大学の教員である私が言うのも変な話だが、大学のカリキュラムではスキルを教えるが、そのスキルの生かし方、つまり「科学的思考法」については殆ど教えていない。今日はゼミ生と北海道宇宙連合の学生を対象に、プロとアマの頭の使い方の違いについて講義する。
1.足場を固めながら前に進む
すべての思い込みを排除し、自分の目で確認した事実に基づいてひとつひとつ組み立てることが基本である。思い込みとは感情である。感情に流されずに方針を見出す力を理性という。プロは理性を働かせるが、アマチュアと自称「○○研究家」という方の多くは、どうも経験に基づく感情的判断にプロ意識を感じていることが多いようだが、これは錯覚にすぎないことをはっきり言っておきたい。
プロを目指すのであれば、カタログに書いてある数値をそのまま信用するのではなく、まず目の前の部品がその数値を出すのかどうかを自分の目で確かめなければならない。そして、それを計測する機器が正しい数値を示しているかどうかを複数の機器の数値との比較によって確認しておかねばならない。プログラムであれば、この変数にはこういう数値が入っている筈だと思うのではなく、その数字が本当に入力されているかどうかを確認しなければならない。初心者のようだが、このプロセスを怠るようになればそれ以後の成長は期待できない。常に、意識して己の理性を働かせ、暗黙の先入観を排除し、自分が確認した事実にもとづいて理詰めで組み立てる思考力(論理的思考能力)が要求される。よく「誰々が言ったから・・」という人がいるが、このような方々は残念ながらここで話している土俵にすら乗っていないといえる。
2.壁を乗り越える技術: 仮説を立てて次の足場を見出す
数少ない足場と思える事実からもう一歩踏み出すためには、新しい環境条件を仮説として導入する。この段階では仮説が事実であるかどうかはわからない。仮に事実であったとして、そこからどういう結果が導かれるかを演繹的に考えてみる。頭をうんと働かせて、出来るだけ多くの結論を導いた方が良い。
次はそこで導かれた結果が現実の現象の中で見出されるかどうかを実験して確かめてみることだ。確認できれば、仮説は事実となり、足場がもう一箇所増える。しかし、よくあることだが、実際にやってみると予想に反する結果となることが多いものだ。こういう時は、精神的に落ち込む必要はなく、「仮説のような事実は存在しないことを確認した」と客観的に考えるべきである。落ち込むのは感情に流された非理性的な行為であり、対象とする現象と自分との関係をもう一段階高い視点から見下ろすような、“もうひとつの目”を持つことが重要である。
精神力が十分でない段階では(アマチュアの段階では)、目の前に飛来するインスピレーションに飛びつく傾向が多いものだが、理性的に状況判断した上で使い切ることができなければ、単に混乱するだけなので注意が必要だ。(もっとも、アマチュアは自分が混乱している事実にすら気づかない場合が多いようだが。)
3.システム思考の重要性
ここで言うシステム思考とは、幾つかの要素を組み合わせたシステムが最適な動きをするように現実的に対処する能力を指している。システム思考には論理的思考力の他に、透徹した理性、バランス感覚、調整能力、交渉力が要求される。
学者はある特定の分野で深い知見を持っているが、しかし、必ずしもシステム思考が出来るとは限らならない。
システムは要素の集合体ではあるが、ある明確な理念のもとにトップダウンで決めなければならない。逆に、個々の要素を積み上げて全体を構築するボトムアップ的思考法では、残念ながら使えるシステムは出来ないことが多い。
常に部分と全体という2つの視点を持たねばならない。要素を担当するエンジニアは、要素部分を担当する責任と同時に全体との関係(インターフェースとの関係ではない)を常に理解することが重要である。
4.インスピレーションの受け止め方
宇宙に遍満する英知が自分の心の中に飛び込んでくるようにインスピレーションを頂くことがある。新しい着想に巡り合った素晴らしい喜びの瞬間でもある。
ここでひとつ重要な注意点がある。それは、インスピレーションの通りに突っ走ってはいけないということだ。多くの場合、私たちはインスピレーションの全てを受け取っているのではなく、肉体と知識に限定された断片を見ていることを知らねばならない。
インスピレーションを生かすためには、先に述べた足場を固める考え方が十分身についていることが基本となる。もしアマチュアの段階にあれば根無し草やクラゲのようにフラフラと振り回される危険性があることを十分注意しなければならない。
十分な科学的思考力が備わった段階で、インスピレーションを一種のセンサーとして理性的に使い始めると、これは大きな力となる。この段階から理性を超えた悟性(洞察力)が動き出す。悟性は大きな私たちに大きな力を与えてくれる。
