★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
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第564回 ボケとツッコミ考<旧サイトから>

2024-02-23 | エッセイ
 旧サイト(現在は廃止)の記事をお届けします。当時、行きつけのバーで親しくお付き合いいただき、ブログも愛読いただいていたのがイワンさんです。山形ご出身でしたが、大阪での勤務も経験されていましたので、そのあたりの話題でよく盛り上がりました。「大阪のお笑いを素材に何か書いてみたら」とのリクエストに応えたものです。本当に残念ながら、先年、亡くなられました。「なかなかよう書けてたでぇ」との大阪弁での評が懐かしいです。それではお楽しみください。

★★以下、本文です★★
 関西のお笑いが全国区になって、もともと関西の漫才の世界での業界用語であった「ボケ」と「ツッコミ」もすっかり全国的に通用するようになりました。
「関西では、二人寄ったら漫才になる」とよく言われます。小さい頃から漫才に親しんきたからという人がいます。確かに、今やバラエティに埋没している感のある漫才という芸ですが、小さい頃、若い頃は随分楽しんできました。1970年代を中心に活躍された「やすし(故人・画面左)・きよし」のお二人です。

 面白おかしくアホを演じ,会話をリードする「ボケ」と、それを受けて話を展開させる「ツッコミ」の役割分担が、(それとは気づかず)自然に身についていたってことがあるかもしれません。  
 加えて、関西・大阪という風土、土地柄との関連もありそうです。子供の頃、勉強ができる子とか、スポーツが得意な子が人気があるのは当然として、「オモロイ」子というのが、結構人気者でした。プライド高い武士が中心の江戸に対して、商売の町・大阪では、気取りのなさ、面白おかしいやりとりを楽しむ気風が脈々と流れていたように感じます。むしろ、その上に、漫才のような芸が成立している、とも言えそうです。

 そんな土壌の上で、関西・大阪人同士が、「ボケ」と「ツッコミ」を、時に役割交代しながらやり合って、ゲームのように楽しむことも多いです。
 そんな一般人のやりとりの中で「ボケ」とは何か、と問われれば、私は「それは笑いの取れる「自慢」である」と答えます、例えば・・・
「大事な約束、コテッと(すっかり)忘れてもうて、ションベンちびる(漏らす)ほど怒られたわ」「嫁は実家に帰るゆうし、息子はひきこもりで、さっぱりワヤや(すっかりダメだ)」
などと、自分の失敗や困難な状況を、多少の脚色を含めて、自虐的にしゃべるのを苦にせず、面白がる風潮があります。
 それは、とりもなおさず、そんな厄介な状況を面白おかしく、また、客観的に語れる話術があり、加えて「アホを演じられる」という「自慢」です。しかも、そんな厳しい現実とか、やっかいな状況も、(少なくとも表向きは)平然と笑いのめす度量も持ち合わせていることを暗に示す「自慢」でもあります。単なるアホ、ホントのボケでは出来ない芸当です。一筋縄で行かないのが、関西・大阪人だとつくづく感じます。

 そして、「ボケは、ツッコミを誘う道具である」という一面もあります。
 気心の知れたもの同士の場合は、どんなツッコミを入れてくるかを楽しんで、会話を弾ませるきっかけになります。相手によっては、「とりあえず、どう反応するやろか?ヘタなツッコミやったら、それにツッコミいれてもおもろいし・・」と相手の技倆を測ってやろうという底意地の悪さも見え隠れします。ですから、ただ笑ってるだけ、とか適当に相槌を打ってるだけじゃダメなんですね。適切な「ツッコミ」を入れるワザも関西・大阪人には求められます。その実例です。

男A:「なあ、オレのことどう思う?」
女B:「そやな~、背は高いわなあ~」(ボケ)
男A:「見たまんまやないか~、それだけか~?」(ツッコミ)

嫁はん:「なあ、今日の晩ごはん、なにがええ?」
亭主:「そやな、寒なったし、おでんなんかどうや?」
嫁はん:「う~ん、それもええけど、やっぱりカレーにしよ」(ボケ)
亭主:「ほんなら、聞くな~」(ツッコミ)

女A:「この前、コンサート行ったら、女子トイレがえらい混んどってな~」
女B:「ほんなら、男子トイレ行ったらええやん」(ボケ)
女A:「そやな、立ちションの練習にもなるしな、、、て、そんなわけないやろっ」(ボケ+ツッコミ)

 最後は、自分でボケで、自分でツッコミを入れる、ちょっと高度なワザです。いかがでしたか?バラエティ、関西・大阪人の世界に限らず、皆様方の会話を楽しく弾ませるひとつのヒントになれば幸いです。それでは次回をお楽しみに。

