★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
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第449回 クイズ感覚でお勉強-2 英語弁講座35

2021-11-26 | エッセイ
 多くの皆さんがご存知の(はずの)やさしい英単語のちょっと意外な意味や使い方をクイズ感覚で知っていただこうという試みの第2弾です(文末に前回へのリンクを貼っています)。引き続き「誤訳をしないための翻訳英和辞典」がネタ元です。想像力、推理力(?)を発揮いただき、気軽にお楽しみください。

<decent>
団体旅行の宿とか寄宿舎で個室を訪ねる場合、ノッックして、
"Are you decent?"と訊くのがマナーとされています。「あなたは上品ですか?」てなわけはありません。はてどんな意味でしょう?
「(裸や下着姿ではなく、人前に出られる程度に)衣服を身に着けた」という大事な意味が
"decent"にはあるんですね。う~ん、知りませんでした。言われてみたい気もします。

<difficult>
「困難な、難しい」と覚えている単語ですが、こんな使い方があります。
"Mummy,buy me that Pokemon!"
"No,no,not again.Don't be difficult."
ポケモン買ってとねだる子供に、母親がいいます。
想像ついた方が多そうですが、「だだをこねないで」「無理言わないの」とたしなめている図です。ほぼ正解の方が多そう。

<enough>
形容詞、副詞として「十分な(に)」で早い時期に覚えたはずの単語ですが、少し違う顔を持っています。
"Oh,she is honest enough,I guess."という例文が辞書に載っていたとあります。「すごく正直だ」じゃありません。「まずまず正直だ」というんですから、ちょっと戸惑いますね。

<etching>
エッチング、つまり銅版画のことです。では、
"Come up to my room to see my etchings."(ぼくの銅版画を見に部屋までおいでよ)
どうってことない表現ですが、こう言った男の真意は何でしょうか?
これは男性が女性を寝室に誘うときの決まり文句なんですね。著者によれば、最近この用例を載せている辞書がちらほら出始めているといいますから、覚えておいた方がいい(?)かも知れません。

<fair>
公平な、公正な、と覚えました。フェア・プレイなどとも使いますから、いいイメージがあるんですが、結構意味に幅があります。
学校の成績で、fairというと、excellent(優)、good(良)につぐ「可」という評価です。
"fair words"といえば、どんな言葉でしょう?
「心のこもってない口先だけの言葉」です。
 "a fair amount of money"は、「かなり多額のカネ」という意味。ホンマ、どっちやねん、とツッコミを入れたくなります。

<fox>
”The Quick brown fox jumps over the lazy dog."
素早い茶色のキツネが、ぐうたら犬を跳び越える・・・というだけの文章ですが、はて、これは何でしょう、という質問が意地悪ですが、日本の「いろは歌」みたいなものです。(ダブってるのもありますが)アルファベット26文字が全部出てきます。昔、タイプライターの試し打ちをする時によく使われたというんです。昔はこんなゴツい機械でした。



<full name>
例えば、普段はJohnnyと読んでいる男の子を、その親が、"John Edward Stone!"と呼んだら、どんな状況でしょうか?
 あらたまった言い方から想像がつくように、きつく叱ったり、怒ったりする時専用です。ですから、翻訳では、そのまま「ジョン・エドワード・ストーン君」とやってもワケが分かりません。「まあ。この子ったら」とか「まったくあんたって子は」などのように機転を利かせる必要がある、というのが著者のアドバイスです。

 いかがでしたか?前回(第419回)へのリンクは<こちら>です。いずれ第3弾をお届けする予定です。
 それでは次回をお楽しみに。

第448回 澁澤龍彦の不思議話−1

2021-11-19 | エッセイ
若い頃、澁澤龍彦の作品を愛読していました。
 古今東西の書物を渉猟し、多くの著作を残しています。中でも「黒魔術の手帖」、「毒薬の手帖」、「世界悪女物語」、『妖人奇人館』などおどろおどろしいタイトルの本が気になって、妖気漂う異端の世界をこわごわ覗き込んだのを思い出します。こちらの方です。



 先日、氏の「東西不思議物語」(河出文庫)を古書店で見つけ、久しぶりに読み返しました。古い物語や伝説も登場しますが、現実に起った不思議な出来事に絞って、シリーズでご紹介することにします。

