★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
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第563回 愉快で楽しい日本語たち1

2024-02-16 | エッセイ
 身の回りには、愉快だったり楽しかったりする日本語が結構ある、というのを、「若干ちょっと気になるニホン語」(山口文憲 筑摩書房)で知りました。タイトル通り、日本語の乱れなども話題に取り上げられますが、私の関心は、もっぱら「愉快」「楽しい」日本語の方に向けられます。私なりのセレクトで、いくつかご紹介することにしました。どうぞお楽しみください。

★そこもっと★
 いきなりアブなそうな言葉ですが、ご安心ください。著者が家電量販店で、パナソニックの電動マッサージチェアを試そうと出かけました。同社の最新の製品です。

 そこには若いOL風の先客がいて、気持ち良さそうに使っています。そろそろ終わるかなと見ていると、手元のコントローラーのボタンを押すのです。「するとふたたび快感の大波が押し寄せてくるらしく、またもや四肢をつっぱらせ、背を弓なりにして悶絶する。」(同書から)
 散々待たされて、あの青くて丸い大きなボタンは一体何か、と見てみると、そこには「そこもっと」との表示。今、マッサージしてるところを、もっと強く、繰り返して、と指示するためのボタンだったんですね。著者もこのベタで分かりやすい表現には感心しきりでした。いかにも関西の家電メーカーらしいな、と同じ地域出身の私も大笑い。最新機種のパネルに「そこもっと」の表示があるかどうかは分かりませんが・・・・

★チョイあげ★
「株式会社わんわん」というドッグフードのメーカーがあるんだそうです。商品のネーミングが上手で、「犬日和」、「彩色犬美」、「ごほうび」なんて製品を送り出しているといいます。この会社が、犬用のビスケットなどおやつ系の4品目を出して、それに「チョイあげ」というシリーズ名をつけました。
 「チョイ」と「あげる」ためのお菓子、というネーミングに、近頃のペット愛好家への敬意と心配りが感じられます。私たちが子供の頃は、犬とか猫には「エサ」を「やる」ものでした。オス、メスなんて言い方も、愛好家の間では禁句なんですね。「お宅のワンちゃん、男の子さん?女の子さん?」なんて愛犬家同士の立ち話を小耳にはさんだりします。商品名にもペット業界と愛好家の人たちへの配慮が入ってくる時代になりました。

★持って帰り★
 ファーストフードの店ではごく普通の「持ち帰り」(「テイクアウト」とも)ですが、若い人たちを中心に、「持って帰り」という言い方が、普及しつつあるというのです。著者はこんな背景を推測しています。
 テレビバラエティなどで、芸能界の合コンが話題になることがあります。合コンが終わって、芸能人が(関係者が段取りすることもあるようですが)気に入った女の子を連れ出して、二人きりの時間を楽しむのを「お持ち帰り」と称するらしく、私もこの言葉、用法は聞いたことがあります。
 若い人たちは、この業界用語について回る「いかがわしさ」がイヤで、わざわざ「持って帰り」とするようです。なるほど~。若い人たちの潔癖さにちょっと拍手を送りたくなりました。

★「ラレシ」の謎★
 著者が夕方、店じまいしたばかりの様子の八百屋の前を通りかかった時のことです。ボール紙を短冊形に切った値札が落ちていました。そこには、「ラレシ 150円」と書いてあります。はてどんな野菜だろうとの疑問は翌日解けました。「ラレシ」の札の前に山積みになっていたのは、赤くて小さい「ラディッシュ」(日本名ではハツカダイコン)。
 「耳から英語」というのがありました。耳から聞こえたままを文字にしたもので、「アメリカン」が「メリケン」に聞こえて、波止場の名前になったりした例を思い出します。さしずめ「耳から野菜名」といったところでしょうか。
 その後も、この店をウォッチしていた著者が見つけたのが「モロヘアー」。お~っと、ずいぶんアブない野菜名になってますが、正解は、もちろんエジプト原産の「モロヘイヤ」です。
 おもちゃ屋ではこんな発見もしています。万華鏡(カレイドスコープ)なんですが、子供だと読めないと思ったのでしょうね、「まんげ鏡」との表示が。こちらもアブなさでは負けてませんね。

 お楽しみいただけましたか?もう少しネタがありますので、いずれ続編をお届けする予定です。それでは次回をお楽しみに。

第562回 人名いろいろ7 名字編-1

2024-02-09 | エッセイ
 シリーズ第7弾をお届けします。(文末に直近2回分へのリンクを貼っています)。
 今回のネタ元は、「名字の謎」(森岡浩 ちくま文庫)という興味深い本です。日本人の名字・姓(以下、「名字」)をめぐって、そのルーツ、珍しい名字など様々な話題が取り上げられています。名字にはそれぞれ由緒、由来があります。それらに十分敬意を払いつつ、珍しい名字を中心にご紹介することにしました。最後までお付き合いください。

★名字の数★
 日本人の名字って、どれくらいあるんでしょうか?著者は、10万から30万と推定しています。随分、幅があります。戸籍制度が完備している我が国ですが、利用にあたっては、いろいろ制約があり、それだけに頼ることはできないようです。また、新旧の字体(例:澤と沢など)や異体字(例:島と嶌など)、さらに、読み方で、濁る、濁らないをどうカウントするか、などの問題もあります。そのため、いろいろ苦労、工夫を重ねても、これだけ幅のある数字になるようです。ちなみに、韓国の名字は、270種類です。でも、金(キム)、朴(パク)、李(リ)、崔(チエ)の4つで約半分を占めるといいますから、同姓が多く、「慶州の金」のように出身地を付けて名乗るのが普通だそう。中国は、約1000種類です。日本の種類の多さが際立ちます。
 なお、著者による多い名字のベスト10は、多い方から順に、
佐藤、鈴木、高橋、田中、渡辺、伊藤、山本、中村、小林、加藤、(次点 吉田)となっています。なるほど、友人、知人の顔がいろいろ思い浮かびます。
★ユニークな名字がいっぱいの街★
 富山県西部、庄川の河口に新湊市という小さな市がありました。現在は合併で「射水市」となっています。こんな街並みです。

