280位に沈んだ2020年秋のエナリ。そこから一念発起して(イヤイヤながら)
勉強時間を少しずつ取るようにしていました。
それでも280位まで沈んだ成績がすぐに元通りになるはずもなく、
延期に延期を重ねた修学旅行が3年生になる直前の3月にようやく実施となり
「こんな時期に修学旅行なんて行ってたらいつ受験生モードになるのやら」と
私もサボさんもかなりの心配をして3年生を迎えたわけです。
それが去年の4月のこと。
部活も結局最後まで辞めないでやり通したものの、コロナの影響もあって
ほとんど大会にも出られないままGWが終わり、その時点で「ここまで届いたらいいね」と
話をして某旧帝大を志望としてスタート。
そのころは「得意な科目がない」状態で、なんとなくすべてが平均点の少し下くらい。
280位だった頃は国語がべらぼうに悪く、校内偏差値が26とかをたたき出していたので
全科目が校内偏差値で46から48くらいに収まった状況を見ると、それが決していいわけではないのに
なぜかほっとしていた私たち。
そこに変化が現れたのが夏休みに入るちょっと前で、英語と数学、物理が校内で52くらいになり
ようやくちょっとエンジンがかかってきたか?という感じに。
記述模試の方が先に成績が上がって、でも共通テストの方は社会が手薄だったり
数学もⅠAの方があまり得意ではないこともあって凸凹が目立つ感じ。
夏休み明けにここまでになっておくといいよね、という目標を先生や塾と相談して決めて
夏休みはそれこそまずは共通テストの底上げに時間をかけていた模様。
その結果が2学期に入ってから出るようになって、当初目標としていた志望校を上げていこうか、
という話も出たりして、秋から志望校を上げることに対しては賛否もネットで調べていく中で
いろいろ見つけたりもしてて、上げないほうがいいかも…という思いがありつつも
ちょっと余裕を見せ始めてだらけそうになっていたので、本人と相談して少しずつハードルを上げて
ダメでも当初志望していたところを受ければいいよね、という状態にして準備をしていたら、
そこからさらに成績が上がってきて、理系で30位台までのぼりつめちゃって、
それには私やサボさんだけでなく、本人も「ええええええ?!」と大いに驚き、
最終的に「まさかここは無理だよね」と言っていたところが手に届く場所に来て、共通テスト前には
280位当時は考えもしなかった大学を目指すことになっていたのです。
それが、年末のこと。
そして年明けの共通テストに臨んだところが、あの問題。
めちゃくちゃ難しくて過去最低の平均点になったという数学。
共通テストから帰ってきたエナリは大きなショックを受けていて「全然できなかった」と落ち込み。
ちょっと志望校上げすぎたかな、と煽った自分を反省したものだけど、
蓋を開けてみると周りもあまりできていなかったようで。
リサーチに出してみると思ったほど傷が深くなかったみたいで、判定も悪くなくそのまま出願できました。
数学は結局本人が予定していたよりもかなり点数は悪かったけど、なんとその穴を埋めてくれたのが
1年前は偏差値26をたたき出していた国語で、共通テスト本番で180点以上を取れたことで
なんとかまとまった形になりました。
ところがいざ二次試験と思ったら今年の大雪その2がやってきて、予定では2日前に受験地入りと
思っていたものの、空港に行くJRは全然回復しないし、飛行機も飛んでないし、
そもそも北海道を出るためにどうしたらいいだろうか、大学側は救済措置とかないのか、
陸路でいけないか、フェリーはどうかなどあれこれ考えて、結局サボさんが空港まで車を運転して
朝早くに新千歳入りして無事に飛んでいる飛行機に乗せて受験地まで移動できました。
本当にいろんなことがあってどうなるかと思われたけど、無事受験できただけでありがたい。
そして無事に合格。エナリは280位から復活して1年前は考えもしなかった学校に入ったのでした。
合格後に早速LINEで同じ学科のグループができてつながったんだけど
そこでエナリは「ヤバい、周りの合格者の意識が高い。ガチ勢ばっかりだ」と困惑。
行きたい学科に行けたのは間違いないが、合格した周りの子たちはもっと熱くかなり大学や学部、学科のことを
調べつくして「こんな先生の授業を取りたい」と盛り上がっていたらしい。
大学でも高校時代のように最下層からスタートになるのかとどんより気味だったけど
英語のクラス分けテストでどうやら全体の真ん中くらいの点数が取れたみたいで
なんとかなるかも!と思ったみたい。単純な思考回路。
エナリも一人暮らしをスタートさせたのでした。
そんなこんなで無事に二人とも親元を巣立っていきましたとさ。