第563回 愉快で楽しい日本語たち1

2024-02-16 | エッセイ
 身の回りには、愉快だったり楽しかったりする日本語が結構ある、というのを、「若干ちょっと気になるニホン語」(山口文憲 筑摩書房)で知りました。タイトル通り、日本語の乱れなども話題に取り上げられますが、私の関心は、もっぱら「愉快」「楽しい」日本語の方に向けられます。私なりのセレクトで、いくつかご紹介することにしました。どうぞお楽しみください。

★そこもっと★
 いきなりアブなそうな言葉ですが、ご安心ください。著者が家電量販店で、パナソニックの電動マッサージチェアを試そうと出かけました。同社の最新の製品です。

 そこには若いOL風の先客がいて、気持ち良さそうに使っています。そろそろ終わるかなと見ていると、手元のコントローラーのボタンを押すのです。「するとふたたび快感の大波が押し寄せてくるらしく、またもや四肢をつっぱらせ、背を弓なりにして悶絶する。」(同書から)
 散々待たされて、あの青くて丸い大きなボタンは一体何か、と見てみると、そこには「そこもっと」との表示。今、マッサージしてるところを、もっと強く、繰り返して、と指示するためのボタンだったんですね。著者もこのベタで分かりやすい表現には感心しきりでした。いかにも関西の家電メーカーらしいな、と同じ地域出身の私も大笑い。最新機種のパネルに「そこもっと」の表示があるかどうかは分かりませんが・・・・

★チョイあげ★
「株式会社わんわん」というドッグフードのメーカーがあるんだそうです。商品のネーミングが上手で、「犬日和」、「彩色犬美」、「ごほうび」なんて製品を送り出しているといいます。この会社が、犬用のビスケットなどおやつ系の4品目を出して、それに「チョイあげ」というシリーズ名をつけました。
 「チョイ」と「あげる」ためのお菓子、というネーミングに、近頃のペット愛好家への敬意と心配りが感じられます。私たちが子供の頃は、犬とか猫には「エサ」を「やる」ものでした。オス、メスなんて言い方も、愛好家の間では禁句なんですね。「お宅のワンちゃん、男の子さん?女の子さん?」なんて愛犬家同士の立ち話を小耳にはさんだりします。商品名にもペット業界と愛好家の人たちへの配慮が入ってくる時代になりました。

★持って帰り★
 ファーストフードの店ではごく普通の「持ち帰り」(「テイクアウト」とも)ですが、若い人たちを中心に、「持って帰り」という言い方が、普及しつつあるというのです。著者はこんな背景を推測しています。
 テレビバラエティなどで、芸能界の合コンが話題になることがあります。合コンが終わって、芸能人が(関係者が段取りすることもあるようですが)気に入った女の子を連れ出して、二人きりの時間を楽しむのを「お持ち帰り」と称するらしく、私もこの言葉、用法は聞いたことがあります。
 若い人たちは、この業界用語について回る「いかがわしさ」がイヤで、わざわざ「持って帰り」とするようです。なるほど~。若い人たちの潔癖さにちょっと拍手を送りたくなりました。

★「ラレシ」の謎★
 著者が夕方、店じまいしたばかりの様子の八百屋の前を通りかかった時のことです。ボール紙を短冊形に切った値札が落ちていました。そこには、「ラレシ 150円」と書いてあります。はてどんな野菜だろうとの疑問は翌日解けました。「ラレシ」の札の前に山積みになっていたのは、赤くて小さい「ラディッシュ」(日本名ではハツカダイコン)。
 「耳から英語」というのがありました。耳から聞こえたままを文字にしたもので、「アメリカン」が「メリケン」に聞こえて、波止場の名前になったりした例を思い出します。さしずめ「耳から野菜名」といったところでしょうか。
 その後も、この店をウォッチしていた著者が見つけたのが「モロヘアー」。お~っと、ずいぶんアブない野菜名になってますが、正解は、もちろんエジプト原産の「モロヘイヤ」です。
 おもちゃ屋ではこんな発見もしています。万華鏡(カレイドスコープ)なんですが、子供だと読めないと思ったのでしょうね、「まんげ鏡」との表示が。こちらもアブなさでは負けてませんね。

 お楽しみいただけましたか?もう少しネタがありますので、いずれ続編をお届けする予定です。それでは次回をお楽しみに。

第562回 人名いろいろ7 名字編-1

2024-02-09 | エッセイ
 シリーズ第7弾をお届けします。(文末に直近2回分へのリンクを貼っています)。
 今回のネタ元は、「名字の謎」(森岡浩 ちくま文庫)という興味深い本です。日本人の名字・姓(以下、「名字」)をめぐって、そのルーツ、珍しい名字など様々な話題が取り上げられています。名字にはそれぞれ由緒、由来があります。それらに十分敬意を払いつつ、珍しい名字を中心にご紹介することにしました。最後までお付き合いください。

