★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
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第287回 リターンチケットという仕組み

2018-09-28 | エッセイ

 前にも書きましたが、若い頃、3年半ほど広島で勤務したことがあります。オフィスが、カープの本境地である広島市民球場と道路1本隔ててすぐ隣でした。移転前の市民球場です。



 夏場の夜、冷房が止まり、窓を開けて仕事をしていると、喚声が聞こえてきます。
 「わぁ~」     ふ~ん、これはただのヒットやな
 「うぉぉぉ~~」  おっ、これは1発スタンド入りやな
 喚声だけで試合経過を楽しめる地元の社員たちのワザも大したものですが、8時頃になると、皆んな、そわそわしてくるのが分かります。

「部長、試合気になりますねぇ。仕事は明日でも間に合いますから・・・どうですか?」とカープファンの上司に、水を向ければ、話はすぐにまとまって、5人、10人がぞろぞろと球場に向かうことになります。
 目指すのは外野席。スタンドに通じる暗い通路に立っている切符もぎのおニイちゃんに声をかけます。
 「もう7回、8回くらいかな?そろそろ試合も終わりやし、エエやろ?」
 まさか、「どうぞ」とは言われませんが、聞こえないふりして、(たいていは)タダで入れてくれました。

 当時はカープも弱かったですから、タダで入って、少しでも応援してもらえば・・・そんな思いを共有してたのかな、と思ったりもしますが、ユルい時代でした。
 もちろん、現在はホームグラウンドも市の西の方に移転し、カープも「立派な」チームですから、そんなことはあり得ませんが。

 まあ、そんなズルをしなくても、海外には格安に試合がみれる仕組みがあるんですね。化粧品会社の仕事で英国に滞在していた杉山慎策氏の「愛しのイギリス」(日本経済新聞社)で紹介されています。

 1990年代、彼が住んでいたのは、ウィンブルドンの近くです。そう、年に1回、全英オープンテニスが開催される地元です。そこでのセンターコートでの試合チケットというと、極めて入手困難に思えますが、夕方の6時頃に行くと、ほぼ確実に2ポンドで、チケットが手に入ったというのです。こんな仕組みです。

 最後まで試合を観戦する熱心なファンもいますが、格式高いスポーツの場を、社交の場として利用する紳士、淑女方が多いのも英国です。
 で、その方々の中には、試合終了後の混雑を避けて、早めに会場を後にする人もいたり、普通のファンでも、試合が長引いたりした場合、途中退席というケースがあります。

 その時、自分のチケットを決められたところに「寄付」として置いていくのです。それを2ポンドという格安な価格で、当日、再販売するというわけです。
 「リターンチケット」と呼ばれる仕組みで、1954年から始まったとのことです。

 彼が滞英当時で、年間の売り上げが、15万ポンド(当時のレートで、2400万円)の収益を産み、全額が、チャリティに寄付されました。

 歌舞伎の一幕見じゃないですけど、足さえ運べば、ほぼ確実に、格安な料金で、観戦は短時間になることもあるでしょうが、試合を楽しむことができ、慈善事業にも貢献できるーーーいかにも英国的なシステムだと感心しました。

 ふと思ったんですが、日本のプロ野球でも応用できませんかね。

 早いイニングで大量リードしたり、されたりで(わが阪神タイガースの場合だと、「されたり」が多いようですが・・・)、途中で席を立つファンが、ままいますね。その時、チケットを置いていってもらって、格安で再販売したらと思うのです。置いて行くチケットは寄付、売り上げの収益は慈善事業へ、という基本線は守ってもらいます。

 ボロ負けしてる方のファンでも、「今からでもオレの応援で大逆転や」。大量リードしてる方のファンなら「こりゃ安心して、余裕で見れるわ」と、いずれにしろ、それなりのニーズはあるはず。いいアイディアだと思うんですけど。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。


第286回 アナキストとナショナリスト

2018-09-21 | エッセイ

  大杉栄というと、アナキスト、政治思想家の面だけに目が行きがちですが、本質は、自由を求める精神が旺盛な人物ではなかったかと想像します。女性との「自由」が過ぎて、四角関係のもつれから、女性に刺されるという事件を起こしたりもしてますが・・・こんな画像が残っています。



