ルツ記1:20-21
『ナオミは彼女たちに言った。「私をナオミと呼ばないで、マラと呼んで下さい。全能者が私をひどい苦しみに会わせたのですから。
私は満ち足りて出て行きましたが、主は私を素手で帰されました。なぜ私をナオミと呼ぶのですか。主は私を卑しくし、全能者が私をつらいめに会わせられましたのに。」』
以前は満ち足りていたのに、今は何もなく乏しい者になった自分の姿を見てナオミは嘆きながら神様に悔い改めました。
自分の身に起きたことを神様からの懲らしめと思って、神の主権を認め、神の前に謙遜に悔い改めるナオミでした。
ここで私たちが得る教訓は何でしょうか。
苦難がある度に自分に罪があるかどうかを調べる人ですか。
それとも苦難に対していつも主につぶやく人ですか。
ヨブ記15:12-13
『なぜ、あなたは理性を失ったのか。なぜ、あなたの目はぎらつくのか。あなたが神に向かっていらだち、口からあのようなことばを吐くとは。』
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