★名字の数★
 日本人の名字って、どれくらいあるんでしょうか?著者は、10万から30万と推定しています。随分、幅があります。戸籍制度が完備している我が国ですが、利用にあたっては、いろいろ制約があり、それだけに頼ることはできないようです。また、新旧の字体(例:澤と沢など)や異体字(例:島と嶌など)、さらに、読み方で、濁る、濁らないをどうカウントするか、などの問題もあります。そのため、いろいろ苦労、工夫を重ねても、これだけ幅のある数字になるようです。ちなみに、韓国の名字は、270種類です。でも、金(キム)、朴(パク)、李(リ)、崔(チエ)の4つで約半分を占めるといいますから、同姓が多く、「慶州の金」のように出身地を付けて名乗るのが普通だそう。中国は、約1000種類です。日本の種類の多さが際立ちます。
 なお、著者による多い名字のベスト10は、多い方から順に、
佐藤、鈴木、高橋、田中、渡辺、伊藤、山本、中村、小林、加藤、(次点 吉田)となっています。なるほど、友人、知人の顔がいろいろ思い浮かびます。
★ユニークな名字がいっぱいの街★
 富山県西部、庄川の河口に新湊市という小さな市がありました。現在は合併で「射水市」となっています。こんな街並みです。

 人口4万人ほどの市ですが、江戸時代は、加賀藩の港町として栄えました。ユニークな名字、しかもいろんなジャンルのものが多いことで知られます。
 海、魚関係ではずばり「魚」のほか、「海老」「鯛」「魚倉(うおくら)」「波」「灘」など。
 食べ物だと、「米(こめ)」「酢」「飴」「菓子」「糀(こうじ)」のような例も。
 家屋まわりでは、「桶」「風呂」「綿」「瓦」「壁」「横丁」などがあり、
 動植物だと、「牛」「鹿」「鵜」「菊」「草」などの名字も。
 そのほかにも、「山」、「松」、「地蔵」、「音頭」、「旅」、「大工」など、驚くほどバラエティに富んでいます。これらの名字の多くが、射水市独自のもので、近隣の街では見られないといいます。商売の屋号などが由来ではないかと著者は推測していますが、なんとも不思議な街です。

★まるで判じ物ー月日そのままの名字★
 代表選手は、「四月朔日」さんです。「わたぬき」と読みます。昔は、4月1日になると、袷(あわせ)の着物から綿を抜いて、単衣(ひとえ)にした風習に由来します。富山県を中心に、日本海側に点在する名字だそう。「八月一日」と書いて「ほづみ」という名字があります。8月1日に稲の穂を積んで神様に供える行事が元になっていて、群馬県を中心に、関東に多い名字とのこと。かつての暮らしぶりが伝わってきます。
★50音順の始めと終わり★
 学校などではなにかにつけて、名字の50音順で、というのが普通でした。山田さんとか渡辺さんとかは、最後の方になるので、なんとなく気の毒に思ったりしていました。
 さて、その50音順ですが、さすがに「あ」ひと文字の名字はないようです。「あい」と読む「阿井」、「藍」、「愛」、「相」さんなどがが挙げられています。おっと、もっと前があるというのです。それは、佐賀県に実在する「最初さん」。なるほど~、著者に座布団1枚。
 終わりのほうだと、「わん」がつく名字があるのですね。椀田(わんだ)、湾野(わんの)、湾洞(わんどう)などが挙げられています。そして、著者があげる大トリが、「分目」(わんめ)さんで、千葉県市原市にルーツがあるそう。50音順で呼ばれるなら、間違いなく最後でしょうね。
★名字でナゾナゾ★
 先ほどの判じ物に似ていますが、まるでナゾナゾのような名字が実在します。
 「月見里」で「やまなし」と読みます。月見を楽しむには、山がないほうがいいから、という謎解きです。「小鳥遊」で「たかなし」と読ませます。鷹のような強い鳥がいなければ、小鳥たちも安心して遊べる、というわけです。
 極め付けは、「一口」という名字。「ひとくち」ではありません。出口が一つしかない建物から、人々が一斉に出ようとすると、こういう状態になります。そうです「いもあらい」と読みます。う~ん、これは参りました。

 いかがでしたか?同書からのネタがまだ少しありますので、いずれ続編をお届けする予定です。なお、直近2回分へのリンクは、<その5 海外編><その6 開高健編>です。合わせてご覧いただければ幸いです。それでは次回をお楽しみに。

第561回 ちょっぴり驚きの英国史2

2024-02-02 | エッセイ
 続編をお届けします(文末に前回分へのリンクを貼っています)。英国出身のフリージャーナリストであるコリン・ジョイス氏の「驚きの英国史」(NHK出版新書)から、あまり知られていない歴史上のエピソードをお届けします。前編ともどもお楽しみください。