 人口4万人ほどの市ですが、江戸時代は、加賀藩の港町として栄えました。ユニークな名字、しかもいろんなジャンルのものが多いことで知られます。
 海、魚関係ではずばり「魚」のほか、「海老」「鯛」「魚倉(うおくら)」「波」「灘」など。
 食べ物だと、「米(こめ)」「酢」「飴」「菓子」「糀(こうじ)」のような例も。
 家屋まわりでは、「桶」「風呂」「綿」「瓦」「壁」「横丁」などがあり、
 動植物だと、「牛」「鹿」「鵜」「菊」「草」などの名字も。
 そのほかにも、「山」、「松」、「地蔵」、「音頭」、「旅」、「大工」など、驚くほどバラエティに富んでいます。これらの名字の多くが、射水市独自のもので、近隣の街では見られないといいます。商売の屋号などが由来ではないかと著者は推測していますが、なんとも不思議な街です。

★まるで判じ物ー月日そのままの名字★
 代表選手は、「四月朔日」さんです。「わたぬき」と読みます。昔は、4月1日になると、袷(あわせ)の着物から綿を抜いて、単衣(ひとえ)にした風習に由来します。富山県を中心に、日本海側に点在する名字だそう。「八月一日」と書いて「ほづみ」という名字があります。8月1日に稲の穂を積んで神様に供える行事が元になっていて、群馬県を中心に、関東に多い名字とのこと。かつての暮らしぶりが伝わってきます。
★50音順の始めと終わり★
 学校などではなにかにつけて、名字の50音順で、というのが普通でした。山田さんとか渡辺さんとかは、最後の方になるので、なんとなく気の毒に思ったりしていました。
 さて、その50音順ですが、さすがに「あ」ひと文字の名字はないようです。「あい」と読む「阿井」、「藍」、「愛」、「相」さんなどがが挙げられています。おっと、もっと前があるというのです。それは、佐賀県に実在する「最初さん」。なるほど~、著者に座布団1枚。
 終わりのほうだと、「わん」がつく名字があるのですね。椀田(わんだ)、湾野(わんの)、湾洞(わんどう)などが挙げられています。そして、著者があげる大トリが、「分目」(わんめ)さんで、千葉県市原市にルーツがあるそう。50音順で呼ばれるなら、間違いなく最後でしょうね。
★名字でナゾナゾ★
 先ほどの判じ物に似ていますが、まるでナゾナゾのような名字が実在します。
 「月見里」で「やまなし」と読みます。月見を楽しむには、山がないほうがいいから、という謎解きです。「小鳥遊」で「たかなし」と読ませます。鷹のような強い鳥がいなければ、小鳥たちも安心して遊べる、というわけです。
 極め付けは、「一口」という名字。「ひとくち」ではありません。出口が一つしかない建物から、人々が一斉に出ようとすると、こういう状態になります。そうです「いもあらい」と読みます。う~ん、これは参りました。

 いかがでしたか?同書からのネタがまだ少しありますので、いずれ続編をお届けする予定です。なお、直近2回分へのリンクは、<その5 海外編><その6 開高健編>です。合わせてご覧いただければ幸いです。それでは次回をお楽しみに。

第561回 ちょっぴり驚きの英国史2

2024-02-02 | エッセイ
 続編をお届けします(文末に前回分へのリンクを貼っています)。英国出身のフリージャーナリストであるコリン・ジョイス氏の「驚きの英国史」(NHK出版新書)から、あまり知られていない歴史上のエピソードをお届けします。前編ともどもお楽しみください。

★長弓へのノスタルジー
 「イギリスの法律では、自由な身に生まれた男性は日曜日に必ず弓矢の練習に行かないといけないんだ」(同書から)と真面目に信じているイギリス人がいるというのです。「長弓」と呼ばれるご覧のような武器です。