 あまり知られてませんが、日本で最初に「ファーブル昆虫記」を訳出した(ただし第1巻のみ)のは、大杉なんですね。東京外国語学校に学び、もともとフランス語は得意。政治事件で投獄された時間を利用して、語学に磨きをかけ、訳出したというわけです。
 なんで「昆虫記」か?人間を知るには、まず他の動物の生活を調べることから、というのが、彼の考えだったようで、当時としては、なかなかの卓見です。

 さて、そんな大杉が、関東大震災のどさくさにまぎれて、拷問の末、愛人の伊藤野枝、7歳になる甥とともに、虐殺されるという事件が起こりました。そして、すべての実行犯とされたのが、かの甘粕正彦(当時は、憲兵隊所属)です。

 「甘粕正彦 乱心の曠野」(佐野眞一 新潮社)という本があります。虐殺事件から、終戦時の服毒自殺に至る甘粕の一生を追った読み応え十分で、重厚な1冊です。当然のことながら、本書の前半は、この事件に割かれます。

 甘粕が全ての実行犯として訴追された第2回の軍法会議では、3人の警官が、甥の殺害を実行した旨の証言が飛び出すという劇的な展開になります。しかしながら、この3人はなぜか無罪となります。結局、甘粕が3人の殺害を実行したと認定されました。
 
 最近発見された死体検案書の所見と、軍法会議で甘粕が証言した殺害方法との大きな食い違など、甘粕がすべての実行犯とする根拠は大きく揺らいでいます。
 当時の警察の上層部に責任が及ぶのを避ける(事実、当時の警察の上層部には、皇室関係者がいました)ため、憲兵隊所属の大杉が、罪を一人で被った可能性が高い、との考証過程は、迫力と説得力があります。

 陸軍士官学校では、優秀な成績でありながら、落馬事故で足を痛め、軍としては、傍流となる憲兵の道を選ばざるを得なかった無念。それに加えて、7歳の子供まで殺害した責めを一身に担う痛憤―それらが、甘粕のその後の人生に大きな影を落とすことになります。

 恩赦により、10年の刑期を2年半で出所した甘粕は、世間の厳しく好奇な目を避けるべく軍が計らったと思われるフランス滞在を経て、約2年ほど、満州を舞台に謀略活動に従事します。
 豊かな人脈、冷静沈着で大胆な行動力を発揮していたようですが、事の性格上、謎の部分が多いのも事実。
 いずれにせよ、彼に対する手厚く、まるで腫れものに触れるが如き処遇は、その一身に罪をかぶせた軍と警察の上層部の後ろめたさを、何より雄弁に物語っています。

 さて、甘粕が、表舞台に登場するのは、満州映画教会(満映)の理事長に就任してからです。

 着任後、すぐに手を付けたのが、無能な社員の首切りと、待遇改善でした。
 日本人には厚く、現地人には薄い待遇を、能力に応じて、公平かつ抜本的に見直します。実力主義、平等主義と、口で言うのは簡単ですが、当時の時代背景、空気のなかで、骨太にそれを貫きます。

 また、それまで映画といえば、戦意高揚の勇ましいもの、軍神ものばかりでしたが、「こんな時こそ、娯楽映画を提供すべきだ」との考えに基づき、製作方針の大転換も実行します。
 山口淑子を生粋の中国人「李香蘭」としてデビューさせ、日満友好を演出するという戦略的な仕掛けをしたのも彼です。
 「オレひとりに罪をかぶせた軍部にとやかく言われる筋合いはないし、言えないはずだ」ーそんな屈折した自負心も垣間見えます。

 そして敗戦。青酸カリ自殺という形で一生を終えます。胸のうちは、きっと、絶望感より無念さが勝っていたのではないかと想像します。

 冷酷なナショナリスト(国家主義者)という顔だけではない、経営センス、合理的精神に富んだ極めて優秀な実務者の顔も持ち合わせていた一筋縄ではいかない人物です。

 そんな人物と、ノンフィクション作家・佐野との格闘の跡をこの本で辿ってみるのも一興かと思います。

 いかがでしたか?それでは、次回をお楽しみに。


第285回 大阪弁講座−33 「〜(し)てんか』ほか

2018-09-14 | エッセイ

 第33弾をお届けします。前回の講座で取り上げた「よそはよそ」は、居庵さんから「山形の米沢でも、親から言われてた」とのご指摘がありました。お詫びして、訂正しつつ、今回は、コテコテの大阪弁を、自信を持ってお届けしようと思います。