★長弓へのノスタルジー
 「イギリスの法律では、自由な身に生まれた男性は日曜日に必ず弓矢の練習に行かないといけないんだ」(同書から)と真面目に信じているイギリス人がいるというのです。「長弓」と呼ばれるご覧のような武器です。

 そういう法律が存在したのは事実で、何世紀にもわたってフランスとの戦いを有利に進め、勝利にも貢献してきました。法律が効果を発揮するようになったのは、14世紀のエドワード3世の時代からです。長大なだけに軽い甲冑なら遠くからでも射抜く威力があり、高い命中精度を誇ります。ただし、使いこなすには日頃から練習に励み、扱いに習熟しておくことが欠かせません。そのための法律、というわけです。そして、その効果は、1332年に宿敵スコットランドを打ち破り、その後のフランスとの100年戦争でも、いくつかの重要な戦いを勝利に導くことなどで実証されました。
 その後、一旦廃止されたこの法律は、16世紀のヘンリー8世の治世になって再び施行されています。よほどイギリス人の心性にマッチするようです。さすがに19世紀ともなると、銃、大砲などの火器が戦争の主役となって、時代の趨勢に合わなくなり、法律は廃止されました。それでも、その存在を信じる人がいる理由を、著者は「もしかするとイングランド人は、この武器にノスタルジーのようなものを感じつづけているのかもしれない」と書いています。イギリスが強かった時代への郷愁ですかね・・・・ちょっと頬が緩みました。
★クリスマス休戦
 ヨーロッパを舞台にした第一次世界大戦は大変な消耗戦でした。当時の戦争は、数百万の兵士が悪臭を放つ塹壕に身を潜めて銃撃しあう、というのが主流です。お互いの塹壕を隔てる幅数百メートルのエリアは「ノーマンズ・ランド(中間地帯)」と呼ばれる泥んこの土地が広がっています。5ヶ月近く、こんな状況の中で戦っていたイギリス軍とドイツ軍に意外なことが起こったのは、1914年12月のことです。
 前線にいた両軍の部隊がいくつもの場所で殺し合いをやめ、プレセントを交換し、クリスマス・キャロルを歌い、ノーマンズ・ランドでサッカーの試合までしました。この自発的な「停戦」に驚いた将校は、敵と親しくしてはならないという命令を厳しく下し、このような「出来事」は、この時限りでした。
 きっかけは、ドイツ兵が塹壕で歌っているクリスマス・キャロルがイギリス軍に聞こえたことだと伝えられています。「とくにドイツ語の「きよしこの夜」が聞こえたことが、「敵」も同じキリスト教徒だと気づかせることになったといわれる(もう少し正確に言うなら、敵も同じ人間だと気づいたということだろう)。」(同)
「同じ人間だとの気づき」を人類が共有していれば、その後の、そして今も続く戦争はなかっただろうに、と私などはつい考えてしまいます。
 さて、このエピソードを、著者は、いかにもイギリス人らしくクールにこう締めくくっています。「歴史的な観点からすれば、クリスマス休戦はそれほど重要なものではないかもしれない。しかし、イギリス人は、この戦争のなかでは最も「正気」だった時間として大切に記憶している。」
★スコットランドへの気遣い
 英国は、イングランド、ウェールズ、スコットランド、そして北アイルランドの4つの「国」から構成される連合王国です。著者はイングランド出身なので、イングランド中心の話題が多くなっています。そのことに気を遣い、スコットランドがイギリスの発展に果たした役割に1章を割いています。
 政治の世界では、1900年以降、4人の首相を輩出しています。学問の分野では、アダム・スミスの「国富論」が、経済への理解を変え、人々の生活に大きな影響を与えました。
 著者は英国人の1日を追いながら、スコットランド人の発明が、いかに日々の暮らしに貢献しているかを紹介しています(発明者名は一部省略しました)。朝食には、「マーマレード」が欠かせません。雨が降っているので「レインコート」を着て「自転車」で駅に向かいます。乗るのは、いささか時代遅れですが「蒸気エンジン(ジェームス・ワットが発明)」で動く列車です。オフィスでは、郵便に貼ってある「糊つき切手」に目をやり、初めて「商品化されたタバコ」で一服します。さて、終業時刻となり、妻に「電話(グラハム・ベル(てっきり、アメリカ人だと思ってましたけど、スコットランド人だったんですね(芦坊))して帰宅です。家では娘が「テレビ(ジョン・ロギー・ベアードが発明)」を見ています。息子は「宝島(ロバート・スティーブンソン作)」の読書に夢中です。
 う~ん、イギリス人に限らず、私たちも大いにお世話になっている、というのがよくわかりました。
 いかがでしたか?なお、前回の記事へのリンクは<こちら>です。合わせてちょっぴり驚いていただければ幸いです。それでは次回をお楽しみに。