 そういう法律が存在したのは事実で、何世紀にもわたってフランスとの戦いを有利に進め、勝利にも貢献してきました。法律が効果を発揮するようになったのは、14世紀のエドワード3世の時代からです。長大なだけに軽い甲冑なら遠くからでも射抜く威力があり、高い命中精度を誇ります。ただし、使いこなすには日頃から練習に励み、扱いに習熟しておくことが欠かせません。そのための法律、というわけです。そして、その効果は、1332年に宿敵スコットランドを打ち破り、その後のフランスとの100年戦争でも、いくつかの重要な戦いを勝利に導くことなどで実証されました。
 その後、一旦廃止されたこの法律は、16世紀のヘンリー8世の治世になって再び施行されています。よほどイギリス人の心性にマッチするようです。さすがに19世紀ともなると、銃、大砲などの火器が戦争の主役となって、時代の趨勢に合わなくなり、法律は廃止されました。それでも、その存在を信じる人がいる理由を、著者は「もしかするとイングランド人は、この武器にノスタルジーのようなものを感じつづけているのかもしれない」と書いています。イギリスが強かった時代への郷愁ですかね・・・・ちょっと頬が緩みました。
★クリスマス休戦
 ヨーロッパを舞台にした第一次世界大戦は大変な消耗戦でした。当時の戦争は、数百万の兵士が悪臭を放つ塹壕に身を潜めて銃撃しあう、というのが主流です。お互いの塹壕を隔てる幅数百メートルのエリアは「ノーマンズ・ランド(中間地帯)」と呼ばれる泥んこの土地が広がっています。5ヶ月近く、こんな状況の中で戦っていたイギリス軍とドイツ軍に意外なことが起こったのは、1914年12月のことです。
 前線にいた両軍の部隊がいくつもの場所で殺し合いをやめ、プレセントを交換し、クリスマス・キャロルを歌い、ノーマンズ・ランドでサッカーの試合までしました。この自発的な「停戦」に驚いた将校は、敵と親しくしてはならないという命令を厳しく下し、このような「出来事」は、この時限りでした。
 きっかけは、ドイツ兵が塹壕で歌っているクリスマス・キャロルがイギリス軍に聞こえたことだと伝えられています。「とくにドイツ語の「きよしこの夜」が聞こえたことが、「敵」も同じキリスト教徒だと気づかせることになったといわれる(もう少し正確に言うなら、敵も同じ人間だと気づいたということだろう)。」(同)
「同じ人間だとの気づき」を人類が共有していれば、その後の、そして今も続く戦争はなかっただろうに、と私などはつい考えてしまいます。
 さて、このエピソードを、著者は、いかにもイギリス人らしくクールにこう締めくくっています。「歴史的な観点からすれば、クリスマス休戦はそれほど重要なものではないかもしれない。しかし、イギリス人は、この戦争のなかでは最も「正気」だった時間として大切に記憶している。」
★スコットランドへの気遣い
 英国は、イングランド、ウェールズ、スコットランド、そして北アイルランドの4つの「国」から構成される連合王国です。著者はイングランド出身なので、イングランド中心の話題が多くなっています。そのことに気を遣い、スコットランドがイギリスの発展に果たした役割に1章を割いています。
 政治の世界では、1900年以降、4人の首相を輩出しています。学問の分野では、アダム・スミスの「国富論」が、経済への理解を変え、人々の生活に大きな影響を与えました。
 著者は英国人の1日を追いながら、スコットランド人の発明が、いかに日々の暮らしに貢献しているかを紹介しています(発明者名は一部省略しました)。朝食には、「マーマレード」が欠かせません。雨が降っているので「レインコート」を着て「自転車」で駅に向かいます。乗るのは、いささか時代遅れですが「蒸気エンジン(ジェームス・ワットが発明)」で動く列車です。オフィスでは、郵便に貼ってある「糊つき切手」に目をやり、初めて「商品化されたタバコ」で一服します。さて、終業時刻となり、妻に「電話(グラハム・ベル(てっきり、アメリカ人だと思ってましたけど、スコットランド人だったんですね(芦坊))して帰宅です。家では娘が「テレビ(ジョン・ロギー・ベアードが発明)」を見ています。息子は「宝島(ロバート・スティーブンソン作)」の読書に夢中です。
 う~ん、イギリス人に限らず、私たちも大いにお世話になっている、というのがよくわかりました。
 いかがでしたか?なお、前回の記事へのリンクは<こちら>です。合わせてちょっぴり驚いていただければ幸いです。それでは次回をお楽しみに。

第560回 前世の記憶-3 日本人編

2024-01-26 | エッセイ
 久しぶりのシリーズ第3弾です(文末に過去2回分へのリンクを貼っています)。前世(過去世)の記憶を持って生まれてきたとしか考えられない子供の事例が世界中にあり、研究の対象にもなっています。難しい理屈、議論は抜きにして、私は、そんな「現象」に関心があり、「不思議なことがあるもんやなぁ」感覚を楽しんでいます。今回は、日本人研究者による日本人の事例です。
 ネタ元は、「もっと ヘンな論文」(サンキュータツオ 角川文庫)です。ユニークな論文の中から、大門正幸という研究者の「過去世の記憶を持つ子供についてー日本人児童の事例」(「人体科学」Vol.20掲載)に拠り、ご紹介します。最後までお付き合いください。

 研究の対象になったのは、2000年1月生まれで、関西在住の通称「Tomo君」と呼ばれる男の子です。研究としてまとまったのには、いくつかの要因があります。小さい頃からの彼の特異な言動を不審に思った両親は、映像も含めて、やり取りの記録などを残していました。また、相談した医師の記録も残ってました、そして、本人が生まれたと主張する街を、父親と一緒に訪問までしています。2010年に、大門氏と本人及び両親との面談が実現し、論文として発表された、というわけです。さっそく、彼の前世を巡るエピソードをご紹介します。

 1歳の頃から、彼は、テレビのコマーシャルのアルファベット表示(AJINOMOTO、COSMOなど)に異常な興味を示していました。2歳の頃には、母親の胎内にいた時の記憶をしゃべり、2歳9ヶ月の時には、英語のポップスを上手に歌ったりしたといいます。ひらがなより、アルファベットを先に覚えたり、自分の名前がTomoだと明かしたのもこの頃です。その時のメモ書きです。(同書から)

 これだけなら、英語に強い興味を示す子供という、ままある話です。でも、彼が3歳11ヶ月の時のエピソードが興味を引きます。ホームセンターで、地球儀を見つけた彼は、イギリスを指差して、「ここで生まれたんだ」と言ったのです。家に戻って、父親が、イギリスの地図を見せると、エジンバラを指し示したといいます。英語への強い関心と符合します。
 そして、4歳頃から、彼は、本格的に過去の記憶を語るようになります。
 ある時「にんにくをむきたい」と言い出しました。ビデオが残っていて、普段は右利きの彼が、器用に左利きでむいたというのです。彼の発言です。
 「Tomoくんって呼ばれる前はイギリスのお料理屋さんの子どもやった」「1988年8月9日に生まれて、ゲイリースって呼ばれてた。7階建ての建物に住んでいた」「45度くらいの熱が出て死んでしまった」(同)
 後日、自身の死についても語っています。死んだのは「1997年10月24~25日の間」「イギリスのお母さんが困った顔してた」「Tomoくん、土に埋めたはった」(同)