★ユニークなポルターガイスト★
 ポルターガイストというのは、ドイツ語で「騒ぐ幽霊」というほどの意味です。原因がまったく分からないままに、家の中の家具や食器などを、がたがた揺すったり、ひっくり返したりするもので、世界各地で多くの事例が報告されています。
 著者が紹介するのは、1968年2月3日午後3時半頃、ニューヨークのシーフォードという町のハーマン一家に起った「事件」で、AP通信で日本にも伝えられました。
 その日、息子のジェームス君が学校から自室に戻ると、陶器の人形とモデル・シップが床に落ちて粉々になっています。でも、家族にはまったく心当たりがありません。
 夫人が次の部屋に行くと、聖水を入れた瓶が倒れ、フタが抜け、水が床に流れ出していました。その時、洗面所で、ポン、ポン、ポンと音がしたので行ってみると、そこにあった全ての瓶のフタが抜けていました。さらに地下室では、一家の目の前で、漂白液の瓶がボール箱から飛び出し、コンクリートの床で踊った挙げ句、割れてしまったというのです。
 栓を抜くのにこだわるなんともユニークな霊でした。

★銅版画を彫らせた霊★
 19世紀のフランスにヴィクトリアン・サルドゥーという通俗劇作家がいました。ある晩、ベルナール・パリッシーと名乗る霊が夢に現れ、彼に銅版と金属彫刻用のノミを用意するよう命じました。パリッシーは16世紀フランスの陶工、著述家で、一種のルネサンス的万能人です。
 3世紀も昔の人物から言われるままに、まったく心得のないサルドゥーが銅版とノミを用意して机に向かうと、なんと手が自然に動いて、実に細かな形を金属板に刻んでいくではありませんか。仕事は幾晩も続きました。サルドゥーの自宅に呼ばれて、その超人的な仕事ぶりを見た仲間は皆、舌を巻いたといいます。
 その作品ですが「きわめて幻想的なもので、死後の霊が地球を離れ、木星に移り住み、そこでふたたび人間の姿となって生きているところを描いたものであった。いわば天国の美しい生活である。私は、この絵の複製を見たことがるが、たしかに素人ばなれのした、まことに繊細な仕事であった。」(同書から)
 絵心のまったくない私には、ほんのちょっぴりだけ羨ましい「事件」です。

★石の上に現れた顔★
 スペイン南部、アンダルシア地方の山村で農業を営むペレイラ一家でその事件は起りました。
 1971年8月のある日、マリア夫人が食事の支度をしようと煖炉の灰を書き分けると、火床の石の上に絵のようなものが見えます。すっかり灰をはらってよく見ると、それはまぎれもなく等身大の女性の顔です。目、鼻、口や髪の毛、顔の輪郭までがくっきりと描き出されています。
 気を失いそうになりながらも勇気を奮い起こして雑巾をかけても、洗っても、こすっても消えません。
 ふるえながら、夫や近所の人に来てもらいましたが、みんな不審がるばかりです。それからというもの、毎日のように見物人が押し掛けるので、夫は火床の石の上を3センチほどセメントで塗り固めてしまいました。ところが、セメントが乾くにつれ、再び同じ顔が現れたのです。
 記録によると、一家のある辺りは、17世紀まで墓地だったことがわかりました。そこに埋葬されている人物の顔である可能性もあり、結局、セメントをはがして塗り直し、台所の一隅に安置し、花を備えて供養しました。
 それでも、しばらく経つと、塗り直したセメントにはまた顔が出現したといいますから、なんとも執念深い霊(かどうかは分かりませんが)です。
 「スペインの片田舎に、科学者や心霊学者や新聞記者が大ぜい、集まってきて、この奇現象を開明しようと躍起になったが、結局、最後まで謎は解けなかったらしい」(同書から)とのこと。
 その後の経過も含め、ちょっと歯切れは悪いですが、不思議な「事件」です。

