ひとつクリアすれば、また次の試練。
手術という大きなイベントをぶじ乗り越え、
順調に退院できた父だが、
当然ながら
それですぐに 手術前と同じような生活に戻れるわけではない。
下痢や 便秘のトラブルをおこしやすい状態なので
排便のコントロールが必要であり、
消化のよい食事を少量ずつ 効率よくとり、
徐々に 量や 内容をアップしてゆくことが
これからの だいじな課題。
個人差のあることなので、
父にとっての 適切なペースで、だ。
多くの人がそうであるように、
父も
おいしいものがすきで、
食事が楽しみの大きな位置を占めるので、
ただ 栄養がとれればよいというのではなく
満足感もたいせつ。
母の働きに期待されるものは大きい。
さいわい、
母は ふだんから食事に気を配ってくれており、
父のために 手間をかけることをいとわない人だ。
早い時期に退院して
家で自分のペースで過ごしながら、
母の手料理を食べられるほうが
早く元気になれるだろうと思っている。
一緒にいない時間 あれこれ父の心配をしながら
病院を行き来する母の大変さを考えても、
そのほうがいい。
が、
ものごとには いい面と 困る面と
両方がつきものだ。
退院するなり、
父はその日の午後 息子(わたしの弟)に運転を頼み
仕事のお得意先へ出かけて行った。
その前後の時間には
家で 仕事の書類整理や 伝票書きを。
最初からそんなに気張ってはあかんよ…
と言っても、本人は じっとしていることが
落ちつかないのだろう。
あれこれ 考えごとをしては 気を張りつめて
入院前からの不眠も 相変わらずらしい。
体力の消耗が気になる。
そして数日。
父は 自分なりにかげんをしながら
気になるその日の仕事を 片づけているようだし、
今のところ
身体上の大きなトラブルは起こっていないが、
ともに住む父、母、弟の3人は
毎日の生活のなかで
たがいに たがいを心配したり
気づかったりするあまり、息をぬくことができず
みんなが 疲れてしまっているようだ。
弟も、時折発熱してはダウンしているらしく
父と弟のふたりを気づかいながら
母も へとへとの様子。
さきは長いのに…。
これもまた、徐々に自分や相手のペースに慣れて、
バランスをとっていくしかないだろう。
術後の患者さんや その家族は、
みんなきっと 多かれ少なかれ
このような経過を経て 回復へ向かっていくのだろうと思う。
そして、気がかりなもうひとつの 父の問題である
肺の影の正体検索のため、
退院後まもない先日、胸部のCTを受けた。
来週の 外来受診では
その結果をふまえ、おそらく精査ということになるのだろう。
母は 父の胃が悪性の病気であったことも、
肺の影のことも、まだ知らないままだ。
それでも 現状で手いっぱいというところ。
いま現在、あとまわしにするしかない 母の心臓弁膜症のことも
忘れていていいわけではないが、
せめて 心身の負担をなるべく軽くしてやることぐらいしか
今は できない。
家族の病気、気疲れ、毎日の生活をまわしていくこと。
それだけでもたいへんだが、
わがやはそのうえ、
不景気で いくつものお得意先が倒産した
父の自営業の長年の不振による 経済的な困窮に
もう 何年も前から見舞われている。
気のやすまらない日々がつづく。
どうか、これ以上過酷な試練が
父や母に 与えられることがありませんように。
どうかすると、
神さまをうらんでしまいそうになる自分が、いる。
なにがあっても、
わたしたちが ちゃんと立っていられますように。
台風も次々来ますね、なるべく被害少なく、早く過ぎてほしいです。
人生の荒波も。
「親」って、子が少々頼りないくらいのほうが自分ががんばらにゃと思って喜ぶ一面があるらしいですね。
さくらさん、素晴らしい子すぎるかもですよ?
時々は(ひとりでいる時など)チョイ悪い子になってもいいから~!
何もかも忘れる時間も(できたら)作ってくださいね。
苦楽の波にも。
さいごに 笑えたらいいな、と思います。
わたしは 素晴らしい子 なんかではありませんよー。
尊敬されるような人間でもありません。。。
親を支えてあげたいけれど、
生きていてくれるだけで 親たちのほうが
わたしを支えていてくれるんです、つよくつよく。
家族みんなが 疲れて しんどい状態ではありますが、
このしんどさを ともに分かちあうことが
家族であることの意味なのかも…
とも 思います。
でも、時々息をぬくこともしなければね。
心配して みまもって下さる人たちがいることが
ありがたいです。