 いずれもリアルな「記憶」ですが、極め付きは、これではないでしょうか。
 彼が4歳7ヶ月の時、JRの列車事故(時期的に「福知山線脱線事故」と思われます:芦坊注)のニュースを見た彼の発言です。「イギリスでもサウスウォールで列車事故があった。TVで「事故です、事故です」と言ってて、列車同士がぶつかって、火が出た。8人が死んだ」(同)
 父親が調べたところ、1997年9月19日に、その通りの事故があった事が分かりました(ただし、死者は7人だったそうですが)。彼が死ぬ1ヶ月ほど前の頃ですから、病院のベッドで見ていたのでしょう。「前世の記憶」としか言いようのない不思議な暗合です。

 「イギリスのお母さんに会いたい」というTomo君の希望を容れ、調査も兼ねて父親とのエジンバラ訪問が実現します(時期は同書に記載がありませんが、大門氏との面談の前と思われます:芦坊注)。個人での調査という限界もあったのでしょう、残念ながら、彼の記憶を決定的に裏付けるものは見つかりませんでした。でも、現地で、彼はこんな不思議な体験をしています。
 「このTomo君、エジンバラに到着した翌日に「お母さんを感じた。絶対ここにいる」と発言し、このことをきっかけに、Tomo君は「お母さんに会いたい」という気持ちに一区切りつき、過去世の記憶をなくしていったのであった」(同)

 ドラマチックな展開にはなりませんでしたが、私は「これで良かったのだ」と心から感じました。仮に、母親を探り当てたとして、対面すれば、その母親は、大いに困惑し、卒倒するかも知れません。日本人の男の子が、いきなり目の前に現れて、「実はあなたの子供だった」と言うんですから。Tomo君の心の整理も出来たことですし・・・・

 いかがでしたか?なお、過去の記事は、<第277回>と、<第313回>です。合わせて前世の不思議話に触れていただければ幸いです。それでは次回をお楽しみに。

第559回 一言で効く殺し文句の研究

2024-01-19 | エッセイ
 作家・阿刀田高さんのエッセイには、お仕事柄、言葉にまつわる話題が多いので、かねてから愛読しています。今回は「殺し文句の研究」(新潮文庫)がネタ元です。「殺し文句」なんていうと、もっぱら恋愛関係用で、今時はちょっと古臭い感じもします。でも、いろんな場面、シチュエーションで使えそうな例が盛りだくさんです。中から、使い勝手が良さそうなものを選んでみました。存分にお楽しみください。

★顔がきらいだ★
 いきなりインパクトのある「殺し文句」の登場です。
 三島由紀夫は、太宰治に対して、猛烈な嫌悪感を持っていました。(三島(左)と太宰)

 その理由を、三島はエッセイで「第一私はこの人の顔がきらいだ。第二にこの人の田舎者のハイカラ趣味がきらいだ。第三にこの人が自分に適しない役を演じたのがきらいだ。女と心中したりする小説家は、もう少し厳粛な風貌をしていなければならない」(同書から)と書いている、といいます。よほど嫌いだったのでしょうね。第二、第三のそれらしい理由も付け足しているのですが、「顔がきらいだ」と、いきなり理屈抜きで言われれば、引き下がるしかありません。
 著者の家に、さる政党の機関紙販売員がやってきて、しつこく勧誘されました。とにかくいらないと断る氏に「どうしてか」と尋ねられたので、「おたくの党首の顔がきらいだ」と言い放って、お引き取り願ったそう。おススメは出来ませんが、時と場合により、使える「殺し文句」かも。

★見合いは今だけだ★
 今の若い人たちの結婚のきっかけは、「見合い」と「恋愛」のどちらが主流なのでしょう。最近は、「ネット」という選択肢も入ってきているようです。私たち団塊世代が若い頃は、「恋愛」に憧れながらも、やむをえず「見合い」というのが、多かった気がします。
 著者も若い頃、先輩から見合いを勧められました。あまり乗り気でないのを見て、先輩が言いました。「恋愛なんてものは結婚してからでもできるけど、見合いは今だけだ。」(同)
 ちょっとアブないセリフですけど、氏が見合いを奨(すす)める時には、ちゃっかり借用していとのこと。奥様とのきっかけは、見合いでも、恋愛でもなく「ほかにもう一つ「なれあい」ってのもあるんだよな」と答えている」(同)とはぐらかされました。

★その質問にお答えする前に★
 政治家諸氏がご愛用のセリフです。政党の代表者や幹事長クラスが集まっての討論会や、一対一のインタビューでは、ホンネを聞き出さなくてはなりません。ですから、質問者はイエスかノーかで答えるべき問いを発することがよくあります。
 それに乗っかって、白黒はっきりした物言いをするようでは、政治家としては失格なんですね。「その質問にお答えする前に」との前フリで、一見関連ありそうだけど、別の問題を俎上に乗せて、さっきの質問はウヤムヤにする、という手です。う~む、姑息、逃げ腰、場当たり的・・・そんな言葉が浮かんできました。

