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第367回 落語を「読む」

2020-04-24 | エッセイ

 リタイヤして以来、自主的に「外出自粛」気味の生活を送っていましたから、大きな不自由は感じていません。でも、図書館、美術館が軒並み休館、行きつけのバーも休業で、少し寂しいです。開いている新刊書店、チェーン古書店に時々顔を出して、気分転換を図っています。

 家では、趣味の読書などで時間をつぶしながら、世の中を覆う重苦しい空気を自分なりに振り払うべく落語を聴くことをふと思いつきました。だいぶ前になりますが、落語のCDを集中的に集めたことがあります。枝雀、談志、志ん朝、小三治などを中心に100枚ほどあって、聴いてない演目も結構あります。これなら、だいぶ時間はつぶせそうです。

 かさばるCDラジカセをわざわざ運んできて、電源コードをつないで・・・というのは、面倒です。携帯プレーヤーに落とすのも枚数と手間を考えれば、気乗りしません。
 CDサイズで、電池式のプレーヤーがあれば、とネットで探したら、見つかりました。値段はほぼ飲み代1回分で、電源は単3電池2本。イヤホンを差すだけなので、夕食後、ソファに思いっきり寝そべって、癒されています。

 と、そんなライフスタイル(というほどのものでもないですが)も悪くはないです。でも、落語を「読む」というのはどうでしょうか?

 噺家が演じた演目を活字に起こすーー簡単なようですが、噺家の語り口、雰囲気を伝えるにはそれなりの知恵、工夫が求められます。この分野で飛び抜けて充実したラインナップを誇るのが「ちくま文庫」です。

 米朝、枝雀、志ん生、志ん朝などは全集(各5~8巻)で、小さん、文楽、圓生なども1~2巻本で読めます。名作集、艶笑落語、はては禁演落語などジャンル別のものも充実しています。

 私が通読したのは、米朝、枝雀、志ん朝で、その中の「志ん朝の落語」シリーズから、活字化の工夫を2カ所ご紹介することにします。編者である京須偕充氏は、志ん朝をはじめ多くの落語の録音に一貫して関わってきた人で、その職人技の一端をご堪能ください。おなじみ志ん朝師匠です。

 まずは、「お若伊之助」という男女の愛憎に因果を加味した演目のマクラから。

 <男のほうはというと、風邪ひき男。ね。これはあの、あんまり熱があってもいけませんが、ほどほどに熱があるってェと、普段険しい険しい男性の目が熱の加減でなにかトローンとして、ちょっと色気が出る。(略)
「どしたい?」
「どうも・・・(少し芝居がかって)熱があっていけねェやァ」
なんてんでね、え、それこそ世話狂言の二枚目みたいな形ンなりますが・・・。他の病じゃア、やっぱり具合が悪い。ねえ?
「どしたい」
「どォも、痔が出ちゃったよォ」
なんてんで・・・う~ん、具合の悪いもんでございます>

 彼の高座になじんだ方なら分かると思います。生粋の江戸弁独特の語尾の感じ、言葉のつなぎなど、実に巧妙にすくい取っていて、師匠の口演ぶりが彷彿としてきませんか?
 おまけに「少し芝居がかって」なんて補足が入って、声の調子までくっきりとイメージさせてくれます。

 もうひとつ、「三年目」というこれも男女の愛を扱った演目のマクラから。

 <えェ、よく、噺のほうでご婦人を採り上げますけども、うゥ、やっぱりご婦人というのは、いいもんでしてェ・・・、(宣言するように)あたくしは、好きです。ンなことは・・・(と、照れて)。ただあの・・・>

 「宣言するように」、「照れて」というのがなんとも可笑しいです。師匠の場合、マクラなんかでは、素(す)に戻って、自身のホンネをふと漏らした語り(あくまで芸の一部だと思いますが)が笑いを誘います。編者ならではの見事な仕掛けです。

 落語を「読む」気になっていただけたでしょうか。充実のラインナップから、お気に入りの何冊かが見つかり、癒しにつながれば幸いです。

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。


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