以上は私が最近学生たちに話さねばならないと考えていたことの概要である。
1.足場を固めながら前に進む
すべての思い込みを排除し、自分の目で確認した事実に基づいてひとつひとつ組み立てることが基本である。思い込みとは感情である。感情に流されずに方針を見出す力を理性という。プロは理性を働かせるが、アマチュアと自称「○○研究家」という方の多くは、どうも経験に基づく感情的判断にプロ意識を感じていることが多いようだが、これは錯覚にすぎないことをはっきり言っておきたい。
プロを目指すのであれば、カタログに書いてある数値をそのまま信用するのではなく、まず目の前の部品がその数値を出すのかどうかを自分の目で確かめなければならない。そして、それを計測する機器が正しい数値を示しているかどうかを複数の機器の数値との比較によって確認しておかねばならない。プログラムであれば、この変数にはこういう数値が入っている筈だと思うのではなく、その数字が本当に入力されているかどうかを確認しなければならない。初心者のようだが、このプロセスを怠るようになればそれ以後の成長は期待できない。常に、意識して己の理性を働かせ、暗黙の先入観を排除し、自分が確認した事実にもとづいて理詰めで組み立てる思考力(論理的思考能力)が要求される。よく「誰々が言ったから・・」という人がいるが、このような方々は残念ながらここで話している土俵にすら乗っていないといえる。
2.壁を乗り越える技術: 仮説を立てて次の足場を見出す
数少ない足場と思える事実からもう一歩踏み出すためには、新しい環境条件を仮説として導入する。この段階では仮説が事実であるかどうかはわからない。仮に事実であったとして、そこからどういう結果が導かれるかを演繹的に考えてみる。頭をうんと働かせて、出来るだけ多くの結論を導いた方が良い。
次はそこで導かれた結果が現実の現象の中で見出されるかどうかを実験して確かめてみることだ。確認できれば、仮説は事実となり、足場がもう一箇所増える。しかし、よくあることだが、実際にやってみると予想に反する結果となることが多いものだ。こういう時は、精神的に落ち込む必要はなく、「仮説のような事実は存在しないことを確認した」と客観的に考えるべきである。落ち込むのは感情に流された非理性的な行為であり、対象とする現象と自分との関係をもう一段階高い視点から見下ろすような、“もうひとつの目”を持つことが重要である。
精神力が十分でない段階では(アマチュアの段階では)、目の前に飛来するインスピレーションに飛びつく傾向が多いものだが、理性的に状況判断した上で使い切ることができなければ、単に混乱するだけなので注意が必要だ。(もっとも、アマチュアは自分が混乱している事実にすら気づかない場合が多いようだが。)
3.システム思考の重要性
ここで言うシステム思考とは、幾つかの要素を組み合わせたシステムが最適な動きをするように現実的に対処する能力を指している。システム思考には論理的思考力の他に、透徹した理性、バランス感覚、調整能力、交渉力が要求される。
学者はある特定の分野で深い知見を持っているが、しかし、必ずしもシステム思考が出来るとは限らならない。
システムは要素の集合体ではあるが、ある明確な理念のもとにトップダウンで決めなければならない。逆に、個々の要素を積み上げて全体を構築するボトムアップ的思考法では、残念ながら使えるシステムは出来ないことが多い。
常に部分と全体という2つの視点を持たねばならない。要素を担当するエンジニアは、要素部分を担当する責任と同時に全体との関係(インターフェースとの関係ではない)を常に理解することが重要である。
4.インスピレーションの受け止め方
宇宙に遍満する英知が自分の心の中に飛び込んでくるようにインスピレーションを頂くことがある。新しい着想に巡り合った素晴らしい喜びの瞬間でもある。
ここでひとつ重要な注意点がある。それは、インスピレーションの通りに突っ走ってはいけないということだ。多くの場合、私たちはインスピレーションの全てを受け取っているのではなく、肉体と知識に限定された断片を見ていることを知らねばならない。
インスピレーションを生かすためには、先に述べた足場を固める考え方が十分身についていることが基本となる。もしアマチュアの段階にあれば根無し草やクラゲのようにフラフラと振り回される危険性があることを十分注意しなければならない。
十分な科学的思考力が備わった段階で、インスピレーションを一種のセンサーとして理性的に使い始めると、これは大きな力となる。この段階から理性を超えた悟性(洞察力)が動き出す。悟性は大きな私たちに大きな力を与えてくれる。
以上は私が最近学生たちに話さねばならないと考えていたことの概要である。
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