<~(し)てんか>
 標準語だと、「~(し)てくれませんか」という依頼、お願いの表現です。7つの音を、例によって、3つだけに縮めて「てんか」になる。親しいもの同士とか、対等のもの同士とかで、カジュアルに使える言い回しです。

 用例としては、

 「なんぞ(なにか)美味しいもんでも、買(こ)うて、来(き)「てんか」」
 「冗談ばっかり言(ゆ)うて、ええ加減にし「てんか」」
 「それって、セクハラやで。やめ「てんか」」

 こんな具合ですけど、言葉のトーンで、柔らかくもキツくもなります。
 と、書きながら思い出したんですけど、もうちょっと「厚かましい応用形」に「へんか」(または、「くれへんか」)というのがあります。
 「これ賞味期限が近いですやん。もうちょっと安ぅなりま「へんか」なぁ」
 「ちょっと急いでんねん。今日中に届けて「くれへんか」な」

 大阪弁独特のイントネーションまでお伝えできなくて、歯がゆいですが、根っからの大阪人でないと使いこなせないですやろな。

<すべった、ころんだ>
 2つとも普通の日本語なんですけど、セットで使うと大阪弁になります。

 前置きがやたら長くて、要領を得ない話とか、ごちゃごちゃした言い訳ばかりで、核心に触れない話とかを聞かせれた方が、ピシャっとやりこめるのに便利な大阪弁。
 「「すべった」「ころんだ」はエエから、はよ(早く)用例でも出しなはれ」「はい、はい」

 「あんたの話も、ようワケが分かりまへんなぁ。浮気がバレて・・・・嫁はんが預金通帳持って逃げて・・・浮気の相手から別れ話持ち出されて・・・・・「すべった、ころんだ」言うてるけど、ワイに何の相談や?何、カネ貸して欲しい?ほんなら、最初からそう言わんかい!このボケっ」

 用例として、いささか穏当を欠く用例のような気もしますが、実際のところ、こんな場面にぴったりの大阪弁やと思います。

<べんちゃら>
 う~ん、今や全国的に通用すると思うんですが、私らにとっては、コテコテの大阪弁、ということになります。お世辞のことなんですけど、「お世辞」と同じで、アタマに「見え透いた」とか「心にもない」とかが付くことが多いです。

 女性の使用頻度の方が高いような気もしますなぁ。

 「べんちゃら」にしろ、「お世辞」にしろ、それを言うのは下心がある男で、言われた女性の方は、「また~、そんな「べんちゃら」言うてぇ~、何も出えへんよ」と謙遜するのが、お約束といえば、お約束。

 昔、砂川捨丸、中村春代という大阪の漫才コンビがよく使ってました。こちらです。


 「また「べんちゃら」やろ?」とツッコむ春代に、
 「いやいや、今のは、「べんちゃら」とちゃう(違う)。「ほんちゃら」や」と返していました。「本気」の「べんちゃら」で、「ほんちゃら」ということなんでしょう。懐かしく思い出しました。

 いかがでしたか?次回をお楽しみに。


第284回 村上春樹がくれたアドバイス

2018-09-07 | エッセイ

 村上春樹流の息抜きというか、一種の読者サービス(対象は読者限定ではありませんが)なんでしょうか、期間限定のサイトで質問を受け付け、村上が回答するという試みが、何回か行われています。

 最近のものは、2015年1月から5月まで設けられたもので、質問・相談メール総数は、3万7千通あまり、そのうち、3千3百通ほどに、村上自身が回答したそうで、ご苦労様でした、
 期間中の累積ページビュー(閲覧数)は、なんと1億を越えたとのことですから、なかなかの人気だったようです。