★海軍の兵士はニューヨーク市民より安全です★
 かつて、合衆国の海軍が兵士募集の広告を出したことがあり、その時のキャッチコピーだというのです。
 根拠はこうです。当時、ニューヨーク市民の死亡率は、1000人につき16人でした。それに対して、対スペイン戦争(1898年)の時の海軍の兵士の死亡率は、1000人に対して9人でした。昨今のニューヨークはともかく、当時、ニューヨク市民であることに危険を感じた人はいなかったでしょう。海軍はそのニューヨークよりも死亡率が低いのですから、安心して応募して下さい、というわけです。
 もちろん、ここには統計上のゴマカシがあります。ニューヨーク市民の死亡率は、乳幼児や高齢者、病気の人たちも含んだ上での計算です。一方、海軍の方は屈強な若者たちで占められています。もともと比較に無理があります。あやうく、文字通りの「殺し文句」になるところでした。

★三善、四善、五善、六善・・・★
 著者には一つだけ自作の主義主張めいたものがあるといいます。やや照れながら紹介しているのが、この項目タイトルです。最善を尽くすのをモットーにする、でも、それがだめなら次善の策で、というのはよくあります。氏の場合、筆が思うように進まない場合であっても、さらにその先、三善、四善などの作品作りへの努力をぎりぎりまで惜しまない、という立派な殺し文句です。現状に妥協しがちになる自身への「殺し文句」とも言えます。私もシロートながら、ブログを書く身として、この「殺し文句」を肝に銘じました。

 いかがでしたか?イザという時、役立ちそうな(?)「殺し文句」があれば幸いです。それでは次回をお楽しみに。

第558回 パズルで固い頭を柔らかく

2024-01-12 | エッセイ
 手軽なパズルを解くのが好きです。高校生の頃、「頭の体操」(多湖輝(たご・あきら) カッパ・ブックス)というパズル本のシリーズがベストセラーになり、私も父が買ってきた何冊かに挑戦しました。著者は、千葉大学の心理学教授(当時)で、発想の転換が必要だったり、心理トリックが仕掛けられていたりする問題を(出来はともかく)楽しみました。
 先日、新古書店で、その新装版が何冊か並んでいたので、「BEST」という選り抜き版を購入し、再チャレンジしました。問題、回答を覚えているものもあり、成績はまあまあ、といったところでしょうか。皆様にも楽しく挑戦していただけそうな5つの問題を選び、お届けします。問題は前半に、回答は後半にまとめました。なお、以前お届けした数学パズルへのリンクを文末に貼っています。合わせてトライしていただければ幸いです。それではどうぞ。

★第1問
 形の違うコップが2つだけあり、いっぽう(図の左)に酒が入っています。この酒を二人で分けて飲もうということになりました。両方からぜったいに文句の出ないように分けるにはどうすればよいでしょうか。

★第2問
 ある細菌は、1分たつと、2個に分裂し、また1分たつと、そのそれぞれが分裂し、合計4個になります。こうして、1個の細菌が瓶(びん)にいっぱいになるのに、1時間かかるとします。
同じ細菌を、最初2個から始めると、瓶にいっぱいになるまでに何分かかるでしょうか。

★第3問
 100チームが出場する野球のトーナメント(勝ち抜き戦)で、優勝決定までに、最低、何試合必要でしょうか。

★第4問
 ジョーカーを除いた52枚の1組のトランプがあります。これをよく切って、26枚ずつの2つの山(A、B)に分けます。このとき、Aの山の黒のカードの枚数と、Bの山の赤のカードの枚数が、ぴったり同じになるのは、1000回のうち、何回ぐらいでしょうか。
★第5問
 図のように半径1メートルの円が4つ、ぴったりくっついて並んでいます。濃い色の部分(4つの円に囲まれた部分と、1つの円の合計)の面積を、円周率を使わずに求めてください。


回答編です。
☆第1問の答え
 まず一人が、自分がどっちを取っても文句がないと思うまでじっくりと酒を二つに分けます。その上で、もう一人に好きな方を選ばせます。こうすれば、文句の出ようがありません。
<芦坊コメント:量的にきっちり分けることをつい考えてしまいます。この方法なら、文句の出ようがありません。子供にオヤツを分ける時などに応用ができそうです。>
☆第2問の答
 59分です。最初の1個が2個になるのに1分かかります。2個からスタートするのは、この1分が短縮されるだけ、と考えればいいのですね。
<芦坊コメント:だいぶ短縮されそう、とつい錯覚しそうです。>
☆第3問の答え 
 99試合です。1試合するごとに1チームが消えていきます。優勝の1チームだけが残るためには、99試合必要です。<芦坊コメント:引き分け再試合がなければ、この通りです。問題には「最低」何試合、と断ってありました。ヒントがここにあった気がします。>
☆第4問の答え
 枚数は常に同じです。赤と黒のカードが各26枚、2つの山も26枚ずつというのがポイントです。
 まず、Aの山を考えます。黒のカードを「X 」枚とすると、この山の赤のカードは、(26ーX)枚です(26枚の山なので)。
 Bの山です。黒のカードは(26ーX)枚(黒は全部で26枚なので)です。赤のカードはX枚(Bも26枚の山なので)になります。結局、「Aの黒」と「Bの赤」は、常に同じ枚数です(「Aの赤」と「Bの黒」も)。<芦坊コメント:52枚という数に惑わされ、加えて、問題に、1000回のうち、何回」といかにも稀な現象のごとく「心理的ひっかけ」が仕組んであり、私もひっかかりました。>
☆第5問の答え
 ご覧のように並べ替えれば、1辺が2メートルの正方形ですから、4平方メートルです。

