いわき・うぶすな広場だより

セカンドライフの生き方を書いています。

昭和20年8月15日・玉音放送後の記事は、当日午後配達されました!!

2015-08-24 09:07:03 | いわき地域学會

「昔かぼちゃ」のご先祖は敗戦時・玉音放送を
聴いていたのでしょうか。


昭和20年8月15日午後に配達された「朝日新聞」朝刊1面と2面。


「かぼちゃと防空ずきん」・・・いわきの戦中・戦後を中心にいわき地域學會発行
平成6年7月26日から
吉田先生は
玉音放送を聴いた方の28人の方を紹介されました。


書かれた方々の題名と名前。


書かれた方々の題名と名前。
いわき市民の方にはぜひ読んでほしいですね。
私は以前に読んで感心させられました。
山名先生も書かれています。

一昨日のいわき地域學會市民講座
「昭和20815日ラジオと新聞」と題し

吉田隆治(いわき地域學會代表幹事)先生が講演されました。
今年は
「戦後70年」節目の年といわれていますが、
昭和20年8月15日の「戦争終結を告げた玉音放送とその報道とは」
特に新聞の日付をキーワードに話され、
今までの自分の事実が覆されられた瞬間でした。

ちなみに
玉音放送を聴いた新聞報道は
放送を聴いた次の日に配達されたのでしょうか。
・・・816日に配達された新聞記事でしょうか?


いのししも8月16日に配達されていた
そう思っていましたが・・・・・

答えは
当日
すなわち815日午後に配達されたのです。
知っておられた方は
よく歴史を知っている方です。


朝日新聞「検証・昭和報道」取材班「新聞と「昭和」」・・・朝日新聞出版 2010年から

15日午後、朝日新聞の「朝刊」が発行された。
そこに、昼の宮城前広場の模様を描く記事が載っていた」
1945(昭和20)年815日付朝刊2面の「宮城を拝したゝ涙」の記事は
「玉音放送」の後に書かれた内容となっている。
この朝刊はいつ印刷されたのか・・・朝日新聞社に読者からそんな質問が寄せられたのは
84
年春だった。(略)/筆者は膨大な証の社内資料に目を通した。
そして、ある日社員が書いた随想の中に、次の数行を見つけた。
「終戦前夜の814日、私はまたも宿直勤務となった。
15日未明、薄暗い(東京本社)の編集局で
社会部の
S記者が悲痛な面持ちで終戦の記を書いていた姿はぐっと胸に来るものがあった」
(朝日新聞社内報
652月号)」

S記者はのちに座談会で
「14日皇居前にいってあしたの朝刊に皇居前のもようを書け」というので
14日に原稿を作って15日の朝もう一度行って皇居前のもようを見て手を入れたわけです」

すなわち
S
記者は事前に書いていた。
そして確認のため、15日に現場に足を運び、原稿に手を加えた。
しかし
正午の玉音放送前であったのが事実のようです。

玉音放送後の状況を見て書かれたものでなかった!!

 

初めて吉田先生の講演で知り
びっくり。
よく事実は確認することの大切さを学んだ一言でした。
講演の
一部分だけを書いてみました。

吉田先生
ありがとうございました。

 

 

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