これからは自分のために時間をたくさん使いたいと思いました。
勉強時間を少しずつ取るようにしていました。
それでも280位まで沈んだ成績がすぐに元通りになるはずもなく、
延期に延期を重ねた修学旅行が3年生になる直前の3月にようやく実施となり
「こんな時期に修学旅行なんて行ってたらいつ受験生モードになるのやら」と
私もサボさんもかなりの心配をして3年生を迎えたわけです。
それが去年の4月のこと。
部活も結局最後まで辞めないでやり通したものの、コロナの影響もあって
ほとんど大会にも出られないままGWが終わり、その時点で「ここまで届いたらいいね」と
話をして某旧帝大を志望としてスタート。
そのころは「得意な科目がない」状態で、なんとなくすべてが平均点の少し下くらい。
280位だった頃は国語がべらぼうに悪く、校内偏差値が26とかをたたき出していたので
全科目が校内偏差値で46から48くらいに収まった状況を見ると、それが決していいわけではないのに
なぜかほっとしていた私たち。
そこに変化が現れたのが夏休みに入るちょっと前で、英語と数学、物理が校内で52くらいになり
ようやくちょっとエンジンがかかってきたか?という感じに。
記述模試の方が先に成績が上がって、でも共通テストの方は社会が手薄だったり
数学もⅠAの方があまり得意ではないこともあって凸凹が目立つ感じ。
夏休み明けにここまでになっておくといいよね、という目標を先生や塾と相談して決めて
夏休みはそれこそまずは共通テストの底上げに時間をかけていた模様。
その結果が2学期に入ってから出るようになって、当初目標としていた志望校を上げていこうか、
という話も出たりして、秋から志望校を上げることに対しては賛否もネットで調べていく中で
いろいろ見つけたりもしてて、上げないほうがいいかも…という思いがありつつも
ちょっと余裕を見せ始めてだらけそうになっていたので、本人と相談して少しずつハードルを上げて
ダメでも当初志望していたところを受ければいいよね、という状態にして準備をしていたら、
そこからさらに成績が上がってきて、理系で30位台までのぼりつめちゃって、
それには私やサボさんだけでなく、本人も「ええええええ?!」と大いに驚き、
最終的に「まさかここは無理だよね」と言っていたところが手に届く場所に来て、共通テスト前には
280位当時は考えもしなかった大学を目指すことになっていたのです。
それが、年末のこと。
そして年明けの共通テストに臨んだところが、あの問題。
めちゃくちゃ難しくて過去最低の平均点になったという数学。
共通テストから帰ってきたエナリは大きなショックを受けていて「全然できなかった」と落ち込み。
ちょっと志望校上げすぎたかな、と煽った自分を反省したものだけど、
蓋を開けてみると周りもあまりできていなかったようで。
リサーチに出してみると思ったほど傷が深くなかったみたいで、判定も悪くなくそのまま出願できました。
数学は結局本人が予定していたよりもかなり点数は悪かったけど、なんとその穴を埋めてくれたのが
1年前は偏差値26をたたき出していた国語で、共通テスト本番で180点以上を取れたことで
なんとかまとまった形になりました。
ところがいざ二次試験と思ったら今年の大雪その2がやってきて、予定では2日前に受験地入りと
思っていたものの、空港に行くJRは全然回復しないし、飛行機も飛んでないし、
そもそも北海道を出るためにどうしたらいいだろうか、大学側は救済措置とかないのか、
陸路でいけないか、フェリーはどうかなどあれこれ考えて、結局サボさんが空港まで車を運転して
朝早くに新千歳入りして無事に飛んでいる飛行機に乗せて受験地まで移動できました。
本当にいろんなことがあってどうなるかと思われたけど、無事受験できただけでありがたい。
そして無事に合格。エナリは280位から復活して1年前は考えもしなかった学校に入ったのでした。
合格後に早速LINEで同じ学科のグループができてつながったんだけど
そこでエナリは「ヤバい、周りの合格者の意識が高い。ガチ勢ばっかりだ」と困惑。
行きたい学科に行けたのは間違いないが、合格した周りの子たちはもっと熱くかなり大学や学部、学科のことを
調べつくして「こんな先生の授業を取りたい」と盛り上がっていたらしい。
大学でも高校時代のように最下層からスタートになるのかとどんより気味だったけど
英語のクラス分けテストでどうやら全体の真ん中くらいの点数が取れたみたいで
なんとかなるかも!と思ったみたい。単純な思考回路。
エナリも一人暮らしをスタートさせたのでした。
そんなこんなで無事に二人とも親元を巣立っていきましたとさ。
これからは自分のために時間をたくさん使いたいと思いました。