<芦坊コメント:「円周率を使わずに」というのがヒントになってましたね。>

 いかがでしたか?冒頭でご紹介した記事は<第509回 気楽に挑戦?数学パズル>です。是非、挑戦してみてください。それでは次回をお楽しみに。

第557回 川柳と落語で初笑い2024

2024-01-05 | エッセイ
 「文芸」の分野で多少実作の経験があるのは、「川柳」です。若い頃、<義理で書く 手紙は古風な 言い回し>が、週刊朝日の投句欄に採用されたことがあります。行きつけのスタンド・バーでの句会でも、川柳っぽい句でウケを狙っていましたが、入賞とはあまり縁がありませんでした。
 「演芸」だと「落語」になります。小さい頃ラジオを通じて、そして今はCDで、志ん朝、談志、小三治などの名人芸を楽しんでいます。
 先日、古書店で、その両方がタイトルになった「落語と川柳」(長井好弘 白水社)が目に止まり、なるほど「笑い」という部分で親和性があるなぁ、と迷わず購入しました。古今の落語家たちの川柳「作品」にも興味を引かれるのですが、今回は、落語をより面白く、より分かりやすくするために川柳がどう活用されているか、に絞って初笑いしていただこうという趣向です。よろしくお付き合いください。

 落語といえば、本題に入る前のツカミともいえる「マクラ(枕)」がつきものです。落語家も工夫を凝らします。そこで川柳の出番です。例えば、江戸っ子とカネにまつわる噺はいっぱいあります。そんな時、よく使われるのが、
<江戸っ子の生まれ損ない金(カネ)を貯め> です。
 「三方一両損」という演目があります。三両入った財布を拾った左官の金太郎。中の書き付けで持ち主が分かりましたので、家まで届けに行きます。ところが、落とし主である大工の吉五郎は「一旦、俺の懐から出ていった金なんかいらねえ。おまえにやる」と受け取ろうとしません。
 言われた金太郎も「そんな金がもらえるか」と突っぱねて、二人は大喧嘩。互いの家主、果ては、大岡越前まで巻き込んでの大騒動、という噺です。
 「宵越しの金は持たない」を信条とし、金に執着するのを潔(いさぎよ)しとしない江戸っ子の意地と意地(と、見栄っ張り(?))のぶつかり合いが引き起こす騒動で笑わせる古典落語の名作です。江戸っ子のホンネとタテマエを見事に皮肉ったこの川柳が、マクラにピタリとハマります。

 江戸時代、商家に奉公に出た子供は、時に数年も働きづめです。無事に年期が明けて、一時、親元に返るのが「薮入り」です。同じタイトルの演目を演じる時のマクラで、よく使われるのが、
<薮入りやなんにもいわず泣き笑い>です。
 3年の年季が明けて、帰ってくる息子を待ちわびる父親と母親。なにしろ久しぶりですから、こんなものも食わせてやりたい、こんなこともしてやりたいと、てんやわんやの大騒ぎを語る演目です。「薮入り」という言葉がほぼ死語で、馴染みのない制度ですから、マクラでその説明を兼ねつつ、この川柳でお客を親子の情愛の世界へ引き込む・・・うまい仕掛けです。

 お馴染み「寿限無」のマクラで使われた川柳を3代目三遊亭金馬師匠(1894-1964)が集めたものが、本書で紹介されています。
<乳を噛めば叱りながらも歯を数え><これほどに親は思うぞ千歳飴>
<子の寝冷え明くる日夫婦喧嘩なり><泣くよりは哀れ捨て子の笑い顔>
 子を思う親の心を川柳に託す落語家の皆さんの苦労、工夫が偲ばれます。

 さて、川柳を「噺の中で」効果的に使うという手があります。8代目桂文楽(1892-1971)が得意としていた廓(くるわ)噺の名作「明烏(あけがらす)」での例が本書で紹介されています。

 さる大商家の若旦那は、「遊び」とは無縁の堅物です。そんな息子を心配した父親が二人の遊び人に頼んで、吉原遊郭へ誘い出させます。「お稲荷さんへのお籠(こ)もり」との名目ですから、大門(おおもん)を鳥居といい、たくさんいる女性たちを「巫女(みこ)」だとごまかしたりのやりとりが落語的笑いを誘います。不審がる息子になんとか花魁をあてがうことができました。で、その後の経過をこの句に語らせます。
<女郎買い振られたやつが起こし番>
 遊び人ふたりは見事にフラれて、若旦那を起こしに部屋を訪ねるハメになったわけです。すると、花魁は若旦那のウブなところが気に入ったようで、しっかりしがみついています。馬鹿馬鹿しくなって帰ろうとする遊び人ふたり。そして噺はオチへ、という趣向です。
 多くを語らず、時間の経過と場面転換に川柳を利用するこんな工夫があるのかと感心しました。

 いかがでしたか?初笑いいただけたでしょうか?なお、関連した話題として、<第367回 落語を「読む」><第533回 江戸の難解川柳を楽しむ>のリンクも合わせてご覧いただければ幸いです。それでは次回をお楽しみに。

新年のご挨拶2024<芦坊>

2024-01-01 | エッセイ
「芦坊の書きたい放題」をご愛読いただいている皆様へ

 新年明けましておめでとうございます。
 辰年にちなんで、こんなデジタル年賀状を作ってみました。

 勇壮な龍でもよかったんですが、小さい頃の思い出につながる「タツノオトシゴ」を配しています。よろしければ、ちょっとだけその話題にお付き合いください。
 小学校3年の夏休み前、父が手術、入院することになり、長期化が予想されるため、私は旅館を営む親戚に預けられました。病気と闘う父をよそに、そこの従兄弟たちと遊び呆ける日々です。そんな中、土産物コーナーに置いてある一品が気になっていました。それは、タツノオトシゴをカマボコ形の透明樹脂に流し込んだペーパーウェイトのようなものです。その小動物の珍しさに魅かれ、毎日のように見入っていました。世話になっている身で「欲しい」とも言えません。
 夏休みの終わる頃になって、幸い父は退院でき、私も自宅に帰ることになりました。その時、しつけには厳しく気難しかった伯母(父のだいぶ上の姉)が、例の一品を指しながらこう言ったのです。「あんた、これ欲しいんやろ。よかったら持って行きっ」
 嬉しいというより、物欲しそうにしていた姿をチェックされていた恥ずかしさが先に立ちました。小さな声で「ありがとう」と答えるのが精一杯だったのを覚えています。その後の引っ越しやらのドサクサで、失くしてしまったのが残念です。

