イザヤ書38:17
『ああ、私の苦しんだ苦しみは平安のためでした。あなたは、滅びの穴から、私のたましいを引き戻されました。あなたは私のすべての罪を、あなたのうしろに投げやられました。』
イザヤ預言者から死の宣告を受けたヒゼキヤ王は、神に向かって激しく泣きました。
死の宣告は神の口から出たことばで、イザヤはそれを伝えただけでした。
ヒゼキヤの涙の祈りを聞いた神は、彼のいのちを15年延長しました。
それに対してヒゼキヤは神に感謝の祈りをささげました。
自分にあった苦しみは、自分にとって益であったことを告白しました。
主からの懲らしめによって自分の咎を見つけ、それを悔い改めることが出来、神の前に正しく立つことが出来たから主からの平安を受けました。
ホセア預言者は神の懲らしめをこのように言いました。
ホセア書11:4
『わたしは、人間の綱、愛のきずなで彼らを引いた。わたしは彼らにとっては、そのあごのくつこをはずす者のようになり、優しくこれに食べさせてきた。』
懲らしめをどう捉えるかによって態度が変わります。
反抗的な態度をとって更に打たれることもあれば、自分の罪を見つけて悔い改めるならば罪は赦され、主からの平安が来ます。
問題が解決されます。
【関連聖句】
箴言22:5
『曲がった者の道にはいばらとわながある。たましいを守る者はこれらから遠ざかる。』
【聖書通読】
-エリヤとエリシャ-
- 第2列王記2:1-22
《 3分バイブルボイス 》