 いかがでしたか?いずれ続編をお届けする予定です。
 それでは次回をお楽しみに。

第447回 新古書店最新事情2021

2021-11-12 | エッセイ
 使い方によっては便利ですので、買うだけでなく、売るほうでも新古書店をよく利用します。本当に手元に置いておきたい本以外は売却処分する、というのがだいぶ前からの方針です。で、もっぱら利用するのが、大手チェーンの「某オフ」で、その商法の一端などを過去に何度か取り上げてきました。今回は「売却」(店側からは「買い取り」)を話題にすることにします。

 2~3年前くらいからでしたかねぇ、某オフ社は、コンピュータを利用した独自の買い取り価格査定システムを導入しました。
 市販される本には必ず付いているISBNのバーコードを読み取り、買い取り価格を瞬時に査定する仕組みです。おそらく、ネット上の古書通販サイトの売値などを、独自にデータベース化して利用しているのでしょう。

 作業は早いですし、担当者によって買い取り価格に差が出ることもありません。店員は買い取り価格査定のノウハウを特段必要としませんから、アルバイト店員の研修もその分、手間が省けそうです。買い取り価格の低さは相変わらずですが、商売のツールとしては、なかなかよく出来た仕組みです。

 で、ここ1~2年くらいのことですが、持ち込んだ本のうち何冊かに「値段が付きませんでした」と言われるケースが圧倒的に多くなりました。10冊につき2~3冊くらいの割合でしょうか。それなりに古い本が多いですが、今のシステムの導入前であれば、安いにしろ問題なく値段が付いていたはずのものです。

 査定されている間は、本棚を見たりしてますので、読み取っている現場をきちんとチェックしているわけではありません。でも、ふと湧いて来た疑念があります。
 ある程度古い本は、店員の判断で、バーコードを読み込ませず、「値段が付かなかった」と言ってるのではないか。というものです。1冊につき5円とか10円のことですけど、客が「仕方がないな、じゃあ、引き取って」と諦めてくれれば、仕入れコストが節減できます。セコいといえばセコいです。

 先日、その疑念が確信に変わるケースに遭遇しました。値が付かなかった、と言われた本の中に、数ヶ月前に買ったばかりの単行本が入っていたのです。単行本ですから、読み取り漏れは考えられません。地味なデザインで、安っぽい紙質でしたから、店員は古い本と判断して、読み取りをかけなかったに違いありません。

 「出たばかりの本だけど」と文句を言うと、奥付で出版日を確認した若い男性店員は、バツの悪そうな顔をして、バーコードを目の前で読み込ませました。ちゃんと240円だか250円だかの値がつきました。アルバイトであろう若い店員を責めても仕方がないので、私なりに、リターン・マッチを試みることにしました。その時、「値が付かなかった」本の中から、「これは」と思う3冊だけを、一旦引き取って、「出直す」ことにしました。ご覧の3冊です。



 2005年出版の文庫が2冊と、CD付き英語ニュースのリスニング教材(2013年版)です。
売るべき本がある程度溜まったら、同じ店へこの3冊も含めて、そしらぬ顔で持ち込みます。果たして、値がつくかどうか見てみようというわけです。それで事を荒立てるつもりは毛頭ありません。私なりのささやかなリベンジです。

 過日、その機会がやってきました。その結果ですが・・・・
 3冊とも値段がつきましたっ!
 右の「テレビの黄金時代」(文春文庫 2005年)は、70円と、この店としては結構いい値段。そして、真ん中の「魂がふるえるとき」(文春文庫 2005年)は、30円、そして、リスニング教材は、5円という結果でした。

 担当者の判断で「値が付かなかった」とするアナログなやり方と、デジタルなシステムを組み合わせる営業方針だ、というのがはっきりして、かえって気持ちがスッキリ。
 ならば、というわけで、私も値が付かなかった本の中で、これは、と思うものは積極的に引き取って、リターン・マッチにかけることにしました。
 私なりに店との駆け引きをゲーム的に楽しんでみよう、との魂胆です。おかげで、売却で店に足を運ぶ時、ちょっぴり楽しみが増え、足取りが軽くなった気がします。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。


第446回 ロシア語を遊ぶ−2

2021-11-05 | エッセイ
 「学ぶ」ではありません。ロシア語の周辺の楽しい話題で「遊ぶ」という企画です。前回(第314回ー文末にリンクを貼っています)に引き続き、黒田龍之助さんのエッセイ「ロシア語の余白」(現代書館)から拾って来たエピソードでお届けします。どうぞ気軽にお付き合いください。