 とりとめもない思い出話しにお付き合いいただき、ありがとうございました。今年も楽しくてタメになるブログを目指します。新年の初ブログは、1月5日(金)にアップの予定です。引き続きご愛読ください。皆様方のご健勝、ご多幸、ご活躍をお祈りいたしております。

 2024年 元旦  芦坊拝

第556回 笑い納め2023年

2023-12-29 | エッセイ
 いいことも、よくないこともあった(ような)2023年が暮れようとしています。笑い納めていただくのがなによりと、年末恒例(って私が勝手に決めてるんですけど)の企画のお届けです。ネタ元は、「最後のちょっといい話」(戸板康二 文春文庫 1994年)で、今回が第5弾になります(文末に直近2回分へのリンクを貼っています)。引用は原文のままとし、いささかお古い話題ですので、適宜、人物に関する情報、私なりのコメントなどを<  >内に注記しました。合わせてお楽しみください。

★渡辺美佐子<女優>は仲間から、ミチャコと呼ばれて来た。時には、メチャコだの、ムチャコといわれたりもした。その美佐子が俳優座の養成所にいて、芝居をすることになったが、舞台稽古の時、客席で見ている千田是也<演出家>が、大声で叫んだ。「アチャコ!」<「アチャコ」は、昭和初期にエンタツと組んで活躍した関西の漫才師(画面左)。戦後もソロで活動し、笑いの世界で人気を集めました。千田の口からその名前が出る場面を想像して笑えました>

★中村伸郎<俳優>はガンではないかと疑って癌研に入院した。その時、もうだめだと思ったので遺言を書いておいたが、幸い無事退院したあと、それを読み返したら、じつにくだらないことが書いてあった。「ピアノの上の九谷の壺は高価なものだから、人にはやらずに、売ったほうがよろしい」

★浅香光代<剣劇女優>が去年の秋大阪で西城秀樹と共演、同じホテルに泊まっていた。エレベーターで上がって先に降りる時、西城から「一人で寝られますか」と突然いわれた。夢見心地で部屋に帰ったが翌日そわそわしながら、「きのうあんなこといったけど、寝られないといったら、どうするつもりだったの」といったら、西城がニッコリ笑って、「睡眠薬をあげようと思ったんです」
<秀樹も随分罪な言葉を掛けたものですね>

★初場所で19歳の貴花田<のちの第65代横綱・貴乃花>が優勝した。厚生省から相撲協会に電話がはいって、「祝杯はお酒でなく」といって来たそうだ。ご親切な話である。

★三木のり平<喜劇俳優>はセリフをおぼえるのがへたでいろいろ苦心した。ある時、茶碗の内側にセリフを書いておいたら、いたずら好きな共演者が、ほんとうに飯をよそってしまったので、急いでそれをかっこんで、セリフを辛うじて読んだという話もあるが、なんともおかしいのは、幽霊のセリフを手の平に書きとめていた時の話。舞台で「うらめしや」と両手を垂れたので、何も読めなかったという。

★明石家さんまというタレントが家を建てたという話をしたテレビ局の女性が、付け加えて「それがおかしいんです。場所が目黒なんです」<落語に「目黒のさんま」という演目があります。たまたま目黒で美味しい秋刀魚を食べた殿様が、その味を忘れられず「さんまは目黒に限る」とのセリフがオチです>

★笠智衆<俳優1904-1993>は、生来無口だった。つまり愛想がよくない。同期生よりも昇格が遅れる。岩田祐吉<俳優>が「たまには監督にもお世辞や冗談がいえるようでなくちゃぁ、いい役はもらえないよ」と忠告してくれた。それで或る日清水宏監督に「先生、いいお天気ですね」といってみたら「なにをいってるんだ、君は。こっちは忙しいんだ」

★徳川美術館に見学に来たベルギーの女性が、母国で読んだ漢語の多い美術書などでおぼえた、むずかしい忖度(そんたく)、恣意(しい)というような表現を日常会話で使うので、館長の徳川義宣がやまとことばも勉強したほうがいいとすすめた。まもなくホテルでアルバイトをしていた彼女が報告した。「みなさんの「なりわい」を垣間(かいま)見ることも、よきはげみと思っています」

★小沢昭一の家の近くの信用金庫から、訪ねて来た青年が名刺を出した。見ると小沢昭一。彼が「小沢昭一という名前で随分トクをしております。皆さんがまずお笑いになって、すぐ名前を覚えて下さるのです」といったので、小沢はつい定期を一口契約してしまった。

 いかがでしたか?笑い納めていただければ幸いです。なお、直近2回分の過去記事は<2021年><2022年>です。
 来たる年は、1月1日(月)に新年のご挨拶とミニ記事を、そして、1月5日(金)から通常の記事をアップの予定です。本年も「芦坊の書きたい放題」をご愛読いただきありがとうございました。2024年も引き続きご愛読ください。皆様方のご健勝、ご多幸を心よりお祈りいたしております。

芦坊拝

第555回 面白「そうな」本たち-3

2023-12-22 | エッセイ
 シリーズ第3弾をお届けします(文末に過去2回分へのリンクを貼っています)。ネタ元にした「面白い本」(成毛眞 岩波新書)の続編となる「もっと面白い本」を見つけました。読んではいないのもありますので、相変わらず「面白「そうな」」となりますが、著者のガイドで3冊をご紹介します。最後までお付き合いください。

