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第592回 現代の海賊との攻防話

2024-09-06 | エッセイ
 18、19世紀ならともかく、現代(といっても、ネタ元が少し古い本ですので、1990年代のことになります)に、海賊なんているの、と言われそうです。でも、20万トン級タンカー(原油輸送船)を標的にした襲撃事件が起こっていた、というのを知って驚きました。
 こんなタイプの船です(ネットから)。

 以前にも何度かネタ元にしました上前淳一郎さんの「読むクスリ」シリーズ(文春文庫:文末に簡単な書誌データを付記しています)の「海賊ニ注意セヨ」(第32巻所収)から、お届けします。最後までよろしくお付き合いください。

 日本船主協会海務部の日比野雅彦さんによると、1997年中に世界で、229件もの海賊襲撃事件が発生したといいます。そして、ほぼ半分の110件が極東・東南アジア海域で巨大タンカーが襲われた事例です。それには、こんな事情がありました。
 中東から日本へ原油を運ぶタンカーは、アラビア海からベンガル湾を通り、南シナ海に抜けるルートを航行します。その途中にあるマラッカ・シンガポール海峡は、ご覧のように狭く、しかも水深が浅いため最大の難所です。

 タンカーは、速度を落とし、周囲の船や浅瀬に注意を払いつつ、夜は、衝突防止のため前方をこうこうと明かりを照らしながら進みます。でも、巨体ですから、船体の後部までは監視が行き届きません。しかもスピードを落としています。そこが海賊どもの目の付け所です。小型の高速艇で近づき、タンカー後部の手すりにカギ付きロープを投げ上げ、引っ掛けます。武器を手にした数人がよじ登り、乗組員を脅して金品を奪うのです。
 船内はとにかく広いですから、乗組員たちが気づかぬうちに部屋に入り込み、金品を奪って逃げます。中には、ピストルで応戦した船長が射殺されるケースもあったといいます。狭い海峡で陸地が近いですから、一旦、船を離れれば逃走も容易で、連中にとっては都合がいい条件です。

 「なぜ海賊が捕まらないか、とおっしゃるんですか?それは海の上の出来事だからですよ」(同書での日比野さんの発言。以下、同じ)
 日本人を含め、多国籍の船員が襲われた場合、誰が、どこへ届け出るか、という問題があります。沿岸国に届け出たとしても、神出鬼没の海賊の取り締まり、捜査に期待はできません。かえって、情報収集に協力して足止めを食い、原油の輸送が遅れるばかりです。
 
 手を拱(こまね)いてばかりはいられません。船主の経済的被害を防ぎ、船員を守る対策は、自分たちでやるしかない、と取り組みが始まりました。
 航行中の船同士は、お互いに交信して、怪しい高速艇が迫ってこなかったか、情報をやりとりします。日比野さんは、日々、世界の「海賊情報」を集め、危険水域を航行中の日本船に「海賊ニ注意セヨ」と連絡するようにしました。
 その上で、「海賊どもをよじ登らせないようタンカーのほうで気をつけるしか、方法がありません」
 夜間、船尾の見張りを強化しました。不審な船に気づいたら、汽笛を高く鳴らして投光器で照らし、消火用ホースで大量に水をぶっかけます。お前たちの正体はわかっているぞ、と示すことで連中は逃げ出しました。
 そして、対策の切り札は、船尾へのセキュリティシステムの設置です。まず、赤外線やレーザーを使って、海賊が登ってこようとすると探知する装置が試作されました。
 そんな中、日本のナビックスライン社が開発したのが「桃太郎」というシステムです。後部の上甲板にぐるっと鋼線を張りめぐらせます。海賊がロープを投げ上げると、この鋼線に引っ掛かり、張力を検知するというシンプルな仕掛けです。警報ブザーが鳴り出し、乗組員に知らせます。あとは、先ほどのような対応で、海賊どもを追っ払うのです。同社船員部の児玉敬一さんによれば「7年前にこれをタンカーに設置してから、わが社では1件も海賊の被害がありません」とのことで、効果絶大です。
 「桃太郎」という可愛い名前は、同社の女子社員が「鬼退治なら「桃太郎」でしょう」との提案が、その場で採用されたもの、とのこと。なお、ナビックスライン社は、1999年4月に商船三井と合併して社名は消えましたが、「「桃太郎」にはまだまだご活躍願わなければならないだろう」と著者は締めくくっています。

 いかがでしたか?当たり前のように入ってくる原油の裏には、こんな攻防、ご苦労があったんですね。タンカーに限らず、世界を航行中の船の安全を願わずにはいられません。それでは次回をお楽しみに。
<付記>「読むクスリシリーズ」は、1984年から2002年まで、著者が週刊文春に連載したコラムを書籍化したものです。企業人たちから聞いたちょっといい話、愉快な話などを幅広く紹介しています。文春文庫版は全37巻です。