求めた養鶏家がいる一方、西部で、グリズリーハックルに特化し1965年養鶏を開始したのがHoffman。努力によりハックルケープは大きく、長いハックルを持つ鶏を育種した彼は1989年に彼のビジネスをWhitingに売却します。
その後、Whitingは1997年Hebertを買収し、東海岸のダン系色の鶏の血筋も手に入れ、アメリカン・ハックルの血筋を彼の下に統合したのでした。
その辺りの流れを上の図に簡単に纏めて見ましたので参照下さい。四角い枠の色は血筋毎に分けて見ました。
さて、上の写真ですが、これはHarry Darbeeが1966年、欧州に送った彼のハックルの見本。ダン系色で透明感に溢れた魅力的なハックルの数々。長さは、今日フランスで育てられているLimousin種のCoq de pecheの物程度で、ドライフライを巻くには十分過ぎる程。前回触れたオリジナルのDarbeeハックルが好事家の間で珍重されるのも非常に良く判る出来栄えです。
このハックルで止まってくれていれば、と思うのですが、何故かしら、現在入手出来るジェネティックは透明感を軽視しているとしか思えず、その点が残念です。
当時はウルフパターンやハンピーといったウエスタンパターンが流行っていましたからね。
あのフライはインドハックルでは巻けなかった…
薄く儚いカゲロウをイメージして毛鉤を巻こうとしたとき、ファイバーの太さや弾力、透明度が気になってきます。
齢を重ねるのと同時に、楽しみの質も変わってきているのでしょうか。
その奥深さがまた楽しいですね。
コメントを頂きありがとうございます。
今回調べて見て、アメリカン・ハックルの発展の方向はReuben Cross、Harry Darbee等コマーシャル・フライタイヤーがその基礎を築きそれが今に繋がっていると思っておるのですが、珍しいダン系の色を安定的に獲得するためと言う目的の他に、彼らコマーシャルタイヤーが作業を楽にするためにハックルの長さを伸ばす方向で鶏の交配を進めた点が、20世紀末に至り、色は発色優先で透明感を失い、長さはフライタイヤーの要請以上に長くなり本来の目的から離れ暴走している様な印象を持ちました。これを称揚する商業メディアにも言い分はあろうかと思いますが、特に緩やかな流れで魚からみて魅力があるのかどうかがドライフライ用のハックルとしての試金石かなと愚考しております。
コメントを頂きありがとうございます。
私も、透明度と光の煌めきがハックル選びの最優先項目になっておりまして、枯れてきたのでしょうか。。。ただ、過去のドライフライ釣りで12〜16番程度の毛針を使う場合は透明度があるハックルは大きなものを使っても魚は違和感を感じない様ですし、今流行りのハックルの毛針よりも反応は良かった経験がありますので、未だ未だ枯れたと言うよりも、魚を釣るためのハックル選び、と言う事にしておきます。
ジェネティック・ハックルの詳細情報頂き大変ありがとうございました。黒とダンは染色で良いと言うのはそうした色を発現する遺伝子とハックルを異常に長くする遺伝子は多分両立しないと言う白旗なのでしょうか。歴史の中で蓑毛に釣り人が求めてきた理想から別の方向に暴走している感を更に強めました。Whitingハックルを物事の価値判断の土台にして軍鶏の蓑毛を矮鶏の蓑毛と間違えると言うのも今の人が如何Whiting以外のハックルを知らないか、愕然といたします。軍鶏/OEGのハックルは確かにWhitingに比べれば柔らかいですね。