★京職人のこだわり
「京職人ブルース」(米原有二著、掘通広・絵 京阪神エルマガジン社)は、「京都の伝統工芸を支えてきたる職人たちの飾らない姿を切り取る一冊だ。」(同書から)

 塗師(ぬし)、蒔絵(まきえ)師、京焼職人、指物師、表具師、そして友禅職人などを扱っています。職人さんたちの生き生きした言葉(<  >内)が、この本を、よくある職人本とは一味違うものにしています。
<やっぱりパーマではあきませんわな>
 漆を塗るために塗師が使う刷毛には人間の髪の毛が使われているといいます。ただし、なんでもいいというわけではなく、パーマとか茶髪はダメなのです。一番は海女(あま)さんの髪だそう。日頃から潮風に当たっているので適度に脂が抜けていて、漆との相性がいいとのこと。
 蒔絵師さんが使う根朱筆(ねじふで)にもこだわりがあります。コメを運ぶ木造船の船底に住む野ネズミの背中か脇の毛に限る、というのです。米の栄養が行き渡り、野原を駆け回っていませんから毛先が擦り切れてないから、というのがその理由。「そのへんにいるネズミじゃだめなんですかね」との著者の(当然のような)質問への職人さんの答えがこれ。
<将来のことも考えて代用品はいつも考えてるんやけどね。化学繊維なんかも含めて。でも、職人の道具は昔の人らがいろいろと試した末にたどり着いたものばかりやから。まぁまぁというのはあっても、完全に代わりになるものはないよ、絶対に。>これぞ本物のこだわりです。
★ランドセル俳人の誕生
「ランドセル俳人の五・七・五」(小林凛 ブックマン社 2013年)はちょっとセツなく、哀しい本です。

 著者の凛くん(出版当時、小学6年生で、やっと12歳になったばかり)は、生まれた時の体重が944グラムの超未熟児で、水頭症の疑いもあり、毎年MRI検査が必要な体です。頭部への打撃は禁物で、入退院を繰り返しながら幼稚園に通う中で文字を覚え、物語や小説に親しむようになりました。そして、五・七・五を指を折らずに詠めるまでになっていたのです。ところが小学校に入って事態は一変します。体が小さく、視覚にハンデのある彼をいじめる同級生が出てきたのです。後ろから突き飛ばされて顔面を強打するという命に関わる暴行まで受けます。担任は無実の生徒を犯人に仕立て上げ、両親に謝らせるという卑劣な策まで講じ、本気で彼を守ってくれません。自らの命を守るため、不登校になるしかなかった凛くん。家族の心の内を想像するだけで胸が締め付けられた、との成毛氏の思いは私も存分に共有しました。
 しかし、凛くんは文才を授かっていました。不登校となって家で作った句は300を超えました。ある時、お祖母さんから「凛、生まれてきて幸せ?」と聞かれ、「変なこと聞くなあ、お母さんにも同じこと聞かれたよ」と答え、作った句です。
<生まれしを 幸かと聞かれ 春の宵>(同書から) そして、こんな句も。
<春嵐 賢治のコート なびかせて>「ーー嵐のような日、コートのえりを立てて歩いていると、宮沢賢治のコート姿の写真を思い出しました。(10歳)」(同)
<乳歯抜け すうすう抜ける 秋の風>「ーー乳歯が抜けました。息をすると、そこだけ風が通り抜けるようです。(9歳)」(同)
 出版から10年。立派な青年に成長され、活躍しておられることを願わずにはいられません。
★小説より奇なる平和
「謎の独立国家ソマリランド」(高野秀行 本の雑誌社)の著者は冒険作家です。私も、この本を含めいくつかの作品に接してきました。

 ソマリランドは、アフリカ大陸東北部、ソマリア共和国の北半分ほどを占める「自称・独立国家」です。南半分の正規国が内戦状態で、国民の生活も苦しい一方、ソマリランドは、平和で、食べ物には困らず、携帯電話まで使えるというのです。著者が探り当てた秘密の一端は、アラビア語の「へサーブ」(精算)という仕組みと、その掟を指す「ヘール」という言葉にありました。
「へサーブにおいて重要なのは、誰がやったとか何が原因とかでなく、人が何人殺されたとかラクダが何頭盗まれたかという「数」だといいます。例えば、人が一人殺された場合、殺した側はラクダ百頭を被害者の遺族に差し出して償う。ソマリ人の伝統的な掟を「ヘール」というらしい。ヘールに従い、まさに「精算」していく。」(同)
 族長とか長老が決めたヘールに従うことで争いごとが解決し、平和な生活が維持される仕組みです。ソマリランドは、かつてイギリスが、現地の制度や社会の仕組みを尊重しつつ統治する間接統治をしていました。そのため、族長や長老が争い事を仕切るへサーブという仕組みも存続し、平和が維持されているというのです。
 一方、南の共和国は、イタリアが自国の制度を持ち込み、直接統治しました。そのため、争い解決の有効な手段がなくなり(現地ガイドの「戦争のやめ方もわからない」との発言をを著者は引用しています)、争乱状態が続いている、というのが、現地の人たちとの交流を通じて得た高野の分析です。へサーブの件をあくまで一例として、単なる冒険、探検を超えて、そこまで踏み込んだ取材ができる高野氏のパワーにあらためて感服しました。
 いかがでしたか?過去分へのリンクは<第523回><第543回>です。もう少しネタがありますので、いずれ続編をお届けする予定です。それでは次回をお楽しみに。