 そのうちの473件の質問・回答が、最近、「村上さんのところ」として文庫化(新潮社)されたので、目を通しました。



 恋愛、人間関係、仕事などのお悩み相談から、小説作法、創作の秘密など彼の本業に関わるもの、そして極めて個人的でシュールなものまで、種々雑多な質問と回答のオンパレードです。

 時に真摯に、時にユーモアたっぷりに、時に韜晦、はぐらかしも入れながらの「回答ワザ」を存分に楽しみました。質問は要点を、回答は原文をできるだけ尊重して、いくつかご紹介します。

 「旦那さんがほとんど性欲がなく、夜の営みがない。どうしたらやる気にさせられますか」という31歳・女性からの質問に、
 「すみませんが、他のひとの性欲の事情まで僕にはわかりません。自分のだってろくにわからないというのに。申し訳ないけど、ご自分で考えて解決してください」と突き放しています。まあ、これは質問する方が悪い・・・・と思います。

 「以前、友人が少ない悩みを相談した時、「猫を飼えば」とアドバイスされて、実行し、友人が少しできた」とのお礼のメールに、
 「僕は、困った相談があると、たいてい「猫を飼ったらどうですか」と答えています。かなりイージーですが、ちゃんと効果はあったんだ。それをうかがって、僕もほっとしました」なんて、ぬけぬけと回答しています。

 「マネキンが道ばたに捨てられていたのを拾ってきて、「キャロライン」と名付け同居していたが、現実の恋人ができて、「彼女(キャロライン)」の処分に困っている」という25歳・男性からのあやしげな質問に、
 「そんなこと相談されても困ります。あなたとキャロラインさんで相談して決めてください。でも遠くに捨てたはずのキャロラインが夜中に戻ってきて、こんこん、こんこんとドアをノックしたらこわいですね。(中略)だいたいマネキンなんて拾ってくるあなたに責任があるんです」
 私もそう思います。

 「突然ですが、「完璧な勃起」とはどういう状態のことですか?小説の中で出てくるたびに、いつもつまずいてしまいます」との31歳・女性からの悩ましい質問には、
 「わけのわからないことを書いて、申し訳なく思っています。ちょっと漠然とイメージしてから、そのままやり過ごしてしまっていただければ、作者としては嬉しかったのですが。僕としてもここであまりリアルに説明できないのですが(後略)」
 いつになく歯切れが悪いなぁ、と笑ってしまいました。

 さて、私にとって、大いに勇気づけられ、ありがたかった質問・回答です。

 「遠距離恋愛中の彼女がいて、手紙のやり取りをしているが、うまく書けずに悩んでいる」という28歳・男性からの質問に、こう答えています(全文を引用します)。

 「手紙を書くコツは、日頃から話題をためておくことです。面白そうな話題をいくつかストックしておいて、それを選んで並べる。でもだらだらした文章はだめです。コンパクトにまとめる。慣れないういちはむずかしいと思いますが、すべて訓練です。うちの奥さんは僕と結婚した理由をきかれて、「手紙がどれもすごく面白かったから」と答えていました。きみもがんばってください。大事なのは、うまい手紙を書こうと思わないことです。相手をにこにこさせちゃうような手紙を書こう。」

 私も、エッセイ(らしきもの)を、このブログで書いてますので、「手紙」を「エッセイ」に置き換えれば、村上のアドバイスが身に沁みます。

 続いている趣味といえば、「読書」ということになりますので、読んだ本のことがテーマの中心になります。とはいえ、単なる本の紹介だけでは単調で、ツマらない中味になりますので、関連した自分自身の「体験」を盛り込んだり、ほかから拾ってきた「話題」を入れたりと、それなりに工夫はしているつもりです。

 でも、まだまだ「話題のストック」が足りないなぁ、と感じることも多いです。回答の中で、奥さんが村上と結婚した理由を、「話題」として、短い回答の中でうまく引用しています。

 本物のプロには適わないなぁ、と思いながらも、より面白く読んでいただけるよう「話題のストック」に努め、「にこにこさせちゃうような」エッセイをお届けしていくつもりです。引き続きご愛読ください。

 それでは、次回をお楽しみに。

<追記>その後、「第396回 村上春樹について語るとき」との記事で、彼のエッセイを話題にしています。リンクは<こちら>です。合わせてお読みいただければ幸いです。