<聞き返す>
 外国人と話してると、聞き取れなかったりしたのを聞き返す表現は必須です。
 英語だと、"Pardon?"、"Excuse me?"、"Sorry?(主に、イギリス)"あたりでしょうか。
 「すいません。よく聞き取れませんでした。もう一度おっしゃってください」のロシア語版が、紹介されてますが、日本語と同じく、ロシア語も十分長くて、とても紹介する気になりません。これがスラっと言えるくらいなら、聞き返すことも少なそうですし。

 で、氏が、実践的に身に付けたのが、
 ”A?”(アァ?=なんですって)というもの。日本語の「えっ」に似て、簡潔ですけど、イントネーションが難しいのだそう。最初は低く始めて、急に上昇する感じだというんですけど・・・
 これを、逆に、高く始めてから、下げて言うと、「なるほど!」(A!)という驚き、納得を表す表現になるというわけで、イントネーションさえ間違わなければ、便利そうです。

<ロシア人の質問>
 旧ソ連時代、学生の身で、通訳をしていた黒田が、雑談中に何気なくされる質問(以下の★印)にも、国情が反映していたそうです。

★「兵役はつとめましたか」
 徴兵制を前提とした質問ですが、日本には、徴兵制度がないことを説明しないと、兵役逃れをしたように誤解される、と書いてありました。
★「奨学金はもらっていますか」
 旧ソ連では、奨学金を貰うのが当たり前だったそうで、ヘタに「奨学金をもらってない」と答えると「コイツ、成績が悪いからもらえないんだな」と誤解されるから、日本の奨学金の仕組みを説明してから、答えていたそう。
★「家族(スィーミヤー)はいますか」
 「はい、父と母と妹と」などと、始めのうちは答えていたそうですが、どうも話が噛み合ない。
 で、分かったのは、ここでの「家族」というのは、「世帯」に近い、ということです。
 結婚してるか、してないかを、こういう訊きかたをするんですね。

 さて、ロシアといえば、ウォッカです。画像だけですが、飲んだ気になっていただき、後半をお楽しみください。



<たかが「行く」だけど>
 ロシア語では、「歩いて」行くか、「乗物で」行くかで、使い分けがあるんですね。
 「私は、郵便局へ行ってきました」ですが、
 徒歩だと、「ヤー・はヂール・ナ・ポーちトゥ」
 乗物だと、「ヤー・イェーズヂル・ナ・ポーちトゥ」
 「ヤー」は、「私は」、「ナ・ポーちトゥ」は、郵便局へ、という意味です。
 徒歩で行くのを、「はヂール」、乗物で行くのを、「イェーズヂル」と使い分けるんですね。ただし、抜け道(?)というのでしょうか、どちらでも使える「ブィール」という動詞があって、ついついそちらを使ってしまう、と黒田先生も告白してました。語学の専門家たるものが、安易なほうへ流れてはいけない、と自戒してましたけど、気持ちはよく分かる。

<ソフトクリームを買う>
 今のロシアはどうか分かりませんけど、旧ソ連時代の買い物は、どこで何を売ってるかが分からない、買う段になっても、支払いと品物の受け取りの仕組みが複雑、など面倒なことが多い、というのを見たり、聞いたりしたことがあります。
 例えば、ソフトクリームを売ってる「店」なんてまず見つかりませんから、売ってる「屋台」を探すことになります。で、氏が紹介していたのは、こんな方法です。

 まず、歩きながらアイスクリームを食べている人を見つけます(そう珍しくもない光景なんでしょうね)。そこで注意深く、その人が歩いて来た方向を溯るようにして、二人目、三人目と見つけていきます。とにかく観察あるのみ、という感じです。そうすれば、アイスクリームを売ってる源流である「屋台」に行き着ける、というのです。
 もちろん、ロシア名物の行列が出来てますから、更に我慢強く待って、ようやくありつける、という次第。ロシア語とは関係ないエピソードですが、いかにも、と感心しました。前回(第314回)へのリンクは、<こちら>です。合わせてご覧いただければ幸いです。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。